これはもう、今は昔。私が新築マンションの分譲広告を作成する制作プロダクションを経営していたころの話です。



 私の会社が直接仕事をもらうのは広告代理店から。電通や博報堂といった大手ではなく、中小の代理店がほとんどでした。その代理店の向こうに、広告の発注者であるマンションデベロッパーがいます。彼らのことを、われわれは「クライアント」と呼んでいました。当時、私は広告代理店の営業担当とともにクライアントへ打ち合わせに行くことが、日常の主な業務でした。

 その時代は今よりも下請けの扱いは劣悪で、クライアントから昨日言われたことと“逆のこと”をやれと怒鳴られるなんて日常茶飯事でした。また、絶対的に無理な要求やスケジュールを突き付けられたり、担当者の言っていることが“意味不明”なんてことは毎日でした。しかし、発注側のマンションデベロッパーは、「神様、仏様、お客様」です。「ご無理、ごもっとも」なんて当たり前。クライアント様が白いものを黒と言われたら「ハイ、その通りでございます」と言わねばならないのが代理店であり、そのまた下にいる外注業者である私たちでした。このお話は、そういう関係性の中で起きた出来事です。

 舞台は、われわれが「Y」と呼んでいた1部上場のマンションデベロッパー。当時でマンション供給戸数の上位5社には常連で顔を出す会社でした。

 そこの広告発注部門はなぜか全員が女性でした。そのセクションには、女性社員ばかりが10人前後いて、見た限り、20代から30代のようでした。なぜYに女性ばかりのセクションがあったのかは、いまだによく分かりません。当時のマンション広告は紙が主体で、間違いがないかを細かくチェックする仕事などは「女性向き」だと、その会社の誰かが考えたのかもしれません。とにかく、私たちのようなマンションの広告業者がYの仕事を請ける時は、彼女たちの指示に従わなければなりませんでした。

 私は代理店を通してYの仕事を請けていましたが、3回目か4回目の打ち合わせで、仕事を切られてしまいました。担当の女性がパンフレットの文言におかしな赤字を入れてきたので、「それは日本語としておかしいです」と言って修正を拒否したのです。すると、代理店の営業に「あの人はもう来させないで」と言ってきたらしいです。まあ、私としては「せいせいした」という感じでした(笑)。

 私が仕事をしたのは、Yからほど近い場所に本社を置く小さな広告代理店でした。ここでは仮に「円盤」としておきましょう。私が切られた後、彼女たちは円盤に仕事を発注する条件として「若い男性の担当者をよこせ」と要求してきました。建前は「若くて元気がないとウチの仕事はこなせない」というものでした。しかし、円盤は基本おじさんばかりの会社だったので、担当者としてYに出せたのはやっとこさ40代の既婚男性のAさんだけ。彼女たちはそれに対して不満をもっていたようでした。

 ちょうどその頃、円盤にはダイスケ君という若い男の社員がいました。彼はビックリするほど男前で、まだ20代半ば。第二新卒みたいな形で円盤に入社しました。私は円盤の若い社員さんたちとわりと仲が良かったので、よく飲みに行っていたのですが、ある時、ダイスケ君もその酒席にやってきました。

「ダイスケ君、えらい男前やなあ」と言ったのを覚えています。ただ、話してみると人間的な面白みがあるタイプではなく、正直、広告代理店の営業には向いていなさそうな感じでした。

 そんなダイスケ君が、Yの担当になったと聞いたのは、しばらくたってからのこと。ただ、ダイスケ君は経験不足だったので、40代既婚のAさんのサブとしてデビューしたようでした。ところが、ダイスケくんはジャニーズばりの容姿ですから、たちまちYのお姉さんたちに取り囲まれたそうです。

「すぐに飲み会を設定してちょうだい」

 Aさんはすぐに飲み会をセッティングしたようですが、指導係のAさんは、ただただ無表情なおじさん。一方でダイスケ君は超がつくイケメンなので、飲み会の席では、もちろん女性たちはダイスケ君を取り囲みます。ただでさえ飲み会が嫌いだというAさんはそんな状況にうんざりしたのか、

「じゃあダイスケ、あとは任せるからな。くれぐれもお客さまに失礼のないように」

 と言い残して先に席を立ってしまったそうです。その後、ダイスケ君がどうなったか……円盤では誰も知りません。

 ただ、その接待の日は金曜日でした。ダイスケ君は月曜日の朝に、ちょっと疲れた表情で出社したそうです。そして、指導係のAさんに恐る恐るという感じで出してきたのが領収書でした。

「コレ、経費で落ちますか」

 発行名義は「○○商事」となっていますが、住所は明らかにラブホテル街。

「バカ。そんなもん、落ちるわけないだろ」

 その後、Aさんへは何度もダイスケ君を交えた飲み会(接待)をするようにYの女性たちから要求が来るようになったといいます。実はAさんもその頃からY相手の仕事がバカバカしくなって転職を模索していました。まだ仕事のできないダイスケ君を“いけにえ”として差し出すことにしたようで……。

「おいダイスケ、今度はお前がひとりで行ってこい」

 そう言うと、ダイスケ君は顔を引きつらせて「Aさん、それだけは勘弁してください!」と哀願した、という伝説が社内には残っています。

 飲み代は接待費として経費になります。しかし「○○商事」の領収書は無理。ダイスケ君の薄給では負担が大きすぎたのかもしれません。数カ月後、ダイスケ君は円盤を辞めました。その後、どうしているかは誰も知りません。

 一方、クライアントのYもその頃からだんだんと経営に行き詰まってきたようです。さして時間のたたないうちに、Yは大手不動産会社に救済合併されました。Yの社員たちも全員が引き取られたようですが、あの「アマゾネス軍団」がどうなったのかは、業界でも誰も知らないようです。新会社で同じようなセクションが存続しているとも聞きません。私から見ても、あまり機能的とは思えないシステムだったので、合併と同時に淘汰されたのかもしれません。Yの女性社員には既婚者が多いという話も聞いたので、今は家族と幸せに暮らしているのかもしれません。

 ダイスケ君の“スケープゴート事件”はもう15年以上前の話。今とは企業のコンプライスもジェンダー意識も違いましたが、私が感じたのは、男も女も権力を持つとやることは結局一緒なのだなあ、ということ。不動産業界の“しょーもなさ”を再確認した出来事でした。(文=住宅ジャーナリスト・榊淳司)