西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。帯津氏が、貝原益軒の『養生訓』を元に自身の“養生訓”を明かす。

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【貝原益軒 養生訓】(巻第六の29)
保養の道は、みづから病を慎しむのみならず、
又、医をよくゑらぶべし。
天下にもかへがたき父母の身、わが身を以(もって)、
庸医(ようい)の手にゆだぬるはあやうし。

 益軒は養生訓の巻第六のなかに「択レ医」という項目を設けて、医者を選ぶことの大事さを説いています。それだけではなく、どういう医者が良い医者であり、悪い医者はどこがダメなのかについても、繰り返し語っています。「択医」の冒頭は次の言葉で始まります。

「保養の道は、みづから病を慎しむのみならず、又、医をよくゑ(え)らぶべし」(巻第六の29)。自分で病気に気をつけるだけでなく、良い医者を選べというのです。続けて、かけがえのない父母や自分を庸医(やぶ医者)の手にゆだねるのは危ない、そういうことは父母には不孝で、子や孫には不慈悲だと言い切っています。

 また、「医をゑらぶには、わが身医療に達せずとも、医術の大意をしれらば、医の好否(よしあし)をしるべし。たとへば書画を能(よく)せざる人も、筆法をならひしれば、書画の巧拙をしるが如し」(同)とも言います。つまり、医者を選ぶには、医術の大体を知っていることが必要だというのです。それは、筆法を学んで知っていれば、書画の巧拙がわかるのと同じだというわけです。

 今ではインフォームド・コンセントという言葉が使われるようになり、患者自らも医療の内容を理解して、患者の側から治療法を選択するようになってきています。益軒は江戸時代にすでに、患者が医術を知ることの大事さを説いているのですからさすがです。

 益軒は良い医者と悪い医者、君子医と小人医という言い方で区別しています。

「君子医は患者さんのために働く。人を救うことに専念するのである。一方、小人医は自分のために医業を行う。わが身の利欲をむさぼって自分の身を肥やすことに専念して、患者さんを救うことは二の次だ。医は仁術というではないか。人を救うことを旨(むね)としなければならない。(中略)人の命は極めて重い。病人を決しておろそかにしてはならない。これこそ医師たるものの本分である。小人医は、その医術の評判が高くなれば、誇り高ぶって、ややもすると貧賤なる病人をあなどるものだ。これこそ医の本分にもとること、はなはだしきものだ」(巻第六の34)

 益軒先生、医者の良し悪しについては、ずいぶんとはっきり色分けしたものです。江戸時代は、こうした勧善懲悪の考え方が、実践されていたのでしょうか。

 現在の医療もまだまだ理想には程遠いのですが、小人医のような人は、あまりいないでしょう。ただ、残念なことに、患者さんの抱く生きるかなしみに思いを馳せ、そっと寄り添う医師が少ないことは間違いありません。本来、医療とは人間同士が互いに寄り添う行為としてあるべきなのです。益軒はこうも言っています。

「医は、仁心を以て行ふべし。名利を求むべからず。病おもくして、薬にて救ひがたしといへども、病家より薬を求むる事切(せつ)ならば、多く薬をあたへて、其心をなぐさむべし」(巻第六の45)

 益軒はやはり医のなんたるかをよくわかっています。

※週刊朝日 2017年7月28日号