5月31日に「明日のたりないふたり」というライブが行われた。このライブの主役である「たりないふたり」とは、南海キャンディーズの山里亮太とオードリーの若林正恭による漫才ユニットである。2009年から彼らはライブやテレビ番組で漫才を披露してきた。



 今回のライブを最後に彼らはユニットを解散することを発表していた。新型コロナの影響でライブは無観客で行われ、その模様は有料で生配信された。彼らは1時間半を超える長尺の漫才を披露して、12年にわたる「たりないふたり」の歴史を締めくくった。

 たりないふたりが生まれたのは、のちにテレビ番組化もされたお笑いライブ「潜在異色」からだった。その頃の山里と若林は、コンビの中で地味な方だと思われていて、テレビでも思うように結果を出せていなかった。

 人見知りでひねくれた性格の2人は、明るく華やかな芸能界の空気に馴染めず、人知れずストレスを抱えていた。そんな彼らは、先輩からの飲み会の誘いをどう断ればいいか、といった話で意気投合して、そんな自分たちの社交性が足りない部分などをネタにして、ライブで披露するようになった。こうして「たりないふたり」というユニットが生まれた。

 その後、たりないふたりはシリーズ化される人気プロジェクトとなった。最初の頃は、実力派漫才師である彼らが、自分たちをネタにしてアドリブ混じりの新しい漫才をどんどん作って見せていく、正統派のお笑い企画という感じだった。

 そこから次第にドキュメンタリーの要素が前面に出てきた。回を重ねるにつれて、彼らの芸能界での地位が上がり、立場も変わっていき、プライベートでも結婚などを経験することで、少しずつそれぞれの考え方や生き方も変わっていった。それに伴って、彼らの関係性も変化した。それが漫才やトークの内容に反映されるようになり、生き様を見せるエンターテインメントとなっていった。

 自分たちの「たりなさ」をネタにするのは一種の自虐芸である。特に、山里は普段から自虐芸を専門にしており、自分の欠点をあえて見せることで、いじられているようでいじらせているという高度な「関節技」で笑いを取ることを得意としてきた。

 だが、結婚を発表したあたりから、山里の自虐芸に世間から疑問の声が投げかけられるようになった。いまや山里は多数のレギュラー番組を抱え、誰もが知る有名女優を妻に持つ「人生の成功者」というふうに見える。そんな彼が自分を蔑むようなことを言っても、それをしらじらしく感じてしまう人がいるのも無理はない。

 今回の「明日のたりないふたり」では、まさにそのテーマが扱われていた。たりないふたりは芸能界の出世の階段を駆け上がり、本当に「足りて」しまったのか。これからどうやって生きていけばいいのか。

 テレビなどで見る限り、結婚後も山里の芸風に大きな変化はない。持たざる者から持つ者になっても、人間の性根の部分は変わらない。もともとその変わらないところが「たりない」と呼ばれていたのだろう。

「女優と結婚したからもう満たされているだろう」という常識は、山里という怪物には当てはまらない。むしろ、結婚したのに、それでも他人に嫉妬し続け、毒を撒き散らす生き様こそが、本当の意味で「たりない」ということなのだ。

 若林は、相方として山里のそんなたりない部分に真正面から切り込み、問題の本質をえぐり取ってみせる。そして、返す刀で自らの生き方にも目を向け、心の腫瘍を摘出していく。

 このライブでは、彼らが普段のテレビの仕事では見せないような部分まで赤裸々に公開していた。それは、配信チケットを購入して、たりないふたりをここまで追いかけてきたファンに対する最大級のファンサービスだろう。

「たりなさ」を更新し続ける40代の2人が魂を削り合う漫才は、スリリングな面白さに満ちていた。ネタバレは控えるが、特にエンディングの演出は圧巻だった。

 6月5日現在、「明日のたりないふたり」の配信チケットは販売されており、見逃し配信で視聴することもできる(Huluストアなどで6月8日23時59分まで見逃し配信中)。

 上質な漫才ライブでもあり、胸に刺さるドキュメンタリーでもある。このライブの面白さは実際に見た人にしかわからない。満ち足りない思いを抱えるすべての人におすすめしたい。(お笑い評論家・ラリー遠田)