インターネット時代になってから、海外の音楽ファンの間で火がつき、再評価される日本人アーティストや作品は多い。とりわけ1970から80年代の日本の作品への注目は年々高まる一方、欧米のレーベルから“逆輸入”の形で再発売(リイシュー)される作品も相次いでいる。坂本龍一、細野晴臣、久石譲、清水靖晃らの楽曲をまとめた『Kankyo Ongaku』や、大貫妙子、吉田美奈子、高橋幸宏、高中正義らの作品が収められた『Pacific Breeze』といったアメリカ編集のオムニバス・アルバムは、環境音楽、シティー・ポップ、AORといった音楽の見直し、再定義を我々日本人に改めて促した。



 今回紹介する浅井直樹も海外の熱心なリスナーによって“発見”された秘宝のようなアーティストだ。

 これまでにリリースされたアルバムはたった1枚。1988年、当時多摩美術大学の学生だった浅井が自主制作して発表した『アバ・ハイジ』がそれだ。プレスされたのはたった200枚。ちょうど浮かれたバブル景気の真っただ中、対照的にあまりにも繊細でファンタジックな世界に彩られた『アバ・ハイジ』は、当時ほとんど黙殺されていた。むろん、浅井直樹という存在も知られぬまま、約20数年が経過していった。

 だが、時代が変わり、ネット上で自在に情報が共有されるようになった2011年、スウェーデンの音楽ブロガーが紹介。そこからこの未知なる作品は国内外の一部の音楽ファンたちの間でじわじわと関心が高まり、ついに2019年、その『アバ・ハイジ』が日本国内でリイシューされるに至った。少年のようでもあり、少女のようでもある柔らかな表情を捉えた本人の写真のジャケットそのままのフェミニンな風合いの歌、現実から乖離(かいり)したところで形成されたような死生観を伝える歌詞、そして当時の英米の人気バンドとシンクロしたようなサイケデリックなギターサウンド……それはまるで澁澤龍彦や四谷シモンと、ザ・スミスやエコー&ザ・バニーメンとが無菌室の中で合流したような作品だった。

 しかし、これによって“発見”された浅井直樹の時間は再び動き出す。なんと『アバ・ハイジ』から実に33年ぶりとなるニュー・アルバム『ギタリシア』がリリースされることになったのだ。気が遠くなるほど長い年月を挟んでのセカンド・アルバムである。

『アバ・ハイジ』のリイシューCD盤には、浅井のことを探し出し、本人の快諾を得た上で再発売にまでこぎつけた音楽ディレクター・柴崎祐二による丁寧な解説がついている。そこには、浅井本人は今も健在で、仕事のかたわら弾き語りでライブを行ったり、ボカロPとして作品を発表したりしていることなどが記述されている。『ギタリシア』は、そうやって実は人知れず音楽活動を続けていた、まもなく53歳(1968年生まれ)を迎える浅井の現在が鮮やかに映し出された1枚だ。と同時に、33年が経過した今も、その美意識と価値観に一切のブレがないことを伝える奇跡のような1枚でもある。

『ギタリシア』には浅井が書いた新曲12曲が収められている。もちろん、ボーカルも浅井自身。『アバ・ハイジ』のころに比べるとボーカルの趣はいくぶん落ち着いているが、童話を読み聴かせるかのように世界を丁寧に作り上げていくような歌い方は変わっていない。サウンドも不変だ。イントロのキラキラとしたギターサウンドに導かれて始まる1曲目「光の家族」は少しバロック音楽を思わせるクラシカルな色調。かと思いきや2曲目「ラヴ・ポーション No.7」は裏打ちのリズムで軽快に展開され、3曲目「花の香り」は3拍子のゆったりしたテンポで優雅にメロディーが響く……といった感じで、まるで空中をたゆたうように一曲、また一曲と流れていく。アレンジも演奏も表情豊かだが、ふんわりとしたセピアカラーで包まれたかのように全体のトーンは穏やかだ。

 また、浅井自らアコースティック、エレクトリック、12弦といったギターを曲ごとに様々な表情で弾いて聴かせている点にも注目だ。浅井の造語で“ギター病”という意味を持つアルバム・タイトルの「ギタリシア」さながらに、このアルバムは浅井流のギター・アルバムとして聴くこともできる。ボーカルでtamao ninomiya、トランペットで高橋三太ら若い世代のアーティストたちから、『アバ・ハイジ』の録音にも参加していたベースの芳賀紀夫までがレコーディングに参加したことで、33年という年月を飛び越えて時代が一続きになった印象もある。
 
 歌詞も多様だ。韻を踏んだ言葉遊びのような「マジック・バス」や、ジョン・レノンやジム・モリソンなど浅井の好きなアーティストの名前が次々と登場する「(Let’s sing a)Singer−Songwriter’s Song」といったウィットに富んだものがいいアクセントになりつつも、失われた時代の終焉を歌うような「青春以後」に見られる50代の現在の目線から綴られたものも多い。

 だが、「昔からファンタジーを思い描くのが好きだった」という浅井の想像力溢れる言葉のクリエーションはまるで色あせていない。夢なのか現実なのか、物語なのか実話なのか、生きているのか死んでいるのかさえもわからないような、幻想的かつ空虚な手触りの言葉は、『アバ・ハイジ』の頃のままだ。これが浅井の美学……彼の求める桃源郷とも言える世界なのだろう。

 3月21日には無料配信ライブも開催される。日本時間の正午からスタートするのは、『アバ・ハイジ』を“発見”した海外のファンが気軽に楽しめるように配慮したもの。アメリカでは20日土曜の夜10時からになる。

 『アバ・ハイジ』リリース当時は顧みられなかった浅井直樹。今度こそ、今再び鳴らされている奇跡を歓迎してあげようではないか。(文/岡村詩野)

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