80代の親がひきこもる50代の子どもを支える「8050問題」。その背景には、「毒親」との関係が潜んでいることがある。 特にいままであまり語られてこなかった「母‐息子」問題。AERA 2020年10月19日号で、ノンフィクション作家・黒川祥子氏が「昭和的価値観」を押し付けた子育ての先にあるものに迫る。

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「『何だろう、この息苦しさは……』って、昔からずっと思っていました」

 都内の男性(49)は大企業の正社員として妻子を養い、自宅も建て、一見、綻びのない人生だ。

 父は工業高校卒の工場勤務、母はトップ高から大企業に就職という、母が父より強い立場の家庭で育った。

 夫婦仲が暗転したのは6歳の時、きっかけは父の借金問題だ。

「母親からは『お父さんはろくでもない人間だ。おまえはああいう男になってはいけない』と散々言われて育ちました」

 父親の被害者である“かわいそうな母親”を、自分が支える構図ができあがった。母親は、呪文のようにこう語った。

「子をみりゃ、親がわかるって言うからね。おまえがろくでもない子に育ったら、おまえを殺して、私も死ぬからね」

 子育ての理想は、母自身の中学教師だ。初回の授業で騒いだ生徒を鉄拳制裁、全員を震え上がらせ、従順な生徒に仕立てた“手腕”を、母は賞賛した。

「小さい頃は暴力で、彼女に逆らってはいけないと身体で覚えさせられた。母親の意図を汲み取って行動しないと手が出る。殴られるのは本当に嫌だった。両手両足を縛られ、押し入れに閉じ込められたこともあった」

 10歳になった頃、暴力はなくなったが、母親の“目”をうかがって行動するのが常だった。

「今にして思うのは、母親は私の中に見えない壁を構築して、外に出ない人間にするように育てたんです。正直、母親のキッとなる目がすごく怖かった。だから、そうならないようにと先回りして行動していました」

 高校や大学の選択も、母親がどう思うかを優先した。ITエンジニアという今の仕事も、好きで選んだわけではない。

「何一つ、自分で選んでいないんです。壁などないのに、母親がいいだろうと思う方向をどうしても選ばざるを得ない。結婚相手も、『母親はこういうタイプが好きだよな』と決めました」

■感情でつながれない

 表面上、母親は「自由にしていい」と言うが、実際は母親の意向を加味するよう、内面がコントロールされていた。まるで孫悟空の輪。幼い頃に植えつけられた恐怖による呪縛だった。さらに「父親のようになってはいけない」という使命もあった。

「父親の汚名返上という思いは常にあったけど、どうすればいいのか。仕事ができるようになれば、やっと私は解放されると思っていたけど、終わりが見えない。何を目指して生きているのか、わからなくなって……」

 40代半ばでうつ病を発症し休職、半年ほどで復職した直後、妻は離婚届を残して家を出た。

「妻は私と気持ちが通じ合えないと、心の病気になったことがありました。でもまさか、離婚になるとは。私は父と違って、仕事をして稼いでいるし、家も買ったし、借金もしていない。それでいいと思っていたんです」

 妻は長年、夫との関係で悩み、そして踏ん切りをつけたのだ。

「仕事のように理屈でできるのは得意なのですが、感情的なところで、人とつながるというのがわからない。2人の息子とも同じです。感情でつながれない」

 男性は、母親が幼い孫たちに豪語した言葉を思い出す。

「あの子は、私の思い通りに育ったのよ!」

 母親の意図通りに作られた息子は、他者と感情的なつながりが持てない不自由さに喘いでいる。長年の息苦しさの根幹には、母親という存在があった。(ノンフィクション作家・黒川祥子)

※AERA 2020年10月19日号より抜粋