新型コロナウイルスのワクチン開発競争が加速している。米バイオ企業のモデルナが、7月27日から3万人を対象とした最終段階の臨床試験を開始。日本政府もワクチン確保のため、モデルナと交渉を進めている。



 ワクチンには、ウイルスそのものを使った従来型ワクチンと、ウイルスの遺伝情報の一部だけを体内に入れる遺伝子ワクチンがある。モデルナのワクチンは、遺伝子ワクチンの一つである「核酸ワクチン」だ。遺伝情報からたんぱく質をつくるのに重要な役割を果たす「メッセンジャーRNA」を投与し、ウイルスと戦う抗体を生成させて免疫反応を起こす。初期の臨床試験で被験者45人全員の抗体獲得に成功している。

 免疫にはそもそも、ワクチン接種や過去の感染によって体内でつくられる抗体がウイルスを排除する「液性免疫」と、免疫細胞のキラーT細胞やマクロファージが病原体に感染した細胞を直接攻撃する「細胞性免疫」がある。

 ナビタスクリニック理事長の久住英二医師が解説する。

「モデルナの核酸ワクチンは、液性免疫と細胞性免疫の両方を高めることがデータから示唆されています。(液性免疫の主役の)抗体が細胞に敵が侵入する前に打ち落とす“ミサイル”のような役割なら、細胞性免疫は細胞に侵入した敵を近距離銃撃で細胞ごとやっつけるのが任務。この二段構えで感染を防御するので非常に有効です。スウェーデンのカロリンスカ研究所の報告によると、抗体ができていない人でも細胞性免疫が新型コロナの感染を防御する可能性があることがわかりました。モデルナのワクチンは、この細胞性免疫を活性化する作用がありそうなので期待が持てます」

 米国でも感染拡大が止まらない。米政府は100億ドル(約1兆700億円)をかけて「ワープスピード作戦」と名付けたワクチン開発計画を進めている。有望だと判断すれば、国内外のワクチン開発を資金援助し、正式な承認前でも企業の製造態勢をバックアップする構えだ。

 モデルナはこの1年間で5億回分のワクチンを製造する。2021年から年10億回分規模に拡大する予定だが、課題も抱える。

「免疫が長期にわたって続くのかどうか、何もわかっていません。また、ワクチンによってまれに発生する重大な副作用は、10万分の1くらいの割合です。3万人規模(の臨床試験)ではわからず、ワクチン市販後の調査でなければ明らかにならないのです」(久住医師)

 それもそのはず、人体用に核酸ワクチンなど、ウイルスの遺伝情報を利用したワクチンが承認された前例がないのだ。

 従来型ワクチンには、生きたウイルスの毒性を弱めて体内に入れる「生ワクチン」と、感染力を失わせたウイルスを使う「不活化ワクチン」がある。いずれにしてもウイルスを大量に培養するのに長い時間がかかり、感染を防ぐための厳重な施設も必要だ。今回のようなパンデミック(世界的大流行)で実用化が急がれる場合は、弱点とされた。

 日本ワクチン学会理事長の岡田賢司・福岡看護大学教授が語る。

「核酸ワクチンが優れている点は、早く臨床試験が行えることです。新型コロナウイルスの感染が最初に確認されてから半年程度で、後期の試験に入っているのは極めて異例です。けれども、核酸ワクチンは実用化された例がないから、研究者も企業も試行錯誤しながら開発に取り組んでいる状況です。一方の従来型ワクチンは、多くの時間は要してもこれまでのノウハウがあるので成功する可能性が高いという見方がある。双方のメリットとデメリットを勘案しながら実に多くのトライアルがなされていますが、実用化されるものがどれだけ出てくるのかは、本当にわかりません」

 新型コロナのワクチンは現在、従来型と遺伝子ワクチンを含め、世界で166種類が開発されている。うち24種類が臨床試験に入ったが、加速度を増しているのは遺伝子ワクチンだ。

 米ファイザーはモデルナと同様に、メッセンジャーRNAによるワクチンを開発する。英アストラゼネカや、中国のカンシノ・バイオロジクスの遺伝子ワクチンは「ウイルスベクターワクチン」と呼ばれるものだ。無毒なウイルスの一部を新型コロナウイルスの遺伝情報に組み替えて、体内に運ばせる。

 最終的にワクチンの有効性と安全性を確認するには、流行地で「ランダム化比較試験」を実施するしかない。ワクチンを打った人と打たなかった人とを比べ、感染症が減るかどうかを調べるのだ。ただ、国際社会が一刻も早いワクチンの実用化を求めるなか、多くの研究者がこのスピード感を心配しているという。

 最も懸念されるのが、ワクチン接種で起こり得るADE(抗体依存性感染増強)という現象だ。抗体がウイルスを排除し切れないと、ウイルスが抗体に結合して免疫細胞に侵入して増殖。かえって感染症を悪化させてしまうのだ。

 岡田教授は言う。

「同じコロナウイルスのSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)でワクチンを接種した動物実験で、ADEが原因で重症化したと指摘されています。新型コロナウイルスのワクチンでもADEが起きる恐れは否定できません。すべての人に100%有効なワクチンはないし、100%有害事象の出ないワクチンもありません。ワクチンの安全性を慎重に検証しながら、できる限り早い実用化を願うしかありません」

 期待と失望は背中合わせ。ワクチン開発をめぐり一喜一憂が続きそうだ。

(本誌・亀井洋志)

※週刊朝日オンライン限定記事