歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。

『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、早川教授が診断した、ローマの英雄カエサルの病を紹介する。

*  *  *
【カエサル (紀元前100〜紀元前44年)】

君主たるもの国民に「愛されるより恐れられるほうが安全である」とは、かのマキャベリの言である。なぜなら人間は利己的で偽善的なものであり、従順であっても利益がなくなれば反逆するが、恐ろしい君主には歯向かわないからだという。21世紀になってもこの原理を守っているかのような指導者がいるが、マキャベリが真に理想としたのは絶大な政治力と指導力、さらに軍事的才能と文才に恵まれたローマの英雄カエサルである。

 紀元前100年、ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Julius Caesar)は同名の父と母アウレリアの間に生まれた。生家はローマの名門貴族だったが民衆派に近く、閥族派の独裁官ルキウス・コルネリウス・スッラに睨まれて亡命するなど、青年期は不遇だった。

 スッラの死後頭角を現し、最高神祇官、法務官と順調に出世を遂げると、40歳でオリエントの凱旋将軍ポンペイウス、スッラの後継者クラッススとともに三頭政治を結成、コンスル(最高執政官)に選任される。その後ガリアの属州総督として、海を越えブリタニアまでを征服し、紀元前52年には全ガリアを平定。しかし、この功に対し元老院とポンペイウスは総督解任と本国召還を命じる。カエサルは応じず「賽は投げられた」とルビコン川を越えてローマへ進攻、内戦に突入する。

 ポンペイウスを追ってエジプトに乗り込むと当地の政争に介入、クレオパトラを女王にし、北アフリカで抵抗を続けていた共和派の残党を討ち果たすと華々しくローマに凱旋、市民は彼を熱狂的に迎えたのだった。

 帝政を思い描くカエサルは終身独裁官に就任し、権力を一身に集める。しかし、これに危機感を覚えた共和主義者たちに暗殺される。最期の言葉はかの有名な「ブルータスお前もか」。


■神聖な病気

豊かな人間味で軍や人民に絶大な人気を誇ったカエサルではあったが、彼には困った持病があった。スエトニウス は『ローマ皇帝伝』で「晩年のカエサルは突然意識を失うことがあり、全身の痙攣発作が2回あった」としている。プルタークの『英雄伝』には「最初の発作はコルドヴァで起きた」「タルソスの戦いの時にはカエサルは陣中で指揮を執っていたが、発作の前兆を感じて馬をおり、病が過ぎるまで付近の塔の中で休んだ」と記される。

 てんかんは突然意識を失うことや前兆としての恍惚感や神秘体験からギリシア・ローマ時代には「神聖な病気」と考えられおり、ヒポクラテスが脳の病と指摘したが、原因は長く不明であった。1870年Jacksonが発作は脳の現象であることを、1929年にはBergerが脳の電気的異常であることを明らかにする。原因は様々であるが、神経細胞のある集団が一斉に同期化することを特徴とする。カエサルにてんかんがあったとすれば原因は何であったのだろうか。

■命びろい

 中高年期のてんかんは、外傷や脳血管障害の後遺症あるいは脳腫瘍などに続発するものが多い。戦場で過ごすことの多かった彼の場合、刀槍や投石などによる戦傷が原因となっている可能性は否定できない。ただローマ軍では総大将が陣頭に立つという習慣はなく、カエサルがそのような負傷を受ければ必ず記録に残っているはずである。脳腫瘍や脳動脈硬化、微小な出血や梗塞の疑いもある。協調的だった彼が晩年に性格が変わって独裁者となったのはこれらの器質的変化が根底にあった可能性も否定できないが、麻痺など神経学的症状の記録はない。

 カエサルとクレオパトラの息子カエサリオンにはてんかんの持病があったというし(そのためにインドへの亡命途中砂漠で倒れ、オクタヴィアヌスの軍勢に殺害された)、彼の一族であるローマ帝国第3代皇帝カリグラや、カリグラの従弟だったブリタニクスにも子どもの頃から発作を繰り返していたという記録があるので、家族性(遺伝性)ではないかという説もある。幼少期の発作の記録はないが、若年のカエサルは病弱だったので政敵スッラが殺害を思いとどまったという。そうなると、てんかんに命を助けられたことになるのかもしれない。

(メディカル朝日連載「歴史上の人物を診る」から)