「私への愛はストーカーのよう」。母親の愛情をこう表現するエッセイストの小島慶子さん。一時は摂食障害や不安障害にもなったという自身の経験を明かす。



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 母は無邪気で感情表現が下手な人。たとえばかわいい雀(すずめ)を見つけて「うわぁかわいい」と、ぎゅっと握りしめて殺してしまうような。私への愛はストーカーのようで、テレビに出ている娘と、自分自身との区別がつかないのかも。私の出演した番組の感想を(当時)感熱紙のファクスが束になるほどの長文で送ってきたこともありました。

 あえて言うなら私は母にとって愛玩動物みたいなもの。ペットです。彼女の一部ではないのに。そんな葛藤を抱えて育ちました。母との関係に苦しむあまり、摂食障害や不安障害にもなりました。

 母は自分がこうだ、と思うようにしか物事を理解できないために、会話になりません。母にとっては、自分自身か敵かの2種類の人間しか存在しないので、「慶子は敵なの、それとも私なの?」。

 他者を持たないのです。(私は私。そろそろ私を発見してくれないかな)。そんな思いでずっと生きてきました。

 結婚し、2人の子どもに恵まれました。

 娘が生まれるのが怖くて神仏に祈りました。娘が生まれたら、自分と母との関係を重ねてしまうかもしれないという不安があったからです。

 息子たちは成長し、「僕はママじゃないからママと同じようには考えないからね」と諭してくれます。すごくおおらかな子たち。幸せです。

 6年前には豪州に家族で移住し、母とはネット通話で話す間柄です。

 一昨年に父を見送りました。母は現在83歳。いつかは彼女ともお別れすることになるのかと思うと、話すたびに看取りの気持ちです。

 母が旅立ったときは、「もっとそばにいてあげればよかった」ときっと後悔すると思います。でもそばにいたら私は壊れてしまう。私には私の人生があり、自分やそして息子たちを守らなければならない。いつまでも母にとらわれてはいられません。雀のように愛情で握り殺されないためにも。

「子どもは生きているだけで親孝行」とおっしゃった精神科医がいます。しんどかったら会わなくてもいいのだと。そのとおりだと思います。

 豪州に出発するとき、空港で両親と別れた後、涙が止まらなくなったのを覚えています。でも隣にいた夫が「僕から見たら慶子、十分親孝行しているよ。2人とも幸せそうだったよ」と言ってくれました。

 強烈な母という存在がいたおかげで私は誰からも愛されたことがないという思いはせずに済みました。でもいまだ発見/認識されていない私に母はいつ気づくのやら。もしかしたら一生発見されないのかもしれません。

(本誌・大崎百紀)

※週刊朝日  2020年9月25日号