尾崎裕哉と石崎ひゅーいによる2マンライブ「双発機」が、ビルボードのフルオーケストラコンサートとして開催される。裕哉にコンサートのこと、音楽のこと、父・豊のことを聞いた。AERA2021年4月19日号に掲載された記事を紹介する。



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——父・尾崎豊の声を受け継ぐ、シンガー・ソングライター尾崎裕哉(31)。石崎ひゅーい(37)とは2013年の尾崎豊を追悼するトリビュートライブで初共演。以来、互いに音楽性を刺激しあい、プライベートでも交流を続けてきた。18年に2人は「双発機」と冠したライブを初開催。今回初めてオーケストラとの共演に挑む。各人の楽曲やデュエット含む全16曲が披露される予定だ。そこにはもちろん尾崎豊の楽曲も入る。

尾崎裕哉(以下、尾崎):尾崎豊の楽曲はライブでも歌いますが、きちんと歌っているのはこのビルボードクラシックスのオーケストラ公演が唯一かもしれません。僕が父の楽曲の「継承と革新」をテーマに活動する中で、父がこれまでやってこなかったスタイルがオーケストラとの共演。壮大なスケール感で尾崎豊を歌うとどうなるか。尾崎豊の新しいスタイルを伝えられたらうれしい。文化と芸術の殿堂の東京文化会館と兵庫県立芸術文化センターにひゅーい君と立てるのが楽しみです。

■音の波に乗る面白さ

——オーケストラコンサートを何度となく経験してきた裕哉だが、オーケストラで歌うことの楽しさは「音の増強」にあると話す。

尾崎:コーラス隊まで入れたフル編成になると、ステージに100人くらいが集まります。演奏にはそれぞれのタイミングがあり、その微妙な差異が音の重複に繋がっていく。僕にとってオーケストラコンサートは一番「生」の音楽を体験している感覚がある。増強された音の中で歌うのは間違いなく心地いい。一方で、バンドだったら自分のノリに合わせてもらえますが、クラシックスは譜面の中で歌わなければならない難しさもあります。

 オーケストラの演奏で大切なのは音の波に乗ること。僕がステージの一番前に出ているので、指揮を見ると半拍遅れてしまう。聴こえている音の上で歌うしかありません。それがオーケストラとやる面白さでもある。技量が試されている感じがあります。

——昨年から続くコロナ禍で、多くのアーティストがライブを行う機会を逸した。

尾崎:1年間声を出せないというのはアーティストにとって致命的です。僕は今年に入ってから2回しか人前で歌えていません。人前で歌うのと配信ではわけが違う。今回のコンサートまでに人前で歌う準備をできるかが大切なことだと思っています。

 僕は毎年弾き語りのツアーを行っているんですが、昨年はちょうど緊急事態宣言明けから次の宣言までの間に全国18カ所を回ることができた。ツアーを実施することを選んだのは、非常事態のタイミングでも音楽は必要とされていると思うから。ネット系のコンテンツがあっても、生で見たい聴きたいというライブエンターテインメントを必要としている人は多い。だからこそ、僕がライブをしに行くという感覚で全国を回りました。「尾崎は変わらず動いているから、自分のタイミングが合った時にライブに来てほしい」という思いでした。

■音楽作りは日記に近い

——16年9月にデジタル配信された「始まりの街」でメジャーデビュー。オリジナルアルバム「Golden Hour」を昨年10月にリリースした。裕哉にとって、音楽を作ることは「日記を書くことに近い」という。

尾崎:音と言葉の両方から想起される自分の感情やシーンを綴っている感じです。曲を書く時は、悪い感情の時のほうが多いですね。負の感情が溢れ出る時のほうが強い曲になりやすい。音楽で自分の気持ちを昇華しているようなところがあります。ただ、僕は音楽がないと生きていけないとか、神から啓示を受けましたというタイプではありません。5歳でミュージシャンになると決めましたが、その理由は100%、父への憧れでしかない。愚直にあの人になりたいと父の背中を追って、努力するところはひたすらして、ここまで来てしまった感じです。

——今も人々の心を捉え続ける尾崎豊がこの世を去ったのは、1992年4月25日。享年26、裕哉が2歳の時だった。5歳で母とともに渡米、15歳まで過ごした。

尾崎:米国にいたから距離を持って父を見られたと思います。日本にいたら誰もが父親を知っている。ある意味異常です。ただの一人の少年でいられたという意味では、米国で過ごせてすごく良かった。小学生でみんなから父親のことを言われ続けるようなことがあったら、違う人生になっていたかもしれません。

——好きな音楽は尾崎豊はもちろん、もともとAC/DCやレッド・ツェッペリンなどクラシックロックが大好き。ミュージシャンの名前を挙げればキリがないが、「アメリカ文学に触れたこと」も裕哉の音楽に影響を与えたと言う。

尾崎:サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』やポール・オースターの『ムーン・パレス』。また、米国の歴史のほとんどに黒人差別の問題が絡んできますが、僕が住んでいた1990年代は日本人に対する差別もあった。道を通れば「ジャップ」と言われることもあって、黒人差別の問題で闘うマーティン・ルーサー・キング牧師の言葉にも影響を受けました。僕の最初の2枚のEPは彼の言葉から取っています。米国での学びが自分のアイデンティティーになったのは良かったと思っています。

■父との接点は楽曲

——伝説の父を背負う裕哉だが、2世であることに気負いはない。

尾崎:2世は2世ですから(笑)。父が生きていたらプレッシャーを感じたと思います。でも、亡くなっているから、尾崎豊の曲を聴いたり記事を読んだりライブの映像を見たりすることが、父との唯一の接点でした。その接点が楽曲、エンタメなんです。だから、曲を聴きながら「カッコいいな」と思ってしまうし、強いメッセージが込められていると、「裕哉、こうした方がいいよ」と自分が言われているような気がする。その結果、自分も音楽をやってみたいと、父の曲をカバーするようになりました。10歳から歌い始めたので、自分の歌の3倍くらい歌っています(笑)。

——だからこそ「継承と革新」というテーマも生まれた。

尾崎:父の楽曲を歌っているうちに残したいという気持ちが生まれてきましたし、僕の声が父に似ているからこそ、自分にしかできないことがあるのではと思うようになりました。古典芸能ですね。歌舞伎でいうなら、新作歌舞伎の「ワンピース」でしょうか(笑)。

 緊急事態宣言が解かれても、コンサートをコロナ禍で行うことに変わりはありません。みなさんが安心して来られるよう準備を進めていますので、一人でも多くの方に来ていただければうれしい。僕は何人のお客様であっても思い切り歌います。

(フリーランス記者・坂口さゆり)

※AERA 2021年4月19日号