4月25日からスタートする阿部寛主演のドラマ『ドラゴン桜』(TBS系)に早くも注目が集まっている。同作は、元暴走族の弁護士・桜木建二の指導のもと、問題だらけの生徒たちが東大を目指して奮起するシリーズの続編。物語では、桜木の型破りな勉強法で生徒たちの成績はみるみると伸びていくのだが、現実の東大受験は漫画やドラマのように甘くはない。東大“7回落ち”の山田雅人、“8回落ち”のラサール石井、そして「電波少年」のあの人物に“東大受験の壁”について聞いた。



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「(ドラゴン桜は)原作を読んだことがありますが、いくつも“刺さる言葉”が散りばめられていましたね。生徒たちと自分を重ねることで、モチベーションを上げることができました」

 こう語るのは、タレントで俳優の山田雅人(60)だ。だが、彼が東大受験に費やしてきた年数は、『ドラゴン桜』の生徒たちの比ではない。

 山田はこれまでに東大を7回受験している。きっかけは、2006年の「ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!」(テレビ東京系)のコーナー企画「芸能人こそ東大へ行け!」への出演だった。山田は46歳から受験勉強をスタートさせた。

「勉強が大の苦手で、最初に番組からオファーがあった時はお断りしていたんです」と語るように、当初の模試の点数は、記号の“まぐれ当たり”を除けばたったの2点。解答どころか、問題文の意味も理解できなかったという。

 夜が弱かったため、毎朝5時から、仕事に行くまでの3時間を勉強に充てた。日中も、家庭教師の指導を受けながら2時間勉強。移動中も英単語帳を開くなどし、24時間、勉強のことばかり考えていたという。

 勉強開始からほどなく、最初の壁にぶつかった。

「半年間、まったく成績が伸びない時期が続いたんです。最初の8カ月間は、センター模試が200点以下でした」

 ところがセンター試験の直前、一気に倍の点数まで伸びたという。

「伸びるときは、垂直線で一気に伸びるのだと知りました。点数だけは、努力を認めてくれる。それを信じて頑張ってきました」

 開始2年で番組企画は終了したが、諦めきれず、3年目以降はプライベートで受験勉強に励んだ。3年目の模試で最高点の698点をたたき出して順調かと思いきや、その後は平行線。これまでに7回センター試験を受けたが、2次試験にたどりつくことなく落ち続けている。結局、「698点の壁」を超えることができなかった。

「ある一定まで伸びたら頭打ちになって、そこから伸ばすのは本当に難しい。野球でいう“地肩”の問題なのかもしれないですね。僕に大谷翔平の肩があれば、と思うのです。入試では解く速度も必要ですが、僕は暗算ができないんです。10代からちゃんと勉強していれば……」

 特に、数学の壁が厚かった。

「数学IAまでは努力で補えますが、数学IIBになって3次関数や空間の計算が入ってくると、理系の地肩が必要。いつまでたっても解くことができず、悔しかったですね」

 山田を指導した家庭教師は、現役の東大生だった。現役東大生と接するなかで、頭脳の「差」を痛感したという。

「東大に入れるような頭のいい人は、生まれ持った素質がある人が多いと感じます。彼は受験生の時、予備校に行かずにセンターで900点中898点を取るような子。僕を教えるために、履修していなかった地学を2日間勉強しただけでマスターしてしまった。天才なんですよ」

 山田が受験に臨んだ期間は、46歳から53歳までの7年間。その後は勉強時間の制約があるため、受験がかなわずにいる。『かたりのせかい』(ライフワークである語り芸)を手掛けるようになり、勉強時間の確保ができなくなったためだ。

「勉強もしないで“出場”だけするのは、頑張っている受験生たちに対して失礼だと思ってね。ただ、60歳になった今も、チャレンジしたいという思いは消えていない。数学の参考書も、まだずっと取って置いています。大事なのは、諦めないこと。僕に足りない“地肩”の部分をどう補うか、模索していきたいですね」

 山田のほかに東大に阻まれ続けているのが、タレントのラサール石井(65)だ。2010年から受験勉強を始めたが、8回連続で落ちている。

 彼をかき立てるものは何なのか。ラサールは高校時代、東大受験に失敗した苦い過去がある。通っていたラ・サール高校(鹿児島県)は、東大合格者数ランキングでも上位に食い込む、屈指の名門校だ。

「僕は落ちこぼれでしたが、1次試験がマークシート式だったので、運よく通過できた。それで、いけるんじゃないかと。でも、2次はさっぱりわからない。国語の長文を読んでうたた寝してしまうほどでした」

 結局、早稲田大学に進学。だが芸人として成功してからも、受験に再チャレンジしたいという思いは募っていたという。そして55歳ごろから一念発起して、人知れず勉強を続けてきた。

「仕事があるのでまとまった時間の勉強はできません。それでも5年ぐらい続ければ何とかなるんじゃないかと思っていましたが、甘かったですね。あれから10年ほどたちましたが、毎回、センターの壁に阻まれています」

 600点を境に、なかなか点数が伸びなくなったという。

「限界なのかな、と感じることもあります。覚えが悪く、解くのにも時間がかかる。老眼で字も読めない。読解力も落ちていて、すべての問題を解き終わることができないんですよね……」

「バランス」の観点からも、東大受験の難しさを語る。

「ほぼ全科目で8割以上とらないといけません。東大受験は1科目だけが得意だからといって、通用する世界ではないんです。僕は昔から理数科目が苦手で、生物や数学の『確率』がなかなか克服できずにいます」

 今後も挑戦は続けるという。

「毎年、東大の2次試験の日は、かならず空けるようにしています。センター試験から共通テストに変わったので、しばらくは苦戦を強いられるとは思いますが、まずは2次試験にたどり着けるようにしたいですね。勉強は趣味として楽しんでいるので、苦労はありません。受かったら、ですか?もちろん通いたいですよ!」

 受験に対して前のめりな2人。その一方、「東大は雲の上。まったく届かなかった」と振り返るのは、お笑いタレントの坂本ちゃん(55)だ。

 受験勉強に励んだのは約21年前。かつて放送された「電波少年」シリーズ第2作『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)の企画で、2000年に東大受験に挑戦。日光江戸村の一室に幽閉され、約8カ月間、毎日10時間以上勉強漬けの日々を送った。

「部屋に閉じ込められ、外の情報を一切シャットアウトされるような徹底ぶりでした。今のステイホームよりも、さらにきつい。今思えば誘惑もありませんし、集中できてすてきな環境でしたね。私はドMでしたから……(笑)」

 そんな坂本ちゃんの行く手を阻んだのは、やはり数学だ。

「学生時代から数学が駄目で、受験勉強が始まった時は、小学校の算数のレベルでした。引き算も、15−7を、指を使って解いていました。頭の中が理数系の頭じゃないんでしょうね、いくら教わってもダメだった。最後の最後まで、数学が足を引っ張って駄目でしたね。途中で東大の過去の数学の問題をみせてもらったんですが、分からなすぎて、別世界のものみたいでした。半年ではとても無理でしたね」

 本番の緊張感にも打ち勝てず、結局、数学IAは30点、IIBは43点。英語も本番ではボロボロで、86点しか取れなかった。

「足きりもいいところの、最低な点数でした。夏からずっと部屋に隔離されていたので、半年ぶりに外に出て受験会場で大勢の人を見たときに、雰囲気にのまれてしまった。とてつもない緊張感で、頭の中も真っ白。とても解ける状況ではなくて、時間ばかりが過ぎていったのを覚えています」

 坂本ちゃんは高校時代の受験で“全落ち”し、進学を諦めた過去がある。大学に対する憧れにも似たコンプレックスを抱き続けてきたわけだが、東大に対しては、別の思い入れがあった。

「上京したばかりの32歳のころ、東大の生協でアルバイトをしていました。三四郎池や、歴史ある建物……独特な世界観のある学校で、散策しているだけでうっとりしちゃって。今も時々自転車で行ったりしていますが、いつも私にとってはスペシャルな場所。いまだに憧れちゃいますね」

 受験自体は挫折に終わった形だが、無駄にはならなかったという。

「知識が増えていくのは楽しかった。あの受験がきっかけで、私の人生が変わりました。挫折も含めて、パズルのように人生がつながっていったんです。受験に感謝。東大に感謝です!」

“東大の壁”に阻まれた3人だが、共通して口にしたのは「勉強は楽しかった」という言葉だ。近い将来、彼らの中から合格者が出る日が来るかもしれない。

(取材・文=AERA dot.編集部・飯塚大和)