「R−1ぐらんぷり2016」優勝を皮切りに、松本人志発案のアマゾンプライムの人気番組「ドキュメンタル」では史上初の3度の優勝、今春からは自身初となる地上波冠番組もスタートするなど、売れっ子芸人の仲間入りを果たしたハリウッドザコシショウ(48、以下:ザコシショウ)。福山雅治をはじめ著名人を過剰にまねる「誇張モノマネ」、「ハンマーカンマー」と連呼する「古畑任三郎漫談」などの特異な芸で知られる。しかし、これまでの活動は決して順風満帆だったわけではない。コンビ解散を経て、ピン芸人になった当初は、舞台に立つことさえ恐怖に感じたこともあるという。ザコシショウがこれまで歩んだ芸人人生とは?AERA dot.のインタビューに応じた。

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――「R−1ぐらんぷり2016」優勝は、芸人として転機になりましたか?

 もちろんです。当たり前ですが、めちゃくちゃうれしかったです。ただ、正直に白状すると、優勝したことよりも、これでやっと所属事務所である「ソニー・ミュージックアーティスツ(以下:SMA)」の主催ライブから解放されることのほうが実はうれしかったんですよね(笑)。

 SMAに所属する売れていない芸人は、事務所主催のライブに出演することが必須なんですが、あれに出演するのが、とにかく嫌で……。全然ウケない。ライブの人気投票で僕は1位を獲ったことが一度もないんです。僕はまったくファンサービスしないから、お客さんに相当嫌われていたんだと思います(笑)。

 だから、「R−1」で優勝したとき、舞台袖にチーフマネジャーがいたんですが、真っ先に確認しましたから。「もう僕は出演しなくていいですよね?」って(笑)。マネジャーもさすがに許可してくれました。

●「誇張モノマネ」は名刺代わり

――来月6日からは単独ライブツアーが始まります。ツアータイトルには「しょんべん」「尿道」「バアサンシュー」などの目を引くワードが並びます。過激な表現も飛び交うのがザコシショウさんのライブの魅力の一つです。

 過激といえば過激ですけど、過激じゃないといえば過激じゃない。僕の中では別に普通な言葉ですよ。テレビなどのコンプライアンスが異常なだけ。

 でも、最近はライブに来ている人の中にも、過激な発言を見つけたら、SNSなどですぐ拡散する人がいるから、昔よりはライブでも自由に発言しづらくなりました。公共の電波を使っているのならたたかれても仕方ないですけど、わざわざお金を払って、僕に何かを期待してくれるお客さんがいるライブの中での発言なので、そういうのはちょっと残念。それらも全てライブの醍醐味の一つと思って理解してくれるとありがたいんですけどね。今回のライブも新ネタばかりなので、来てくれる方はぜひ期待しててほしい。「誇張モノマネ」も新ネタをたっぷり作りましたし。1年分の「クレイジー」をお届けします。

――ザコシショウさんといえば福山雅治さん、キンタロー。さんなどの「誇張モノマネ」が人気です。

 レイザーラモンRGといえば「あるある」、永野といえば「ラッセン」のような、名刺代わりになるようなネタがないと芸人って売れることはなかなか難しい。そういう意味では、自分にも武器と呼べるようなネタが生まれてよかったなと思います。僕の名前は知らなくても「あ、誇張の人だよね」ってなりますから。

●方言のせいでまったくウケなかった若手時代「あのころの大阪は異常」

――そもそも、お笑いに興味を抱いたのはいつごろですか。

 小学2年生のころには芸人になりたいと思っていました。ドリフターズ、ひょうきん族、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンなどの代表的なお笑い番組は一通り全て見ていました。最も影響を受けたのは竹中直人さん。「東京イエローページ」という番組には感銘を受けましたね。ただ、僕はすごく内気な子だったので、人前で目立った行動をするとかはとくにしませんでした。

 初めてコンビを組んだのは高校生のとき。相方は同級生でした。当初は、ネタの作り方も全然分からなかったので、4コママンガみたいな絵コンテにして、ショートコントを作っていました。でも、人前でネタを披露したことはありませんでした。相方が、いじめられっ子だったので、不良がいると学校とかでもネタって披露しづらいじゃないですか。絶対に普通には見てくれないですから。僕が描いた絵コンテも不良にビリビリにやぶられたこともありますし。あれはむかつきましたね。僕は陰険なので一生忘れない(笑)。

――1992年に高校を卒業し大阪へ。同級生の相方と一緒にNSC(吉本興業の養成所)に入学します。活動はいかがでしたか?

 NSCに入って初めて人前でネタを披露したとき、同期の間での評判はかなりよかったんです。ただ、お客さんの前では一切ウケなかった。原因は、僕らの方言でした。当時の大阪のお客さんって、関西弁を使わない芸人に異常に冷たかったんです。自分の推しの芸人じゃないと一切笑わないっていう風潮も強かったですし。僕らは静岡出身なので、方言もきつかったし、まったく受け入れてもらえませんでした。あのころの大阪は異常でしたよ。東京や名古屋から名の知れたコンビが来ても、大阪では滑り倒すっていう光景は当時何度も見ていましたからね。

 一時は、大阪のお客さんの好みに寄せたほうがいいのかと悩んだこともありましたが、結局それは僕らにはできなかった。だから、最終的には、お客さんにムカついてきて、「どうせウケないなら嫌な気持ちにさせてやろう」と思ってやっていました(笑)。結局、そういう怒りの着火点が、今の芸風にもつながっているのかもしれません。王道の笑いが僕にはできなかったですから。特殊な芸風にいくしか他に道がなかったんです。

●舞台でブルブル震えた日も

――1999年にはNSCを辞め、拠点を大阪から東京へ移します。しかし、2002年にはコンビ解散。このときの心境を教えてください。

 本気で芸人をやめようと思ったのは、あのときが初めてです。一人になったら、舞台でしゃべるのが急に怖くなったんです。コンビって結局は二人の掛け合いじゃないですか。僕がセリフを言って、相方がセリフを言うっていう「間」がある。でも、一人になると、その「間」を詰めないといけなくなる。そのリズム感がまったくつかめなかった。ひどいときは、舞台でブルブル震えてしまって、セリフがまったく出てこなくなったこともありました。

 それに、東京に仲の良い友人もまったくいない状況で孤独だったというのもつらかったです。お笑いのことも、誰にも相談できなかったですし。人間って一人じゃ何もできないんだなっていうのをあのときに痛感しました。

――それでも芸人をやめずに続けてこられた理由は何なのでしょうか。

 SMAの事務所に入れたのが大きかったです。きっかけは後輩への電話でした。「今、SMAっていうゆるい事務所にいるんですよ」という話を聞いたんです。どうやら、ネタがなくても入れると(笑)。僕はそのときフリーで活動している状態だったので「俺も行ってもいいの?」と聞いてみたら「来てくださいよ!」と誘ってくれて。

 SMAには、どっかで失敗してきたようなやつらばかりが集まっていました(笑)。中には、僕がコンビで活動していた時代を知っていた後輩もいて、「ザコシショウさんじゃないですか! 僕も元吉本なんです。一緒に頑張りましょうよ」とか優しく声をかけてくれて。僕と同じような境遇のやつらばかりだったので、とても居心地がよかった。孤独を体験していたから余計にそう感じたんだと思います。

 僕はみんなより年上でしたけど、バイきんぐや錦鯉とか、後輩が慕ってくれるのもありがたかった。SMAに入っていなければ、芸人なんていまごろとっくにやめていたと思います。今の僕がいるのは、間違いなく、芸人の「仲間」のおかげですよ。

――「R−1」でブレークし、今春からは冠番組もスタートしました。

 ありがたいですね。ただ、「売れた」という感覚は自分には正直あまりないんです。本音をいえば、昔より多少はありますが、決してうかうかしてはいられません。後輩は僕の立場をつねに狙っているわけですから。

――これだけ多忙になっても、不安や焦りは尽きない?

 当然です。「R−1」にしても、毎年、必ず新しいチャンピオンが誕生するわけですから。世間って、やっぱり新しい存在に目を向けます。僕は2016年に「R−1」で優勝させてもらいましたが、翌年に同じ事務所の後輩のアキラ100%が優勝した瞬間、それを肌で感じました。だから、新しく出てくる存在と自分をいかに差別化していけるかをずっと意識しています。「消えないように」っていうプレッシャーはつねにあります。

 やっぱり、この世界って第一線で活躍してなんぼ、お客さんを笑わせてなんぼなんですよ。だから、毎年単独ライブだってやるし、新ネタも考えるし、13年前からYouTubeの更新も一日も休んだことはありません。YouTubeに関しては「たまには休めば?」って指摘されることもあるんですけど、休むと、1年前の自分よりつまらなくなってしまうような気がするんです。だから、続けないと逆に不安になってくる。お客さんは、新しいネタをつねに求めてきますから。この世界にいるかぎり、あぐらなんてかいている暇はありませんよ。

■ハリウッドザコシショウ/1974年生まれ。静岡県出身。1992年に大阪NSCに11期生として入学し「G★MENS」として活動。同期は陣内智則、中川家、ケンドーコバヤシなど。2002年にはコンビ解散、ピン芸人として活動を始める。「R−1ぐらんぷり2016」ではノーシードから優勝。アマゾンプライムで配信中の番組「ドキュメンタル」では史上初のV3も達成。2022年4月から始まった自身初の地上波冠番組「凪咲とザコシ」ではNMB48・渋谷凪咲とともにMCを務める。8月6日からは「ハリウッドザコシショウのミニ単独ライブシリーズSEASON【13】ツアーしょんべん」がスタートする。

(構成・聞き手/AERA dot.編集部・岡本直也)