元朝日新聞記者でアフロヘア−がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 会社を辞めることを考え始めた時、当然ながら最も不安だったのはお金のことだったのですが、それをもう少し下世話に表現すると「生活レベルが落ちる」。私は果たしてそれで平気なのか。こんなはずじゃなかったと思って生きるくらいなら辞めないほうがいいのです。

 で、こういう時大切なのはなんたって「イメージ」ではないでしょうか。人様にどう見られようが肝心なのは自分の心持ち。惨めなんかじゃないもん!と心から思うことができたなら、何も恐れることはなかろうに。

 実は私には、ある勝算がありました。

 それは大好きな時代劇を見ていてひらめいた。ベタな時代劇に必ず登場する貧乏長屋。それはもうえらく狭くて質素なのに、なーんか悪くないよなあと思えたんですね。

 なぜだろう。もしや……インテリアの統一性?

 時代劇だから当たり前なんだが、家も家具も自然素材。で、家も古けりゃ道具も古い。つまりはどれもがめちゃくちゃ使い込まれている。貧乏という設定ゆえなんだけど、継ぎだらけの布団で病気のおっかさんが咳き込み、その娘が真っ黒なタライで絞った手ぬぐいを母の額に置く図なんぞ、なんとも絵になる佇まいである。何しろそこには無駄というものがない。
 で、当時の我が高級マンションをぐるりと見回した。

 いやー統一性ゼロ(笑)。それなりにお金をかけたはずが、思いつきで買ったり頂いたりした食器やらポスターやら置物やらが惰性で蓄積され、ほぼほったらかしである。

 何しろ一人暮らし。しかも仕事だなんだと外出してばかり。つまりは家にほとんどいないのにモノばかり増やしてきた。そうして手をかけられぬモノたちは、いつまでたってもバラバラである。

 そう気づいた時、ヨシいけると思いましたね。モノを減らすことと生活レベルの低下には実は関係がないのかも。きちんと使い込むことが暮らしの美しさを生むのなら、むしろモノは多すぎてはいけないのかも。(続く)

※AERA 2017年7月24日号