「病院で検査を受けて『帰りに天ぷらでも食べよう』と話していたら、医師があわてて『養老先生、心筋梗塞です』と」

 数々のベストセラーを世に送り出す、解剖学者の養老孟司先生。養老先生は昨年、医師から「助かったのは運がよかった」といわれるほどの大病を患いました。今回は、そんな経験を経た先生の生き方や死ぬということへの思いを伺いました。

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「なんだか体調が悪い」。最初にそう感じたのは昨年6月10日頃でした。もともと糖尿病があって、1年で体重が15キログラム減ったのに加え、コロナ禍で外出する機会も減ったので、そのせいかとも考えました。家族の勧めもあり、本を一緒に書いたこともある東京大学医学部附属病院の中川恵一医師に受診の相談をしたのが6月12日です。

 そして6月26日に東大病院を訪れました。実に25年ぶりですよ。中川医師に診てもらい、血液検査と心電図の検査を受けました。血液検査では糖尿病の数値が高かったものの、これは予想通りだったので、待合室で家内と秘書たちと「せっかくだから天ぷらでも食べて帰ろうか」と、のんきに話をしていました。

 そこに中川医師が急いでやってきて、「養老先生、心筋梗塞(こうそく)です。そのまま動いてはいけません」と。その日のうちに心臓カテーテル治療(※手首や足の付け根からカテーテルと呼ばれる細い管を血管内に挿入し、狭くなった血管を広げる治療法)を受けました。心臓に血液を送る大きな動脈が詰まりかけていて、これが完全に閉塞していたら万事終わりでした。

 病院には2つの出口があります。1つは阿弥陀様がお迎えに来て、「他界」へと抜けるための出口。もう1つは「娑婆(しゃば)」の出口です。どうやら阿弥陀様には見放されたらしく、とりあえず娑婆の出口のほうから病院を出ることができたわけです。

■患者も医師も大切なのは「体の声」を聞くことです

 世間的には「養老孟司は、病院嫌いだ」というイメージもあるようです。実際に健康診断の類はもう何も受けていませんし、今回も病院に行くか否かで散々悩んだ末での決断でした。

 80歳を過ぎた人間が、病院に行くのに何をためらうのかと思われるかもしれません。しかし、病院という場所は、一度行くと必ずどこか悪い部分を見つけて、たばこをやめなさいとか、甘いものは控えなさいとか、行動を制限してくるものです。そうした現代の医療システムに巻き込まれたら最後、もう抜け出すことはできません。それがむやみに病院に行きたくない理由です。

 それでも病院に行く決心をしたのは、家族に無用な心配をかけたくなかったのと、病院に行く3日前くらいからひたすら眠くて、ほとんど寝てばかりいたので、「これはさすがにおかしいぞ」と、私の体の声が聞こえたからです。

 体の声とは、自分の体から発せられるメッセージです。体調の変化やいつもと違う状態になれば、体は何らかのメッセージを伝えてきます。しかし、日本人は体調の変化があっても我慢して、いつの間にか環境に適応してしまいがちです。自分の体の良い状態がわからなくなってしまい、それがストレスとして蓄積されていきます。そうなれば、体から発せられるSOSのメッセージに気づけなくなってしまいます。

 そして体の声がわからないと医師に頼りきりになってしまう。医師から言われるままに過剰な医療や薬を与えられ、食事や行動を制限されるという現代の医療システムに、簡単に組み込まれてしまうわけです。

 医療の現場はすっかりデジタル化されました。かつては聴診器で胸の音を聴いたり、顔色を見たりすることが重要でしたが、今では医療データのほうを重視します。データ化されていない、胸の音とか顔色は診療の邪魔になります。いわば生身の体が医療にとってノイズになっているのです。このへんの話は、ぜひとも今回治療をしてくれた中川医師との共著『養老先生、病院へ行く』を読んでいただければと思います。「中川医師なら診てもらおう」と思ったのは、がんの放射線治療が専門で、終末医療の造詣も深いから。終末医療には患者自身と向き合う必要がありますし、私のような「医療界の変人」への対処法もよくわかっているので、その安心感もあったからです(笑い)。

 

■猫みたいな生き方が幸せだと改めて感じる

 中川医師をはじめとした医師たちの適切な対処のおかげで、退院から1年以上経ちましたが、元通りの生活に戻りました。いったん現代医療システムに組み込まれた身ですので、いまは潔くコレステロールや中性脂肪等を抑えるために処方された9種類もの薬を飲み続けています。

 もっとも、食生活は相変わらずで、「糖質を抑えて」などとは言わず自由に好きなものを食べています。

ただ、もともと食糧難の時代に育ったので、おなかが満たされれば何でもよく、グルメでもないのでぜいたくはいいません。大病を患った後で変わったことといえば、たばこの量が減ったこと。まあ、公式にはたばこはやめたことになっていますが(笑い)。そして、死というものは自分ではなく家族の問題であることを改めて認識したことです。死については自分が大病したことと、昨年12月に18年間連れ添った猫の「まる」が亡くなったことの影響もあるかもしれません。死は、親しい間柄であればあるほど、心に深い傷や悲しみを負うものです。そして順送りしていくものなんです。

 だから死は、本人には問題ではありません。あくまでも家族にとっての問題です。「終活」などといって、生前にあれこれ指示しても、死んでしまえば何もできません。生きている家族にすべてを委ねるしかないのです。死に方も死んだ後のことも、しょせん本人にはコントロールすることはできません。だから「こういう死に方はみっともない」とか「死ぬ前に準備をする」とか、そんなことを考えても無駄だと思っています。

 動物はいちいち意味など考えず、感覚だけで生きています。猫が日当たりのよいところにいるのは、そこにいるのが気持ちよいからです。「まる」もいつも夏は家の中で一番涼しいところ、冬は一番暖かなところを陣取っていました。

 自分にとって一番居心地のいい場所を探して暮らす。そうすればストレスもありません。そんな猫みたいな生き方が幸せなのかなと、改めて考えてみたりします。

(山下 隆)

※「朝日脳活マガジン ハレやか」(2021年 10月号)より抜粋

ようろう・たけし/1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士、解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学を研究し東京大学医学部教授となる。95(平成7)年、57歳の時に自主的に退官。その後北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。毎日出版文化賞特別賞を受賞した『バカの壁』(新潮新書)は、447万部の大ベストセラーとなった。養老先生が、老いと死、医療について語る、治療を担当した東大病院の中川恵一医師との共著『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)発売中。