元朝日新聞記者でアフロヘア−がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。



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 オリンピック、どう見ても「やる」前提らしいですね。

 この件についてはあらゆる人がいろんなことを言っているし、今更何をか言わんやと承知しつつスルーするのも落ち着かない。だってどう考えても歴史的事件である。何しろこの期に及んでも「オリンピック楽しみ」という人の声をとんと聞かぬ。内心は楽しみでも言いづらい空気もあるのだろう。何れにせよ、あれほど五輪好きだった我らとしては考えられないことだ。

 一方で、少なからぬ人が「でも始まっちゃえば結局みんな盛り上がるんだよね」と情けない顔で笑う。新聞によると、そんなふうになんだかんだ盛り上がった勢いで選挙に打って出るのが政権与党の作戦だそうで……いやいやそんなこと聞いたらむしろ盛り上がれないよ!? 私の感情ってそんなふうに誰かの手のひらでコロコロ転がされるようなもんじゃねーぞ絶対盛り上がるもんかと今から拳を握りしめる始末。何だこれ。わけわからん。何れにせよ、もう五輪は我らが掛け値なしに愛せる対象ではなくなった。巨大なアイデンティティーの喪失と言って良い事態である。

 兎にも角にも、この度のことで本当にいろんなことを考えさせられた。五輪って何なのか、平和って何なのか、経済効果って何なのか……それは結局、我らの幸せって何なのかという問題なのだと思う。コロナがなければここまで考えなくて済んだろうし、まさにわっと盛り上がって終わりだったに違いない。でもコロナがあろうがなかろうが問題は存在していたはずで、それが露わになったことはすごく意味があることなのではと最近思うようになった。

 我らの社会はどこかで深く行き詰まっていて、それは世界的イベントの成功で解決するようなもんじゃない。日本人の五輪好きの原点は戦後間もなくの東京五輪で、まさに上を向いて頑張れば幸せになれる時代の象徴だった。でもそれももう終わり。立ち止まって足元を見直す時なんだと否応なく気づかされた。それこそがこの五輪の最大のレガシーなんじゃないでしょうか。

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

※AERA 2021年7月12日号