カンレキでなお絶好調! 田原俊彦さんが、自身の60歳記念ソング「HA−HA−HAPPY」を携え、「週刊朝日」での作家・林真理子さんとの対談に初登場。「カモン!」と決めるポーズがカッコいい! 実は同郷の「トシちゃん」とマリコさん。ちょっとオーバーヒート気味の、最高にハッピーな対談をお届けします。

【田原俊彦 周囲に怒られても役者は「主役じゃないとやんない」理由】より続く



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林:デビューして、もう何年でしたっけ。

田原:今年で42年です。

林:「金八先生」はいくつのとき?

田原:18歳です。甲府工業を卒業して。僕、ちゃんと卒業してるんですよッ! アハハハハ。

林:高校生のとき、もうテレビに出てたと思ったけど。

田原:高校の3年間はレッスンに通ってました、甲府から東京に。

林:田原さん、ジャニーズにスカウトされたんじゃないんですよね。

田原:僕、乗り込んでいったんですよ、ジャニーズの事務所に。ふつうは履歴書送って結果を待つじゃない。でも、そんなの面倒くさい。まず行って、俺を見てもらって、「どうですか。採用していただけますか?」っていうほうが手っ取り早いなって思って、高校1年生の夏休みに行ったんです。

林:高校1年生のときに一人で?

田原:そうそう、山梨から見たら東京ってヤバイじゃないですか。東京って山梨の隣なのに、どんだけ遠いんだよって感じで。

林:そう、山を越えれば東京なんだけど、近くて遠いんです。

田原:たまたま友達に、中卒で東京のすし屋に就職したのがいたんです。そいつと新宿で待ち合わせて、地下鉄を乗り継いで六本木に行って、地図を見ながら歩いて飯倉片町に行って、「ここだ!」って。真夏の8月、夏休みの終わりごろ、真っ赤なトレーナー着て、これ見よがしに事務所の前を行ったり来たり10往復ぐらいして。

林:山梨のアンチャンですよね。

田原:そう。そうしたらやっと事務所の人が声かけてくれて。「俺に気がつくの遅い!」と思ったんだけど、「何してるの?」って言われたので、「山梨から出てきました。ジャニーズ事務所に入りたいんですけど、ジャニー(喜多川)さんいますか?」って聞いたんですよ。そしたら、ジャニーさん、その日は日劇で「ウエスタンカーニバル」をやっていて、「そこにいるから行きなさい」って言われて、その場でタクシーに乗って……。

林:タクシー代、あったの?

田原:たぶんくれたと思う。

林:山梨から来た赤いトレーナーのアンチャンに、「行きなさい」ってタクシー代出してくれたんだ。

田原:その人、秘書の方で、けっこう力がある方だったんですよ。「今からこういう子が行くから見てやってください」って電話してくれたみたいで、有楽町の日劇の楽屋口でジャニーさんと初めてお会いしたんです。

林:なんて言われたんですか。

田原:「僕、いま忙しいから、ショーを見てなさい。2階の席、空いてるから」って劇場に入れてもらったんです。ショーが終わったら、近くの洋食屋さんでナポリタンをおごってもらって、「ユー、何になりたいの?」「僕、スターになりたいんです」「じゃ、来週からレッスンに来なさい」って。

林:そんな話ってあるんだ。それだけの自信があるってことは、たとえば中学生のときに女の子にすごく騒がれたとか、学校で人気者だったとか、何か成功の記憶があったわけでしょう?

田原:なんとなくね。バレンタインとか、けっこうもらえてるなっていうのはありました。いつもチャリで学校通うのに、バレンタインが近くなると、わざわざ電車で行って、駅で待っている山梨英和の女の子にチョコレートもらったりして。アハハハハ。けっこう目立ってました。校則も気にせず、カッターシャツにミッキーマウスのワッペンみたいなのをつけて学校に通ってましたからね(笑)。

林:山梨では目立ってるんだという自信があったんですね。

田原:ジャニーズの人ならみんなそれなりにあるんでしょうね、選ばれし人っていう気持ちは。僕、母子家庭で、姉2人、妹1人の4人きょうだいで、何となく甲府工業に入って、将来何になるんだろうって、あまりイメージを持てなかったんですよ。だから、経済的余裕もないから大学なんて行けないし、サラリーマンになるのかな、なんて漠然と思っていました。

林:そうなんですか。

田原:でも、そこからジャニーズに入ろうと思ったのは、女きょうだい3人の影響が大きいと思います。たとえば、家でテレビのチャンネル権、負けるんですよ。女の子ばっかりだから。

林:ええ、ええ。

田原:野球見たいのに歌番組とか見てて、「ジュリー!」とか「ひろみ〜!」とかワーキャー騒いでるから、「俺、この中に入って暴れたら、山梨の田原俊彦じゃなくて、日本の田原俊彦になれるな」って、勘違いでそう思ったんですよ。

林:おー、すごいな。日本全国、何十万人もそう思う人っていたと思うけど、実際にそうなった人は数人しかいないんじゃないかな。東京のレッスンには「あずさ」(特急)で行ったんですか。

田原:行きは「かいじ」(急行)で、帰りは「あずさ」でしたね。レッスンを受けてるジュニアの子たちをジャニーさんが新宿まで連れてきてくれて、新宿駅のホームで「バイバイ」って別れて、僕は「あずさ」に乗って帰るんです。ジャニーさんがチケット買ってくれて。

林:グリーン車?

田原:グリーン車のチケット、買ってくれました。

林:それはスター候補だから?

田原:たぶんそうなんでしょう。アハハハハ。何か感ずるものがあったんじゃないですか。そのぐらい僕にかけてくれたんだと思う。

林:そしたら突然「金八先生」に起用されて、「たのきんトリオ」になって。あれよあれよという間にすごいことになっちゃったわけですよね。自分でもびっくりしたんじゃないですか。

田原:ワーッと盛り上がって、ワーッと騒がれて、わけわかんなかったです。それまではツイスト、サザン、ゴダイゴという3強が音楽シーンを席巻していて、もちろん先輩の(西城)秀樹さん、(野口)五郎さん、(郷)ひろみさんがいて、その上に沢田(研二)さんがいたんだけど、1980年に僕と(松田)聖子ちゃんが出てきて、あそこから今につながったと言ってもいいぐらいですね。

林:あのころの人、今も活躍してるからすごいですよね。聖子ちゃんもひろみさんも。

田原:沢田さんもね。まだコンサートやりまくってるし。

林:黄金時代を築いた人はすごいなと思う。

(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)

田原俊彦(たはら・としひこ)/1961年、神奈川県生まれ、山梨県育ち。79年、ドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)でデビュー。共演した近藤真彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」と呼ばれ、人気沸騰。80年の歌手デビュー作「哀愁でいと」は75万枚を売り上げ、同年「ハッとして! Good」で日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。オリコンチャート1位獲得12回、ベスト10ランクイン38曲。以降、コンスタントにCD発売、コンサート開催と精力的に活動を続け、今月、77作目のシングルで、自身の60歳記念ソングの「HA−HA−HAPPY」をリリースした。

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※週刊朝日  2021年7月2日号より抜粋