コロナ禍でがん検診は一時ストップし、受診者数は激減した。日本では毎年約100万人ががんと診断され、40万人近くががんで亡くなる。専門家は「検診は不要不急ではない」と訴える。AERA 2021年2月8日号は「がん」を特集。



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 昨年11月初旬、パート従業員の女性(49)は風呂で体を洗っているとき、右胸の小さな硬いしこりに触れた。

 いやな予感がした。女性は母親を乳がんで亡くしており、40歳以降は自治体が実施する乳がん検診を2年に1度、必ず受けてきたが、昨年3月の予約はキャンセルしてしまった。新型コロナウイルスの感染者数が増えていく状況を目の当たりにして「クリニックで感染してしまうのでは」と怖くなったのだ。

 しこりを見つけたのは金曜日。週明け月曜日に乳腺クリニックを受診、マンモグラフィーと超音波検査を受け、「がんの可能性が高い」と診断された。さらに3日後に組織を取って調べる検査を受け、11月中旬にはステージIの乳がんだと確定。進行の速いHER2陽性乳がんで、しこりは直径11ミリと小さかったものの、がんが乳管を破って外に浸潤していた。12月10日には乳房全摘の手術を受け、今年1月から抗がん剤治療を開始。3カ月後には分子標的薬の治療も加わる。女性は言う。

「抗がん剤投与から3日くらいは体調が悪くてパートに行けず、収入も減りました。こういうご時世なのでやめさせられないか不安です。抗がん剤も分子標的薬も高いし、子どもが大学に入学したばかりなので、経済的にもきついです」

 抗がん剤の副作用で髪が抜け、最近ウィッグを購入した。もう少し早く見つかっていたら、せめて薬物療法は避けられたのではないか。そう医師にたずねると、「浸潤径が5ミリまでなら薬物療法はやらなかったけど、半年前なら大丈夫だったとは言い切れない」と言われた。それでも、「あの時キャンセルせずに受けていれば」という思いが消えない。

 新型コロナの感染拡大で医療機関の病床が逼迫する一方、コロナ以外の疾患や検診の受診率は低下している。

 日本対がん協会が各支部で実施する住民検診の受診者は20年3月以降激減、1月から7月の累計は前年比55%減となった。秋の検診から回復傾向にあるものの、同協会のがん検診研究グループマネジャー・小西宏さんは、「2020年度の受診者は例年比で3〜4割程度減るだろう」と予測している。日本では毎年、約100万人が新たにがんと診断されている。そのうち、胃・大腸・肺・乳房・子宮頸の5大がんは58万人、そのうち約22%が検診・健康診断・人間ドックなどで発見されている。

「他の医療・検診機関も1〜3割減と考えた場合、今年度がんが発見されなかった人は少なく見積もって1万人になるかもしれません。日本では他の疾患での受診がきっかけになってがんが見つかることも多く、医療機関全体の受診控えも考えると、その影響は数万人単位になる可能性もあります」(小西さん)

 検診だけでなく、がんの入院患者も減少している。グローバルヘルスコンサルティング・ジャパンが全国344の病院に実施した調査では、がん患者の入院も減少。なかでも胃がんの昨年6〜9月の手術入院は、前年比で2割以上減少した。

 がんの診断・治療のなかで、もっとも新型コロナ感染拡大の影響を受けたのは胃がんだ。胃の内視鏡はむせやすく、エアロゾル感染が起きる危険があるとされ、日本消化器内視鏡学会は3月下旬、緊急性のない検査や治療は延期も検討するよう提言した。このため、4〜6月にかけては、多くの医療機関で内視鏡を使った検査・手術がストップした。

 現在は感染対策を取ったうえで検査や治療が再開された医療機関がほとんどだが、新百合ケ丘総合病院予防医学センター部長の袴田拓医師はこう話す。

「胃の内視鏡検査ではせき込みを防ぐため、従来は希望者のみに実施していた鎮静剤(麻酔薬)の点滴を全員に行い、本人が眠った状態で受けてもらうようにしています。そうなると、通常の1.5倍ほどの時間がかかり、検査を2割ほど減らすことになりました。予約の取りづらい状況が続いています」

 東京大学医学部附属病院放射線科准教授の中川恵一さんは、この状況に警鐘を鳴らす。

「早期がんで症状があることはまずなく、検診をやらない限り、がんを早期で見つけることはできません。私自身もがん経験者で、18年の年末に膀胱がんの内視鏡切除を受けました。まったく症状はなく、自分で自己超音波検査をして偶然見つけました」

 がんの進行は種類によって異なるが、多くの場合、微小ながん細胞が1センチの大きさになるのには10〜20年かかる。しかし、1センチが2センチになるのには、わずか1、2年。1個が2個、2個が4個、4個が8個……と倍々ゲームのように増えていくため、進行するほどに急激に増殖していく。

 胃がんの場合、早期(ステージI)で発見した場合の5年生存率が97.7%であるのに対し、進行後(ステージIV)では6.6%にまで低下する。がんが1〜2センチの早期のうちに発見することが、予後を大きく左右する。

「今後1、2年で、症状が出てから病院に駆け込むがんの患者さんが増えると思います。その結果、進行がんで見つかるケースが増え、がんの死亡も増えるのではないかと懸念しています。医療機関はきちんとした感染対策をとっている。誤ったイメージで検診を自粛してはいけない。がん検診は決して、不要不急ではありません」(中川さん)

 ただし、がん検診も受ければいいというものではない。国立がん研究センター検診研究部長の中山富雄さんは指摘する。

「がん検診の目的は、早期発見して死亡率を下げることにあります。日本で推奨されている胃がん・肺がん・大腸がん・乳がん・子宮頸がんの五つのがん検診は、エビデンスに基づいて推奨年齢や受ける頻度などが定められています」

 自治体による住民検診は、この基準に基づいて設定されている。基本的には、これらの基準で受診すれば十分で、これより若いうちや、高い頻度で受ける必要はないという。

「子宮頸がん検診を除き、20代、30代からがん検診を受ける必要はありません。がんの頻度自体が少ないため、がんはないのに『がんの疑いあり』とされる偽陽性が多くなり、かえって不安を招くだけです。がん検診にはデメリットもある。放射線被曝や内視鏡検査によって粘膜を傷つけてしまう可能性などリスクもあることは承知しておく必要があります」(中山さん)

 また、現在検診年齢に上限はないが、これまで検診を受け続けてきた人に対しては、ある年齢になったら「卒業」を考えてもいいと、中山さんは指摘する。

「たとえば胃がん検診は75歳、大腸がん検診は80歳くらいで卒業してもいい。内視鏡を使用するリスクが、早期治療による救命のメリットを上回るからです」


 前出の中川さんは、がんには「運」の要素も大きいという。完璧な生活習慣でもがんになる人はいるし、ヘビースモーカーで大酒飲みでもがんにならない人もいる。検診を受けても100%がんが見つかるわけではなく、必ず見落としはある。膵臓がんのように非常に進行が速いがんは、検診によって早期に見つけること自体が難しい。

「がんの原因で最も多いのは、偶発的に起きるがん関連遺伝子の損傷です。すべてのがんを完璧に見つけようと頻繁に全身の検査を受けることは、精神的・経済的負担を考えると現実的ではありません。住民検診で推奨されているがん検診は、そのリスクを合理的に減らそうというものなのです」(中川さん)

(ライター・熊谷わこ、編集部・小長光哲郎)

※AERA 2021年2月8日号