脚本家の橋田壽賀子さんが4日、亡くなった。95歳だった。「渡る世間は鬼ばかり」「おしん」など数々の名作ドラマを手掛けた。

 生前、週刊朝日の連載、作家・林真理子さんが毎週ゲストの素顔に迫る「マリコのゲストコレクション」の1千回を迎えた記念スペシャルに駆けつけてくださった橋田さん。当時、95歳を迎える前だった橋田さん。ドラマの脚本を始めた経緯から「おしん」の裏話まで明かしてくれた。記事を再掲する。


*  *  *
林:もともと先生は最初、映画のほうにいらっしゃったんですよね。

橋田:松竹の京都の撮影所に3年いました。「なんで女が映画界に入ってきたんや」みたいな感じでしたよ。「板前かて男や。シナリオライターかて男や。なんで女が書くんや」って言われました。今だったらパワハラで訴えたいぐらい。

林:大学出の女というだけで嫌われたんじゃないですか。

橋田:生意気だったんですよ、私も。女はお酒を注げ、みたいなことがあるじゃないですか。「私はシナリオライターだもん。注ぐことない」と思ってたわけ。そういうのは嫌われるんです。ちゃんと注いであげればよかったと思います。いま思えば。

林:それで松竹をやめて、テレビという新しい世界に移ったんですね。

橋田:脚本部から秘書室に配置転換になったんですけど、「お茶くみに行け」と言われたのと同じですから、やめちゃったんです。困ってたら、美智子さまのご成婚があって、それをテレビで見てびっくりして、「こんなすごい画(え)が茶の間に入ってくるなんて、これからはテレビの時代だ!」と思ったんですね。それまではテレビをバカにしていて、ぜんぜん興味がなかったんですけどね。それであちこち一生懸命売り込みに行ったんです。でも、3年売れませんでした。

林:そうなんですか。

橋田:3年目にやっと「夫婦百景」とか「おかあさん」という単発のドラマを書いたんですが、セリフをぜんぜん直されないんです。映画は俳優さんとか演出家が勝手にセリフを変えるんですが、テレビは変えられないので、これはいいと思って、それで本腰を入れたんです。「七人の刑事」なんかも売り込みに行って、演出家が東芝日曜劇場を撮ることになったとき、「君が書いてくれ」と言われて、初めて石井ふく子さんを紹介されたんです。

林:テレビの次の時代を担うお二人が出会ったときは、「おっ、デキる」とお互いに思ったんですか。

橋田:いや、石井さん、すごい冷たい顔して「好きなもの何でも書いてらっしゃい」と言うんですよ。それで「袋を渡せば」というホームドラマを書いたんです。亭主の月給の半分は女房のものだというドラマなんですけど、石井さん、「これは『七人の刑事』を撮ってる演出家には撮らせられない」と言って、演出家を代えたんです。それから「七人の刑事」を書けなくなって……。でも次にお仕事をくださったのが「愛と死をみつめて」だったんです。

林:あれを見て泣きましたよ、私。

橋田:そう考えると石井さんのおかげが大きいですね。石井さんに会わなかったら、また男の人にいじめられてダメになってたかもしれない。

林:映画界でいじめられて追い出された先生と石井さんがタッグを組んだのが、今日のテレビ業界の隆盛を生んだわけですね。

橋田:そんなに大げさなことじゃないですけど、石井さんとはいろいろお仕事をさせていただきました。だから「石井さんに血を替えられた」と言ってるんです。テレビと映画はぜんぜん価値観が違いますからね。映画は嫌いです。映画はセリフをいかに短くするかですけど、私は一つのセットの中で長い長いセリフを言ってるほうがいいです。

林:先生のセリフってほんとに長いらしいですね。

橋田:はい。映像を信じてないんです。テレビというのはラジオだと思ってるんです。朝なんか女の人は何か家事をやりながら見てるじゃないですか。だからセリフが長くなるんです。また連続ドラマだと、その回を見逃すと、次の回にちょっと説明しなきゃならない。そうするとまた長くなるんですよね。

林:映画だといちばん偉いのは監督さんだと思いますけど、テレビは女性の地位も高かったわけですね。

橋田:石井さんだから女のライターを見つけて使ってくださったんだと思います。石井さんがいなかったら私はやめてたかもしれません。

林:石井さんがずっとプロデューサーとして君臨してたおかげで、若い女性の脚本家にもチャンスが来たわけですね。

橋田:そうです。あの方の貢献は大きいです。私は何も貢献してません。私はNHKの仕事のほうが多かったですからね。

林:大河ドラマも三つですか。「春日局」と「いのち」と……。

橋田:「おんな太閤記」ですね。

林:あのころ40%ぐらい視聴率とってたんですよね。

橋田:そうですね。「春日局」は大河ドラマで上から3番目の平均視聴率だとか言ってました。

林:「結婚したおかげでホームドラマが書けた」とおっしゃってますね。

橋田:ホームドラマが書けたのは、お姑さんもいたし、小姑さんもいたし、勉強もしたからですけど、「渡る世間は鬼ばかり」で嫁・姑とかいろいろ書けるのは、家族がないからです。だから「私をモデルにした」なんて文句を言われることもないし、どんなことでも書けるんです。

林:ご親戚もいらっしゃらないんですか?

橋田:主人のほうの縁は全部切りました。私のほうは誰もいないです。一人っ子だし。母のほうの人とも、父のほうの人とも付き合ってないです。私は一人がいいんです。何も思い残すことなく死ねるし、「死んじゃイヤ」と言う人もいないし。

林:でも、お友達がいらっしゃるでしょう。石井ふく子さんとか。

橋田:石井さんは、仕事のお友達ですね。私、友達はつくらないんです。電話も、向こうからかかってくるのは受けますけど、こっちから電話かけたことないです。もう誰とも付き合いたくない。面倒くさい。

林:「面倒くさい」って言えたらいいですけど……。

橋田:お友達って何ですか? 拝見すると、真理子さんはお友達と一緒にどこかに行ったりなさってますけど、私はベタッとしたのがイヤなんですよね。お友達がいないというのは、すごくさわやかです。

林:そこまで言いきれたら素晴らしいですよ……。

橋田:「それは負け惜しみよ。あなたは友達をつくれる人じゃない。意地が悪いから」ってよく言われますけど、でも、ほんとに欲しくないんです。私は一人っ子だったから、可哀想に思って母がうちに友達を呼ぶんです。お菓子やノートや鉛筆を母がくれるから、みんな寄ってくるんですけど、そうやって母が私を抱え込むのがイヤで、18歳で家を出ちゃって、それからずっと一人で暮らしてきました。誰からもお金をもらわないで、自分で稼いで、日本女子大へも自分のお金で行きましたし、そのあと早稲田も行きました。

林:どうやってお金を稼いでいたんですか。

橋田:少女小説を書いて稼いでたんです。小糸のぶさん(小説家)がその当時の先生でした。漫画の原作も書いてました。

林:そのまま小説家になろうとは思わなかったんですか。

橋田:思いません。面倒くさい。セリフだけ書いていたいんです。

林:先生はご自分が書いたセリフを一回言葉に出したりします?

橋田:しませんね。

林:口に出したら言いづらかったということありませんか。

橋田:「書いたとおりにちゃんと言え!」って言います(笑)。俳優さんに対する思いやりがまったくないんですよ。

林:若いころ「この俳優さん、スケジュールが急に変わってダメになったから、台本を変えてください」とか要求されたことありますか。

橋田:それは今までありません。

林:それ、すごい。今は俳優さんの都合が優先されるって聞きますが、先生はそれがなかったんですね。

橋田:石井さんとか、「おしん」の岡本(現小林)由紀子さんとか、プロデューサーがしっかりしてたんですよ。私はしっかりしたプロデューサーとしか仕事しませんから。

林:小林由紀子さんにも、昔ここに出ていただきました。

橋田:あの人はすごくプロデュース力がありましたね。今「おしん」なんて作品できないですよ。あれだけのものをつくったんですから、すごい人です。

林:あれは脚本も素晴らしいけど、俳優さんたちがみんな迫真の演技をしてましたよね。泉ピン子さんなんか鬼気迫る感じで。

橋田:いい俳優を使っていただいた由紀ちゃんの力です。

林:「おしん」が大ブームのとき、NHKに行ったら田中裕子さん(成長したおしん役)がいたので、ちょっと会釈したら、無視されたというか、あのとき精神的にギリギリ追い詰められていて、まったく余裕がなかったみたいでした。

橋田:そうなんです。あとで聞いて謝りました。セリフは長いし、あの役嫌いだったんですって。はっきり言われました。でも、わかります。あの人の中にああいうおしん的なものはまったくないんです。マイペースな方ですからね。役にすごく抵抗があったみたい。それはよくわかります。

林:今、先生は若い脚本家のドラマとかごらんになります?

橋田:このごろの新しいドラマ、見てもわからないんですよ。興味がなくなっちゃったんです。

林:「朝ドラ」も見ないですか。

橋田:見ない。私は自分の敵になるものしか見ないんです。今は仕事しないから敵がないんです。昔は「朝ドラ」を書くからずっと見てたし、「大河」も書きたいからずっと見てたけど、今は敵がないから見ない。

(構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄)

※週刊朝日  2020年2月14日号の一部を再掲
※年齢や肩書は当時