かつての恋人数人をネット検索し、連絡をとりたい誘惑に駆られているという48歳既婚女性。「私は欲求不満なのでしょうか?」と問う相談者に、鴻上尚史が思いがけず「僕も恥ずかしながら……」と告白した自らの体験とは?



【相談110】かつてお付き合いをした数人に連絡してみたいという誘惑に苦しんでいます(48歳 女性 さくら)

 鴻上さん。私は今年48歳の年女です。

 結婚してから無我夢中で子育てし、高校生の一人息子は親離れしていきました。年上の夫は優しく、今も大好きです。15年ぶりにパートで働き始めたりしました。

 でも、何か物足りないのです。ふと、インターネットで19歳のときの初めての恋人、20歳のときの振られた相手など、お付き合いをした数人を検索したら、みごと全員の職場、役職、最近の写真まで見つかりました。みな当時の面影を残しており、生々しく、当時の記憶がよみがえってしまいました。

 それからというもの、油断すると彼らのことばかり考えてしまいます。かつての甘い日々をおもい、そして、連絡してみたいという誘惑に苦しんでいます。

 もう少しすれば、このかつての恋人を思う気持ちは収まるのでしょうか。私は恋に恋しているのでしょうか。私は欲求不満なのでしょうか?

 鴻上さん、どう思いますか?

【鴻上さんの答え】
 さくらさん。

「私は恋に恋しているのでしょうか。私は欲求不満なのでしょうか?」と書かれていますが、さくらさんは、いわゆるアバンチュールを求めていると感じますか?

「アバンチュール」。広辞苑によれば、「冒険味をおびた恋愛。恋の火遊び」となってますね。僕の大好きなフランス語ベスト5のひとつです。

 でも、最近は、こんな言葉を使ってへらへらしていると、すぐに文春砲に木っ端みじんに砕かれますから、だんだんと馴染みの薄い言葉になりつつあるようです。じつに残念です。

 アバンチュールを求めるのも、人間の真実であり、素敵な部分だと僕は思っているんですけどね。

 でね、さくらさんが、ただアバンチュールを求めているのか、それとも、昔の恋人や好きだった人にとにかく会いたいのかは、微妙に違うことなんじゃないかと僕は思っているのです。

 さくらさん、どうですか? この二つの違いがピンと来ないのでしたら、ちょっと、僕の話を聞いて下さい。

 じつは僕も恥ずかしながら、50歳になった時に、中学時代、何度もアプローチして、何度も徹底的に振られた女性に会いたくてたまらなくなりました。

 ネットで調べても、彼女を見つけ出すことができなかったので、故郷の友達に「連絡先を調べて欲しい」と頼みました。しばらくして、僕の卒業した学年全体に、「鴻上尚史が◯◯さんの連絡先を知りたがっている」という情報が行き渡り、何人もからその女性の連絡先が届きました。

 僕は、みんなに知られたと思うと、ものすごく恥ずかしくいたたまれない気持ちになりましたが、やっぱり会いたかったので、メールを送りました。

 彼女は「私はただの田舎のおばちゃんで、会ってもしょうがないと思う」と返してきました。

 それでも会いたいんだ、会ってお茶だけでもしましょうと再度連絡し、やっと会ってくれることになりました。

 故郷の待ち合わせの喫茶店に彼女はやってきました。

 彼女の方にも「鴻上尚史があなたと連絡を取りたがっている」と何人もが知らせていました。

 が、彼女は、自分から僕に連絡するつもりはなく、そのままにしていたと言いました。

 僕に対する無関心が、「ああ、彼女らしいなあ」と思いました。

 中学時代、彼女は作家志望で、彼女の書いた短編小説をいくつか読ませてもらいました。それに刺激を受けて、僕も小説のようなものを書いて、彼女に読んでもらいました。「交換日記」ではなく「交換小説」でした。

 それまで、ぼんやりと作家になれたらいいなあと思っていましたが、彼女と「交換小説」をすることで、はっきりと作家になりたいと思いました。

 そこから僕は彼女を大好きになり、何度もラブレターを送り、何度も振られました。「何度も振られる」というのは、振られた後、半年か1年ぐらいたつと「そろそろ、付き合ってもいいと思いませんか?」なんて、挫けずにまたラブレターを書いたのです。

 中学卒業の時に、長めのラブレターを送り、別々の高校に行くけれど、それでも、付き合ってほしいと書いた時、彼女は初めて長めの返事をくれました。それまでの返事は、「付き合うつもりはありません」という一行だけでしたが、そのラブレターはA4用紙3枚にびっしりと、「どうして鴻上君とつきあうつもりがないか」「どうして鴻上君はダメか」「どうして鴻上君は自分がダメだということに気付いていないか」ということを徹底的に分析した内容でした。

 これが本当に最後の手紙なので全部書きました、という文章で手紙は締めくくられていました。

 僕は悲しみを通り越して、その見事な分析に感動さえしました。

 今でも僕はその手紙を大切に取っています。二十代の頃は、自分が慢心したり、つけあがりそうになると、取り出して何度も読みました。そのたびに、僕を冷静に引き戻してくれました。

 最後の手紙のことを喫茶店で話すと、彼女は「忘れた」と簡単に答えました。この言い方も彼女らしいなあと思いました。

 彼女は結婚して、子供が二人いて、地元で働いていました。早い時期に作家になるつもりはなくなり、今は何も書いてないと言いました。彼女の短編は、中学生が書いたとは思えないレベルだったので、このことを聞いた時は、少し残念に思いました。

 僕は僕の近況を語りました。彼女は関心があるのかないのか分からない態度で、淡々と聞いてくれました。

 1時間半ほど話して、喫茶店を出ました。

 自分の車で運転して帰る彼女を見送りながら、僕は不思議な満足感を感じていました。

 この満ち足りた感覚はなんだろうと、僕は考えました。

 もちろん、会う前は、中学時代を思い出して、甘酸っぱい気持ちでメールしました。ですが、いざ会ってみると、甘酸っぱさ以上に、いろんな感覚を味わったのです。

 ひとつは、「自分の若い頃と出会う」という感覚です。自分が忘れていた感情や今となっては誰にも話せない気持ちを、若いころ一緒だった人となら話せます。それによって、自分の若い頃の感覚がよみがえり、もう一度、味わうことができました。

 楽しかったり、切なかったり、悔しかったり、甘酸っぱかったり、今より何倍も激しく心が動いた感覚を、もう一度、その何分の一かもしれないけれど味わうのは、素敵な経験だと思います。運動することで身体が爽快感を感じ、リフレッシュするように、心もまたいろんな気持ちになって動くことで、爽快にリフレッシュするのでしょう。

 それから、「ここまでお互いよく生きてきましたね」と確認し合っているんだという気持ちも生まれました。いろんなことがあったはずなのに、それでも死なず、人生を放棄せず、今日までお互い、生きてきましたね。それだけで、喜び合いましょう。そんな感覚です。

 そもそも、50歳前後になると、だんだん同窓会が増えてきます。僕は「死期が近くなったから、みんな会いたがってるんだな」と、半ば冗談、半ば本気で思います。

「もうすぐ死ぬんだから、死ぬ前に会っときたい」という意味なら、60代以降の動機でしょう。

 でも、50歳前後では、「死(つまり寿命)を意識するからこそ、今までの自分の人生を確認したい、ここまで生きてきたことを喜び合いたい」という動機なんじゃないかと思います。

 さくらさんは48歳なんですね。ですから、この感覚は理解してもらえるかなと僕は勝手に思っています。

 ある年齢を重ねて、昔の恋人や好きだった人に会いたくなるのは、僕は、自然な感情なんじゃないかと思っているのです。

 ちなみに、彼女とはその一回の再会だけでした。その一回で、僕は満足しました。彼女の方は、満足とか関係なく、二度と会うつもりはないようでした(笑)。

 どうですか、さくらさん。

 さくらさんが、「19歳のときの初めての恋人、20歳のときの振られた相手など」に会いたい動機は、単純なアバンチュールですか? それとも、僕が書いたように、「人生の確認や振り返り」でしょうか?

 もし、あの時代に恋した人に強烈に会いたいのなら、僕は会った方がいいと思います。それはきっと、さくらさんの人生を豊かにします。

 もっとも、たとえ会いたい動機がアバンチュール、つまり「恋に恋して」いたり「欲求不満」でも、やっぱり、会わないより会った方がいいんじゃないかと僕は思っています。

「そんなこと言って、焼け棒杭に火がついたらどうするの?」とか「不倫関係になって家庭が崩壊したら責任取れるのか?」と突っ込む人はいると思いますが、マイナスの可能性に怯えて、人生を味わう豊かな可能性を手放す方がもったいないと僕は思います。

 人生の生き方に、「絶対的な正解」とか「絶対的な間違い」なんてものはないはずです。

 さくらさんが、人生に絶望していて、夫を嫌っていて、「すがりつく何か」を求めているのなら、連絡することに危険性を感じますが、さくらさんはそうではないでしょう。

 会おうと決めても、どうなるかは相手次第です。さくらさんがどんなに甘酸っぱい気持ちで会っても、相手は僕の中学時代に好きだった女性みたいに、淡々としているかもしれません。

 実際に会ってみれば、甘酸っぱい気持ちより、お互いがここまで生きてこられたことの喜びの方が大きくなるかもしれません。

 ひょっとしたら、人生を共に振り返っているうちに、予想もしなかった恋心が生まれるかもしれません。

 そういう時は、「アバンチュールを楽しめるのが大人のたしなみ」と呟くといいと思います。熱中しながら溺れず、浸りながら我を見失わない範囲で楽しむのです。

 もし、「そんな器用なことは自分には絶対にできない」と思う場合は、「恋の予感がしたら逃げる」が鉄則です。

「恋愛を前にした時のただひとつの勇気は、逃げることである」と言ったのは、かのナポレオン・ボナパルトです。

 もうひとつ、大人の余計なアドバイスをすれば、恋に不器用な人は、アバンチュールは複数がお勧めです。

 相手がたった一人だと、思わずはまってしまって、生活を危険にさらしてしまう人も、相手が二人いれば、熱中しても溺れない冷静さを獲得しやすくなります。

「19歳のときの初めての恋人」と「20歳のときの振られた相手」に同時に連絡を取るということです。

 と、余計なアドバイスをいろいろとしてますが、僕の意見はここまでです。どんな人生を選ぶかは、もちろん、さくらさんが決めることでしょう。

 アバンチュールの予感に怯えて連絡をやめるもよし、思い切って連絡するもよし。

 どんな人生を選んでも、喜びと後悔、納得と迷いは残ると僕は思っています。

 ですが、少なくとも、自分がちゃんと考えて、自分で決めれば、どんな結果でも、引き受ける気持ちになれるだろうと僕は思っているのです。

 そんなわけで、さくらさんの人生に幸あれ。

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