損傷した犬の中枢神経を、脱分化脂肪細胞「DFAT」から再生できる──。日本大学の杉谷博士元教授ら共同研究チームが神経細胞を作ることに成功した。AERA 2020年7月13日号から。



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 もし、ラブちゃんが二度と走れなくなっていたら──。

 大阪府在住の女性(40)は、想像するだけで胸が締め付けられるような気持ちになる。

 昨年、愛犬のダックスフント(当時4歳)が急に抱っこを嫌がるようになり、歩く時には後ろの脚がふらつくようになった。獣医師にかかったところ、診断は椎間板ヘルニアだった。幸いにして初期で、薬を飲んで安静に過ごすと、半年経つ頃には以前と同じように走り回れるようになった。

 人間の病気でも馴染みの深い椎間板ヘルニアは、動物の場合は犬に多く、ダックスフントやビーグルなど胴長短足の犬種に発症率が高い病気だ。

 背骨でクッションのような役割を果たしている「椎間板」が飛び出してしまい、神経を圧迫する。脚に麻痺が起こり、歩行が困難になったり、排泄のコントロールができなくなったりすることもある。ダックスフントなどは遺伝的要因もあり、突然発症することも多いという。

 女性の愛犬のように投薬治療でよくなることもあるが、手術が必要になる場合も少なくない。それでも回復が望めなければ、車いすを検討するほかない。愛犬にとっても、自由に走り回る愛犬の姿を見てきた飼い主にとっても、つらいことだ。

 だが、今後、この病気の予後が大きく変わるかもしれない。

 日本大学生物資源科学部獣医学科の杉谷博士元教授(現日本どうぶつ先進医療研究所所長)や中野令研究員らの共同研究チームが、犬の神経細胞を作ることに成功したのだ。

 神経を損傷し、動けなくなった動物を救いたい。そのためには、損傷した中枢神経を再生できないか。

 そう考えた中野さんが研究に着手したのは、2012年頃のことだ。

 一般的に、中枢の神経細胞は再生しない。だが、中野さんらは、「脱分化脂肪細胞(DFAT(ディーファット))」にレチノイン酸という物質を加えて長期間培養することにより、神経細胞を体外で作ることができることを突き止めた。

 研究に用いたDFATとは、同学部応用生物科学科教授の加野浩一郎さんと同大医学部教授の松本太郎さんが特許を取得した細胞だ。

 イモリのしっぽは切断されてもまた生えてくる。それは切断部分の筋細胞がこれまでの細胞の特徴を失い、別の組織となる線維芽細胞に変わることによる。

 哺乳類の場合、腕を切断すると、再び生えてくることはない。つまり、イモリのしっぽが持つシステムを持っていない。

 加野さんは、哺乳類の脂肪組織から分離した成熟脂肪細胞をフラスコ内で培養すると、線維芽細胞のようになり増殖を始めることを発見した。この“線維芽細胞(せんいがさいぼう)のようなもの”がDFATだ。

「DFATは不純物が少なく、動物の年齢の影響を受けずに健康な細胞を採取できます。今回の研究で、遺伝子をいじらなくても神経細胞へとリプログラミングできるようになりました。今までよりシンプルな方法で、臨床応用へ向かうことができるのです」(杉谷元教授)

 再生した神経細胞が本当に神経細胞としての役割を果たしているかについても、データを取ることができた。詳細は、科学と医学分野の論文を扱う科学雑誌「PLOS ONE(プロス ワン)」に掲載されている。

 今回の研究結果は、犬の中枢神経の再生医療、ゆくゆくは人間の中枢神経の再生医療に向けての第一歩だという。研究が進めば、従来の方法では回復が望めなかった椎間板ヘルニアや脊髄損傷などで苦しむ犬たちの救世主にもなりうる。さらなる進展に期待したい。(ライター・羽根田真智)

※AERA 2020年7月13日号