ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、コガタスズメバチについて。

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 昼、インターホンが鳴った。通話ボタンを押すと、スーツにネクタイの若いひとだった。○○銀行の××と名乗り、ご挨拶(あいさつ)に伺いました、という。○○銀行には縁がないのでお断りしたが、「このことはご存じかもしれませんが、蜂の巣があります。蜂が近くを飛んでますよ」という。「あ、そうですか。ありがとう」

 わたしはしばらくして家の外に出た。門柱のインターホンそばのイヌマキの生垣(いけがき)をかき分けると、太い枝に大きな蜂の巣があった。直径二十センチ、高さ二十五センチほどのボール状で、小さな穴から蜂が顔を出している。警戒しているらしい。それにしても、よくぞこんな大きい巣に気づかなかったものだ。その蜂とわたしは五十センチも離れていない。

 巣のマーブル模様を見て、オオスズメバチではなく、コガタスズメバチだろうと見当をつけて門柱のそばを離れた。コガタスズメバチやアシナガバチはそう凶暴でないと知っている。現に、この春から秋にかけて何百回と巣のすぐ近くをとおったが、襲われることはなかった。

 家にもどって、よめはんにいった。「インターホンのそばに、こんなデカい蜂の巣があるぞ」両腕で七十センチくらいの輪をつくったら、「また嘘ついてるわ」と、よめはんは笑った。「ほんまにあるんや、スズメバチの巣が」「なかったら、なんぼくれるんよ」「あったら、なんぼくれるんや」「百円」

 たった百円に対して、巣がなかったら三千円だと、よめはんはいった。三千円という半端な額が不思議だった。

 よめはんは外に出て、もどってきた。

「ほんまや。蜂の巣があった」「百円、くれ」「あほいいな。ピヨコがいうたほど大きくなかった」

 だから三千円を寄越せと“特技・逆ねじ”のよめはんはいう。なぜかしらん、わたしが百円を払って、その賭けはケリがついた。「いま気がついたけど、今年はスズメバチが睡蓮(すいれん)鉢の水をよう飲みに来てたわ。ウメの木に毛虫がつかんかったし、コブシにも芋虫がつかんかったんは、あの子らが狩ってくれてたんやね」「そういうことやろ」

「どうするの、あの巣」「さてな……。せっかく機嫌よう暮らしてるんやから、放っとくか」

 仕事部屋にあがってパソコンを立ち上げた。グーグルで“スズメバチ”を検索する。その画像によると、生垣の巣は確かにコガタスズメバチのものだった。

 ──四〜五月、女王蜂が一匹で巣作りをはじめる。六月、働き蜂が育ちはじめる。七〜九月、活発に狩りをする。十〜十一月、次世代の女王蜂が巣を出て越冬準備をはじめるが、元の女王蜂は越冬せずに死ぬ。そのあと、巣は空っぽになり、再利用されることはない。

 ──働き蜂はクモや昆虫を狩り、肉だんごにして巣に持ち帰る。肉だんごを噛みくだいて幼虫に与え、幼虫は唾液(だえき)腺から糖分やたんぱく質を含んだ栄養液を分泌して、それを成虫が摂取する。成虫が肉だんごを食わないのは、胸と腹のあいだがくびれていて、液状のものしか飲み込めないからだといい、これを成虫と幼虫の栄養交換という。

 なるほどな、とわたしは思った。コガタスズメバチは懸命に生きている。働き蜂の寿命はたった一カ月前後だ。オオスズメバチのように凶暴で攻撃性があったら困るが、わたしもよめはんも被害は受けていない。このまま冬まで待ち、巣が空っぽになったら撤去しようと決めた。

黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

※週刊朝日  2020年11月6日号