半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。



*  *  *
■横尾忠則「真夏の『復興五輪』、誰を復興させるの?」

 セトウチさん

 書簡第四便です。ついに毎年恒例の熱中症になって、本当にパタンと倒れてしまいました。原因不明で手の指の数本がひん曲ってしまって、あんまり痛むので病院でレントゲン撮影中に突然、過呼吸と熱中症が合体して起ったアクシデントでした。そんなわけで商売道具が使いものにならず、目下開店休業中です。

 そして翌日、箱根神社へお参りに行って、七福神のおみくじを引いたら、過去2回とも寿老人の小さい金銅仏が出たんですが、今回3回目、また寿老人。寿老人は延命長寿の神なので、大喜びしました。まあセトウチさんも生き寿老人なので、この往復書簡もきっと長寿連載になるんじゃないでしょうか。

 と、そこで寿老人の金銅仏で想い出したことがあります。ある日、セトウチさんが電話で、「四国にコンドームを収集している人がいるので見に行かない?」と誘われてどれどれと行きました。周囲をグルリと仏像ばかりで飾られた部屋に通されたけれど、そこの主人は一向にコンドームを見せてくれません。僕はセトウチさんを突ついて、小声で「早くコンドームを見せてくれと言って下さいよ」と催促すると、セトウチさんはアメ玉みたいな目をして、「あんた、今何言うたの?」。「だから、コンドームですよ」と答えると、セトウチさんは、クシャクシャの顔になって、「あなた、馬鹿ねえ、コンドームじゃなく、コンドーブツと言ったでしょ、見てごらん、この部屋全部が金銅仏じゃないの、ハッハッハッハッ」。

 前回の手紙でインドの海岸でセトウチさんが黒い学生用の水着になって浜辺を駆けて海に飛び込んだ話を書かれましたが、もう一度、見物したぼくの視点から描写しましょう。10代の女学生時代に走り幅跳びで鍛えた往年の肉体美をインド人衆目の前で「ジャ、ジャジャーン」とお披露目! 坊主頭にタオルを巻いた水着姿の日本の尼さんとは誰も気づかないけれど、何かが海に向って走った。「見た!今の?」とインド人の好奇の目が集中する。ケサ姿のセトウチさんを見慣れているわれわれツアーの人間もこの異界のようなサプライズ的パフォーマンスには、口は開いたまま。これは悟った人間でしか真似はできません。いまだに瞼の裏に強烈にあの南インドの日没寸前の夕日の中での光景が焼きついて離れません。

 異界の光景から、現実に視座を移しましょう。この夏の連日の暑さに、熱中症になったから言うのではないですが、来年の東京オリンピックの暑さ対策はできているんでしょうかね。この間、京都で38度、外国の観光客がへたばっていました。日本の気候状況を考えると、真夏に開催するという何かメリットがあるんですかね。

 関西の人に聞くと、オリンピックは全く盛り上ってないと言います。東京も組織委員会や一部のメディアがひとり盛り上げているだけで、僕自身は全く盛り上ってくれません。オリンピックがなぜ「復興五輪」になるのか、ちょっと理解できません。オリンピックでワーワー騒ぐことが福島の復興になると考えているんでしょうかね。このオリンピックで落ちるお金は福島ではなく、誰のところに落ちて、誰を復興させるんでしょう。

■瀬戸内寂聴「九十七歳に酷暑、さすがにこたえた」

 ヨコオさん

 何とまあ、この暑さ! 徳島生れ、育ちの私は、暑さには強い筈だけれど、今年のこの暑さは、さすがにこたえます。満九十七歳にもなって、干からびて、暑さなんかこたえないかと思っていたら、とんでもない!

「ああ、早く死にたい!」

 と叫んでしまう。人間は産れる時は母親の体内で、うとうとしているだけで、自分の存在の意味など、皆目わからないのでしょう。それともヨコオさんのような天才は、産れる前からの記憶があるの? もしあるなら、あなたが死ぬ前に、それを絵で描いておいて下さい。私は、あの世から必ずそれを見たいものです。

 この暑さで体も頭もボーッとしているので、生きているのか、死んでいるのかわからなくなりました。今年で九十八回めの夏を迎えたわけですが、こんなに暑さの体にこたえた夏はかってありません。出家して二、三年後、シルクロードの旅に加ったことがあります。その時、八月のど真中で、連日、シルクロードは三十八度以上でした。物好きな人々の集りで、みんなその旅ではじめて顔を合せたような人ばかりでした。中に、京都から来た六十前の夫婦者がいて、その二人は、「暑さよけ」という新製品のマントを持っていました。それを着た二人と歩くと、シャグシャグと乾いた音がうるさくてなりません。ちょっと貸してくれましたが、音がうるさくて、とても着てはいられなかった。

 九十七歳の私の経験した暑さは、その旅が最高でしたけれど、今年の京都の夏は、それ以上に感じます。

 子供の時は、夏はすっ裸になって、たらいの中に冷い井戸水を張って、しゃぶしゃぶしていたものです。夕方の行水は、同じたらいに湯を張って、姉と二人で浴びました。行水のあとは、天花粉で、真白になった体に糊のきいた浴衣を着せられ、姉は黄色、私は赤の三尺帯をふさふさお尻にゆらして、夜店をのぞくのが、最高の愉しみでした。並んだ屋台のアセチレンの灯の色と匂い…今想い出しても、胸がきゅっとします。九十何年も、昔、昔の夏の想い出です。

 早く遺言を書いてくれと、うちの会計士と、七十すぎたひとり娘が、しきりに迫ります。

 ヨコオさんはもう書いた? きっと、まだに決っている。ヨコオ夫人も超のん気屋さんだしね。でも、ヨコオさんは世界的な値打のある絵の作品が凄い財産だから大変よね。人ごと乍ら、案じられますよ。

 私は遺言を書かなければ、こわれたペンまで一人娘の理子のものです。もし、遺言を書けば、これを××会に、これを○○会にと書きつづけ、何もなくなってしまうかも……。文士の遺言の実物を私は見たことがあります。吉行淳之介さんのもので、いつも使用の原稿用紙一枚に、御本人の達筆の万年筆の字で、のびのび書いてありました。

 すべての動産、不動産は夫人に。

 文筆の権利は、すべて宮城まり子さんに。

 というものでした。それをこっそり見せてくれたまり子ちゃんの満足そうな笑顔を忘れられません。

 あ、また今夜も遺言は書き損ね。じゃ、またね、お休み。

※週刊朝日  2019年9月13日号