働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。

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 東京、神奈川、千葉、埼玉をすべて足し合わせたのと同じぐらい広い福島県。そこを走り回った私の愛車は今も、2年近く暮らした福島市内の駐車場に置きっぱなしになっている。故障もしてないのにそこから動かないのは、それがグーグルのストリートビューの映像だからだ。

 スマートフォンの画面上を人さし指で移動していくと、私が勤めていた朝日新聞福島総局に着く。路上を掃いている顔見知りの中年女性の服装をみると、夏に撮影されたらしい。紙面や連載のことを考えるのがただ楽しかった日々がよみがえった。画面を閉じれば、目の前にはいつものベッドからの風景が広がる。だが束の間ひたった懐かしさはなかなか心を去らない。

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 都心部が気温7.2度と冷え込んだ先日。外気に触れる部分を少しでも減らそうと片方の目をつむり、寒さで半ばねじれた体で自宅に向かっていた。次のコラムのことを考えていて、バーチャルリアリティー(VR、仮想現実)はどうだろうとふと頭に浮かんだ。玄関前で愛車の実物の脇を通り抜け、ベッドにもぐりこんだ。1時間もたてば、大学時代にメディアのことを学んだ研究生仲間が忘年会に集まりはじめる。こわばった体をほどかなくてはならない。

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 訪ねてきた人としゃべる。文章を読み書きする。昔ほど出かけられないぶん、どちらも自分の「体験」を広げたり人に伝えたりするために欠かせない。そこにVRが加わったらどうかというのが、帰り道に思いついたアイデアだ。

 きっかけは前回のコラムだ。「病気」と闘っている実感はないと書いたところ、「亡夫が言えなかったことを書いていただいてありがたい。固定した闘病イメージにむしろ苦しめられる現実。少しでもズレが埋まれば」との感想が寄せられた。ただ、私たちと似た体験がなければ共感しにくいかもしれない。そこで登場するのがVRだ。感覚や感情に働きかける仕組みをつくれたら理解したい人には役立つのではないか――。

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 VRをめぐっては、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の報道に使えないかと福島時代に考えたことがある。「行政から指示が出ていなくても避難するか」「『もう住める』と言われたふるさとに帰るか」。被災した人たちが迫られた選択を時間軸に沿って追体験する仕組みをつくることで、福島以外で進む風化にあらがえたらと思った。

 それ以外にも、特殊な器具で視野を狭め、手袋で指先の感覚を鈍らせてお年寄りの世界を体験する学生のニュースを見たことがある。これも共感を生み、考えるための仕掛けだ。


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 そんなエピソードをスマートフォンでメモしはじめた直後にインターホンが鳴った。約束より30分も早く一人の後輩が現れた。「今から1時間かけて体を温めるつもりだったんだ。面白い話はあるのか」と文句をいった。ところが偶然とはあるものだ。私の配偶者のほうを気にしながら彼が切り出したのは、一種のVRの話だった。

 彼はこの日、東京・御徒町の歓楽街にある5階建てビルを訪ねた。いわゆる個室ビデオだ。案内された2メートル×3メートルほどの部屋でヘッドセットとヘッドホンをつけると室内の風景が消え、目の前に新たな世界が広がった。違うのは目と耳による情報だけだ。なのに、近づいてくる女性と目が合い、毛穴をのぞいているうちに、匂いまでするような気がしてきたという。

「怖いくらいに世界に入り込む」「没入感が半端ないんです」。彼は繰り返した。初めに受付で「知らない間に延長しないように気をつけてください」と言われた理由がわかったという。

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「野上君みたいに病気の人にはVRはすごくいいんじゃないの?」

 7人の仲間がそろってキムチ鍋と寄せ鍋をつつきだしたころ、大手出版社で編集者をしている女性が言った。自宅にいてもあちこちに行く体験ができるし、ふだんと違った感覚を味わえるから、という。確かにVRは小難しい使い方ばかりでない。後輩の例はちょっと極端だが、うまく使えば日常生活がより楽しくなるかもしれない。

 忘年会の音頭をとってくれた男性の「告白」には仲間がざわついた。色んなことで疲れた心をいやすために、毛足の長い「もふもふ」な犬の動画をユーチューブで午前3時まで見ているというのだ。「長い毛のついた置物をなでながら見ればもっといやされるのでは」。誰かが突っ込んだ。

 けっきょく3、4時間は騒いでいただろうか。彼らを見送り、静けさを取り戻した家で、病気のことをほとんど聞かれなかったのに気づいた。それぞれが人生の一幕を目に浮かぶように物語り、おかしみと少しばかりのさみしさを漂わせて去ってゆく。病気のことを一瞬だけ忘れてしまいそうな、VRのような一夜だった。