1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。昨年に引き続き夏休み特別編として、諸河さんが半世紀前の学生時代に撮影した各地の路面電車の風景をお届けする。第4回は中部・北陸地方で活躍した名古屋鉄道美濃町線、静岡鉄道清水市内線、福井鉄道福武線(ふくぶせん)の路面電車にスポットを当てた



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 橋梁を走る鉄道のシーンは、数多く撮影してきた。川面を渡る風の音が聞こえてくるような風情を感じ取れ、趣深い。

 美濃和紙で知られる岐阜県美濃町(現・美濃市)と岐阜市の繁華街柳ヶ瀬とを結んだ美濃町線を写した冒頭のカットもその1枚。沿線の景勝地、津保川橋梁を渡る一コマだ。寒風吹き付けるなかゆっくりと走る光景が、いまでも強く記憶に残っている。風がさらに強まったら、不通になってしまうのでは……とドキドキする読者もいるのではないだろうか。

■美濃町と岐阜市を結ぶ

 この車両は、後述のモ510型のプロトタイプとなったモ520型で、1923年にモ510型と同じ日本車輛で製造されている。名鉄岐阜市内線標準色だったグリーンとクリームのツートン時代の撮影だ。この車両はオリジナルの木造車体に鋼板を張り付けた「ニセスチールカー」で、床下には木造車の証であるトラスロッドが覗いている。台車は舶来の米国製ブリル27MCB−1型を奮発している。

 美濃町線は、明治期の1911年に神田町〜上有知(こうずち/後年に美濃町→新美濃町→美濃に移転改称)24800mが開業している。戦後になるとルート変更で、岐阜市内の起点を岐阜柳ヶ瀬(旧称神田町)から徹明町に移している。1970年には名鉄新岐阜駅(現名鉄岐阜駅)への直通運転のため、競輪場前から分岐する田神線を開業した。 次の美濃町線のカットは、動態保存車として人気を博していたモ514+モ512が、鉄道愛好者団体の臨時電車として運転された2003年夏の一コマ。筆者が学生時代から通った上芥見のサイドリザベーション区間を走るシーンだ。

 このモ510型は、美濃電軌セミボ510として1926年に登場した他に例を見ない個性的な半流線形の路面電車で、美濃町線の主力として活躍した。当初はポール集電で、前後に大きな救助網を装備していた。形式記号の「セミボ」はセミスチール・ボギー車の略称だった。名鉄になってからはモ510型になり、晩年は揖斐線直通用連結運転改造などの変遷を経て「レジェンド」の存在となったが、2005年4月の岐阜地区600V線区全廃により廃車された。

 そして次の小雪が舞うカットが、美濃町線の起点徹明町の情景だ。1950年、美濃町線開業以来のターミナルだった岐阜柳ヶ瀬から利便性の高い徹明町に起点を移設している。これにより梅林〜徹明町900mの新線が開業し、梅林〜岐阜柳ヶ瀬800mの旧線は廃止された。

 1999年からは美濃町線の不採算区間である新関〜美濃を廃止し、ワンマン運転等の実施で合理化を図ったが、業績は好転しなかった。最後の切り札である公営民営方式による存続を岐阜市に諮ったが、利用客減少や財政難を理由に断念され、全線廃止への道を辿った。

■静岡県下最後の路面電車

 かつて静岡県には清水市内線の他に「伊豆箱根鉄道軌道線」「静岡鉄道秋葉線」「静岡鉄道静岡市内線」の3路線が存在したが、いずれも1960年代に廃止されている。

 唯一残存した静岡鉄道清水市内線は西久保以遠が専用軌道であることや、併用軌道で国道1号線上を走るものの、1号バイパスの整備で自動車の波が緩和されるなど、1980年代までは盛業すると思われた。その矢先、1974年の七夕豪雨で庵原川橋梁の橋脚が沈下して、全面運休の憂き目にあった。被害を受けた橋梁は復旧されないまま、翌1975年に全線が廃止された。なんともあっけない幕引きであっが、老朽化したインフラを抱えていた当事者にとっては「渡りに舟」の水害だったのかも知れない。 清水市内線の冒頭写真は、静岡鉄道静岡清水線の新清水の駅前で、同線からの乗り換え客で賑わう清水市内線の横砂行き電車。乗客がホールディングステップを使って高床式のモハ57に乗り込む光景を撮影した。新清水の駅前には清水港と国道1号線を結ぶ港国道と呼ばれる国道149号線が走っており、頻繁に走ってくる車を縫って路上から路面電車に乗降するのはリスキーなことだった。

 次のカットは、真夏の炎天下、日除けもない嶺で離合待ちするモハ63を新清水から乗車したモハ57の車窓から撮影した一コマ。タブレットを携行した運転士と港橋行き電車の右側に並走する国鉄(現JR)東海道線の路線が写っている。 清水市内線は1928年に静岡鉄道の前身である静岡電気鉄道が、港橋〜横砂4600mを結ぶ路面電車を敷設。当初は江尻新道(後年新清水に改称)の国鉄(現JR)東海道線踏切を徒歩連絡して横砂行きに乗り換えたが、1933年の国鉄(現JR)東海道線跨線橋完成により直通運転が開始された。

■路面電車先進都市・福井

 福井市には福井鉄道福武線(以下福武線)の路面電車が盛業中だ。「FUKURAM(フクラム)」と愛称される超低床3連接LRVのF1000型が2013年から4編成が導入されている。2016年には、福井駅前線をJR福井駅西口広場に延伸して利便性を高めるなど、地域公共交通活性化法に準拠した鉄道事業の再構築が実施されつつある。路面電車再生へのモデルケースとして、熱い視線を浴びている。
 
 福武線の冒頭写真は、越前武生(旧武生新)発えちぜん鉄道三国芦原線鷲塚針原行きの急行に充当された「フクラム」で、赤十字前(旧福井新)〜商工会議所前(旧木田四ッ辻)の鉄軌分界点を通過して併用軌道に入ったシーンを撮影した。

 福武線の軌道区間では2010年から停留所の幅員拡張、屋根の設置、バリアフリー対応などのリニューアル工事が停留所名の改称と共に開始され、2017年に完了している。 次のカットは、雨の日の公園口(現足羽山公園口)停留所の一コマ。武生新(現越前武生)行きのモハ140型が到着し、狭隘な停留所から傘を差した女高生が乗車するシーンだ。鉄道線用で床の高い車両にはホールディングステップが設置されているが、両手でハンドレールを握らないと乗車できないので、悪天日には難儀だったことと推察される。

 そして最後のカットが、駅前線の福井駅前(現福井駅)を発車して武生新(現・越前武生)に向かうモハ80型を大名町交差点で撮影した。前面下部に設置された救助網とホールディングステップが写っている。画面右側には武生方面のみの乗降に使われた本町通停留所(2002年に廃止)が見える。その隣にセミクロスシートを設置した2両連接の急行専用車モハ200型福井駅前行き急行が信号待ちしていた。 モハ80型は旧南海電気鉄道電5型(1921年製)の木造ボギー車で、福井鉄道には1948年に入線している。1956年に日本車輛で新造された車体への乗せ換えが行われ、福武線の主力として活躍した。晩年は冷房改造も施工されたが、2006年の低床車両導入時に退役している。

 この連載を続けていると「路面電車がある街並みには活気がある」といったようなコメントを、よくいただく。いまあらためて見れば、確かにそう感じられるカットも多い。街と人にやさしい路面電車が、新たな都市交通の活性化につながることを切に願う。

■撮影:1967年2月26日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。

※AERAオンライン限定記事