人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、信濃追分で想った「生」について。

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 コロナとオリパラを避けて、二カ月近く軽井沢に滞在した。今年は天気が悪く、寒い日々が続いて体調を壊してしまった。九月に入ってよく晴れた日に、追分に友人と出かけた時だけ気分がすっきりした。

 近くなのに、ゆっくり追分宿に出かけたことがなかった。堀辰雄をはじめとする文人たちが夏を過ごしたことで有名なのだが、彼らが滞在した油屋旅館も火災に見舞われ、今は旅館としては素泊まりだけ。

 ここを文化財として保存するNPOが立ち上げられ、今は、古本屋や、陶器や布の作家たちの発表の場となり、ひっそりしたカフェもある。

 そのすぐ裏手にある追分宿郷土館でポール・ジャクレーの版画展が開かれているので、足を運んだ。ポール・ジャクレーはフランス人の浮世絵師で、木版画の傑作を多く生み出し、活躍した人である。

 軽井沢を愛し、戦時中もここで暮らし、多くの日本女性や南の島の女性をモデルに版画を残し、お墓も日本にある。私は浮世絵がパリの印象派などに影響を与えたことは知っているが、パリ出身で日本に骨を埋めた浮世絵師がいることをはじめて知った。

 日本画を学び、着物姿の女性を描きながらも、色調はあくまで透明で、フランスの空の明るさを失わず、独得の雰囲気を漂わす。

 それにしてもこんなに沢山の作品を一挙に見られるとは、何という幸せ!

 もったいないことに、その日、私たちが訪れた前後に客はなし。もっと多くの人々に見てもらいたいと思った。

 その後すぐ通りをはさんだ向かいにある堀辰雄文学記念館を訪れた。苔むした門をくぐって奥深くまで続く道がすばらしい。

 堀辰雄や多くの文人が集まったベア・ハウスは旧軽の私の山荘のすぐ下にあったし、塩沢湖の軽井沢高原文庫には、彼の愛した素朴な山荘が移築されている。追分に最後まで住まわれた堀辰雄夫人、多恵子さんの山荘に伺ってお茶をごちそうになったこともあった。

 先に行った私の友人が、出会った女性と親し気に話している。

 聞けば、三年前に長野の病院で一緒だった女(ひと)だという。

 病名は急性骨髄性白血病で、友人は移植を一度して今は職場に復帰しているが、彼女は二度も移植をして、今も仕事をしながら病院に通う。

「ずいぶん髪が伸びましたね?」

「僕はまだ坊主刈りにしているけど」

 二人の間にしか通じない空気が流れる。難病を克服して九死に一生を得た者同士の生への思いが溢れている。

「どうぞごゆっくり!」

 彼女は自分で描いた堀辰雄の肖像の栞(しおり)を私にくれた。帰り際、友人は彼女に大きく手を振った。

 今こうやって生きて仕事が出来ることへの喜びが溢れていた。

 堀辰雄の有名な言葉が浮かんだ。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

※週刊朝日  2021年10月1日号