ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、将棋について。

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 一九九四年だったか、九五年だったか、そのころ将棋連盟理事だった森信雄六段(当時)に誘われて近鉄将棋まつりに出場した。高橋和(やまと)女流初段(現三段)に平手で挑戦するというもので、そんな将棋が勝てるわけない。玉の頭に金がのるまでジタバタして華々しく散ってやろうと考えていたところへ、友だちの本間博五段(当時)から電話があった。「和ちゃんと指すそうですね」「恥ずかしながら、そうですねん」「作戦は」「なし」「ほな、稽古しましょか」

 いわれて、対局の前日、福島の関西将棋会館へ行き、棋士控室で本間さんと盤をはさんだ。

「和ちゃんは振飛車党やから、玉をこう囲いましょ」

 本間さんが伝授してくれたのは、1六歩・2八銀・3八玉・4八金・5八金・6七銀というもの(あとで金無双という囲いだと知った)だったが、そんな構えは経験がない。2八の銀が壁銀で、いかにも窮屈だが、相振飛車のときは往々にして先手後手が似た囲いになるという。「それで、このあとはどうやるん?」「自分がええと思うように指すんです」

 本間さんは森さんと同様、中学生がそのままおとなになったような人物で、邪気というものがかけらもない。

 そうして、対局の日、よめはんといっしょに近鉄百貨店に行った。まず文房具売場で地球儀を買ったのは、三千円以上のレシートでもらえる駐車券が欲しかったから。

 八階催し場の将棋まつりの会場には三百人ほどの観客がいた。地球儀を抱えて関係者控室に入ると、指導対局に来ていた将棋連盟関西本部の棋士が十人近くいた。中にタイトル保持者の羽生善治さん(称号で呼びたいのだが、このひとはあまりに多くのタイトルを保持しつづけたので憶えていない)もいて、それが生(なま)の羽生さんを見た初めての機会だった。テレビで見るよりずっとスマートで、スーツやネクタイのセンスがいい。落ち着いた挙措動作もきれいだった。これがスターというもんなんや、と実感した。

 わたしの対局までに少し時間があったので、本間さんとよめはんが将棋を指しはじめた。本間さんの飛車・角・香落ちだが、プロ棋士によめはんが勝てるわけがないと、わたしはそばで見ていた。そのうち、羽生さんがよめはんの後ろに立って、よめはんが駒に指を伸ばすと「ああっ」とか「うん」とかいう。「ああっ」は拙(まず)い指し手、「うん」はいい指し手だ。

 よめはんは羽生さんの反応を見つつ、大駒の角を切った。控室の棋士が「おおっ」といった。わたしも驚いた。読みの入った、いい手だった。

 本間博五段vs黒川ハニャコの一戦はよめはんが勝った。羽生さんはよめはんに拍手をして、「あの角切りはすばらしい感覚でしたね」と講評を述べた。これでは棋士・羽生善治を好きにならないわけがない。わたしもいっぺんにファンになった。

 やがて、高橋和女流初段vs黒川博行アマの対局の時間がきた。両者、一段高い畳敷きのステージに座る。先手はわたしだ。大盤解説と記録係がついて、「先手・7六歩」「後手・3四歩」と指し手を読みあげてくれるのは、ずいぶん気分がいい。

 将棋は本間さんが予想したとおり、相振飛車になった。上手(うわて)・下手(したて)とも金無双に囲って、いざ開戦。どうした番狂わせか、わたしが勝った。

 その翌年、『将棋世界』の誌上対局で高橋さんと再戦し、完膚なきまでに負かされた──。

黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

※週刊朝日  2020年10月30日号