違和感たっぷりのラップを繰り出す高木晋哉さん(40)とツッコミの池谷和志さん(40)のコンビ「ジョイマン」。2008年頃から日本テレビ「エンタの神様」などで一気にブレークしましたが、いつしか“一発屋芸人”にカテゴライズされるように……。ただ、今年に入り、衣料用洗剤「アリエール」、先月からはハンバーガーチェーン「モスバーガー」のCMに相次いで出演。ここに来ての再ブレークしたその理由とは?


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高木:我がことながら、これだけ胸毛丸出しのヤツが洗剤とか食品のCMに出してもらえるなんて、本当に勇気あるオファーをいただいたなと思っています(笑)。

池谷:2月にお話があったんですけど、撮影当日までドッキリだと思っていましたからね。2008年以来13年ぶりのCMで、二人とも、もう40歳になってますから。そんな中で、2社続けて。そりゃ、ドッキリだとも思います。

高木:数年前から、自虐ネタみたいな流れもあって、少しずつお仕事が増えてきたりはしてたんですけど、今は新型コロナ禍でまた苦しくなってました。ただ、一番苦しかった時となると、具体的に思い浮かぶ期間が明確にありまして。11年からの4年ほど。この時期は本当に大変でした。

池谷:08年ごろにはたくさんお仕事をいただいたものの、そこから少しずつ減っていき、本当に仕事がなくなったのが11年。基本的には何も仕事がない。たまに入るのが一発屋芸人として、最高月収と最低月収を言って帰るという仕事。毎回、その内容でした。もちろん、それもお仕事としてはありがたいんですけど、たまにそれがあるだけの日々。その時期は確かにしんどかったですね。アルバイトもしてましたし。

高木:僕はその時期に、ブログでポエムを書き始めたんです。というのも、何か日々の仕事の話を書きたいんですけど、仕事がないので書くことがない。本当だったら「今日はフジテレビで〇〇の収録でした!」みたいなことを書けたらいいんですけど、ウソを書くわけにもいかないし、何もない中で何だったら書けるのか。それを考えて思いついたのがポエムだったんです。そんな中で書いているポエムなので、相当、暗くて、痛々しいことも書いてたと思うんですけど、それでも何もせずに陰鬱としているよりはずっとマシと言いますか。

池谷:周りの芸人さんからも「大丈夫なのか?」とこっそり僕に尋ねられるくらい、なかなか闇のあるポエムでもありましたけどね。

高木:ただ、ある日、ライブ終わりに出版社の方が来てくださったんです。ブログを見てくださっていて「詩集を出しましょう」と。結果、2013年1月に本当に詩集を出していただきました。これはうれしかったです。こんな中でも、何か動いていれば見てくれている人はいるんだと。

池谷:僕はその時期に、学生時代からあこがれていた「ナインティナイン」さんの岡村隆史さんと接点ができまして。ありがたいご縁が心をつなぎとめる糸になりました。僕らが一発屋みたいな扱いを受けるようになってきた頃に「ぐるぐるナインティナイン」(日本テレビ)のロケに呼んでもらったんです。

 ロケ終わりに食事に行かせてもらったんですけど、そこで僕が岡村さんと同じメニューを注文したんです。その料理が一つ運ばれてきた。当然、先に岡村さんに食べてもらおうとしたら「エエから、先に食べや」と言ってくださって。恐縮しながら箸をつけたら「食べんのかい!」とノリでイジってくださったんです。憧れていた方からイジってもらっている。それだけでもたまらない時間だったんですけど、その流れのイジリをしこたました後で、岡村さんがポロッとおっしゃったんです。「好きやねんなぁ」と。ご飯を食べている中での、ちょっとした一言。

それだけのことなんですけど、それがすごくうれしくて胸に刺さりました。昔から見ていた人から「好き」と言ってもらう。これって、すごいことだなと。

 そこからラジオにも呼んでもらったり、いろいろとお世話になっていくんですけど、全てがありがたいし、うれしいし、こんなことがあるこの世界が素敵だなと。あの「好きやねんなぁ」は忘れられません。今、しゃべってても、涙が出てきそうになるくらい。芸人をやってて良かった。続けたいと思いました。

 高木:そんなこんなでなんとかやってきたんですけど、3年ほど前、娘の小学校にネタをしに行ったことがあったんです。小学校の文化祭で、地域に住んでいる文化的な人を呼ぶという企画があって、娘がその年から入学したこともあって僕らが呼ばれたんです。

池谷:普通の舞台じゃないですからね。娘の小学校で、しかも、入学してすぐのタイミング。もしスベったら、6年間ずっと言われかねないですから。相方ながら、よく引き受けたなと。

高木:お断りして「『ジョイマン』は断った」ということを残すのもイヤですし、そのことが変な伝わり方をして、娘に変な作用を及ぼすのもイヤでしたし。だったら、道は一つしかない。引き受けて、ウケるしかない。
もちろん、なかなかのハードルではありますけど(笑)、絶対に勝つしかない戦いで勝つ。そうするしかないと思ったんです。

そして、当日。すごくウケました。

 僕らがテレビに出ていた頃はまだ生まれていない子たちがほとんどだったんですけど、そこにウケた。それは芸人として純粋にうれしかったですし、それが娘の学校でできた。そこも、もちろん大きかったです。

 娘はナナ(本当は漢字表記)という名前なんです。ネタの中の「ナナナナ〜」という部分から取ってつけました。そういう文脈があるので、娘に「自分の名前がイヤだ」とは思ってほしくない。娘と娘の友だちの前でネタをやることで、そして、ウケることで、自分の名前に胸を張ってほしかったというのもありました。

 そうなると、ますますスベれなかったんですけどね(笑)。そして、その日を境に、自分の中でもしっかりと仕事に胸を張れるようになったと感じています。

それ以来、ネタをするにしても意識が変わりました。

娘は自分の名前がナナだから、お父さんは「ジョイマン」として「ナナナナ〜」というネタをしてると思っているんです。自分の名前が先で、ネタが後だと。

 本当の流れは逆なんですけど、それが僕にも浸透したというか、今は「ナナナナ〜」とネタで言ってると、娘の顔が思い浮かぶようになりました。

  娘の力を背負って、力を借りて、ネタをやっているような感覚になったんです。それくらいから、不思議と少しずつ仕事も上向きになってきたような気がします。

 今、出してもらっているCMを娘の友だちが「見たよ」と言ってくれているそうで。そんな話を聞くと、何と言うんですかね…。ま、本当にうれしいもんだなと思いますね。

池谷:…そうなると「ナナナナ〜」の後に僕が言う「なんだこいつ!」が、すごく言いにくくなりますね(笑)。そんな思いでやってるのを知らなかったので。優しさが求められる今のご時世、僕が悪者になりますもんね。いや、もう、やりにくくてしょうがない!これはね、完全に、聴かなきゃよかったです(笑)。

(文と写真・中西正男)

■ジョイマン
1980年8月18日生まれの高木晋哉と81年2月18日生まれの池谷和志が2003年にコンビ結成。ともに神奈川県出身で中学のバスケットボール部の同期として出会う。08年頃に日本テレビ「エンタの神様」やフジテレビ「爆笑レッドカーペット」などで注目され、一躍ブレーク。その後、ネタ番組の減少とともに仕事量が減り“一発や芸人”にカテゴライズされるようにもなるが、17年にテレビ朝日「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に高木が出演して現状を赤裸々に告白した頃から、自虐ネタも武器に露出を増やしていく。今年に入り「アリエール」「モスバーガー」のWebでのCМに出演する。高木は10年に結婚し、11年に長女が誕生。池谷も20年に結婚した。コンビのYouTubeチャンネル以外にも「よしもと中尾班YouTube劇場」にも出演している。