もはや、がんは不治の病ではない。働きながらがんと向き合う人たちもいる。彼らの体験談から働く環境に必要なことが見えてきた。



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 内閣府の「がん対策に関する世論調査」(2016年)で、仕事と治療の両立が難しいと答えた人のうち、「働き続けることを難しくさせている最も大きな理由」として一番多かった回答は、「代わりに仕事をする人がいない、または、いても頼みにくい」(21.7%)だ。

 13年に進行した「ステージIVa」のすい臓がんだと診断された関直行さん(41)の場合も、当時勤めていた会社に代打要員がおらず、「休業中に部下へ仕事のしわ寄せがいくのが、何よりの気がかりでした」と言う。

 管理職の関さんが任されていたのは、都心にあるビル管理会社の大きな支店。年間12億円の売り上げがあった。術前術後40日間の穴を、20〜30代の若い社員4人で埋めてもらわなければならなかった。

「僕の直属の上司が会社の専務で、さすがに仕事をお願いするわけにもいかなくて……。当時、10年以上のキャリアを積んだ人材が少なく、交代を頼めなかったのがつらかったです」

 入院中、24キロも痩せて体力もなく、しょっちゅう高熱が出ていた時期にも、部下からひっきりなしに相談の電話がかかってきた。横になりながら、スマホで大量の報告書に目を通した。点滴を付けたまま院内で電話ができるエリアに移動し、客先に謝りの電話を入れた。

 退院する直前になって、自分の仕事が割り振られて手いっぱいになっていた部下から、こう切り出された。

「もう、会社辞めたいです」

 いったんはとどまったが、関さんが会社に復帰して5カ月後、無理がこたえてその部下を含む3人が同時期に退社した。

 復帰当初は、抗がん剤を服用しており、通勤ラッシュを避けた時間帯に出勤することが認められた。残業も免除してもらった。だが、部下がごそっと抜け、仕事の補填(ほてん)と新人教育を引き受けねばならなくなった。通院の半休や時差出勤配慮があるという前提で、給料は1割減のまま。結局は、フルタイム勤務で残業もある状態に戻ったというのに……。

 一昨年、2人目の子どもが生まれるのを機に転職。同じビル管理業の仕事だが、新しい職場には、がんのことも全て伝え、

「子育ての手伝いもしたいので、定時に上がれる仕事を希望します」

 と正直に話した。特殊な業務を熟知している前職の経験が買われた。

「もちろん、がん治療中はフォーメーションを組み直して同じ職場で働き続けられるのが一番いい。でも、職場によっては、いくら期待しても、人繰りがかなわない場合もある。僕は若干、年収は下がりましたが、会社の理解度と働きやすさがあるから、今は転職して正解だったと思っています」(関さん)

 昨年、カルビー(東京都千代田区)の執行役員・人事総務本部本部長に就任した武田雅子さん(50)は、クレディセゾンに勤務していた36歳の時に乳がんを発症。治療と仕事を両立していた経験があり、人事のキャリアも長い。治療による休職時に、職場の人に自身の仕事を肩代わりしてもらうのを躊躇(ちゅうちょ)する人もいるという。

「私が担当するはずだった業務を上司が受け持ってくれ、急場をしのぐことができました。電話で主治医から告知を受け、すぐに受診しなければならなかったので。申し訳なさが先に立つ気持ちはよくわかる。女性が産休に入る時も同じだと思います。そういう方に、『あなたは今、これまでためてきた信頼貯金を使うタイミングなんですよ』と言うようにしているんです」

 ちょっとした「配慮」が、いい循環を生んだ事例がある。

 化粧品大手のコーセー(東京都中央区)の本社に勤める40代の女性は、16年に乳がんで片側の乳房を全摘した。

 女性は、抗がん剤治療の間はラッシュ時を避けて通勤するため、早朝の当番制の仕事に影響が出ることを考え、診断結果が出てすぐ、同じ部署の人にはオープンにがんのことを打ち明けた。治療の見通しも伝えた。ただし、抗がん剤で口内炎がひどくなったり、投与した直後に具合が悪くなったりした時は、変に気遣われないよう、人事部所属の保健師がいる医務室でつらさを打ち明け、時には小一時間休ませてもらうこともあった。

 半年に及ぶ抗がん剤治療と、手術によって失われた乳房を再建する手術を受け、約1年で大掛かりな治療を終えた。

 ちょうどそのタイミングで、社内の別の部署の女性が乳がんの治療を開始した。抗がん剤治療を受けても仕事が続けられるか心配だと、その女性が医務室で打ち明けたところ、悩みを聞いた保健師が、一足先に治療を終えた本社の女性社員に事情を話し、橋渡しをした。他部署の女性は、安心して治療に臨むことができ、仕事もうまく両立しているという。

 本社の女性は言う。

「その後、私と彼女と、それぞれが社内で見つけた、同じ時期に乳がんに罹患した社員ともつながることができ、4人のプライベートなつながりが生まれました。私は病院の患者会だと、価値観が違ってうまくつながれず、悶々(もんもん)としていたので、ありがたかったです」

 同じ病気や障害のある仲間同士で支え合う療法を、「ピアカウンセリング」という。コーセーでは、保健師の小さな働きかけが契機となり、「社内ピアカウンセリング」の輪が広がった。筆者は1月中旬の週末に、その集まりに参加させてもらったのだが、彼女たちの間で、抗がん剤で抜けた髪をカバーする「ウィッグ」の貸し借りをしていて、「妖怪毛ちらし」などと笑いあい、気兼ねないコミュニケーションをしている風景を目の当たりにした。

 前出の武田さんは、近年、育児や介護と同様、「がんと仕事」のテーマも、ライフコースで起こりうる「当たり前のこと」と捉えられるようになってきたのはいい兆しだと話す。

「治療で疲れている人にそっと『大丈夫?』と声をかけ休養を取ってもらうのは、『配慮』であって、制度じゃない。そうしたさりげない配慮が積み上がれば、その会社の『風土』になる。だから、特別な制度がなくても、そういう会社はうまく回るし、自然と病気のことも開示しやすくなりますよね」

(ノンフィクションライター・古川雅子、編集部・野村昌二)

※AERA 2019年2月11日号より抜粋