エスカレーターを歩いたり、歩きスマホをしたりすることを禁止するなどの独自の条例が、話題を呼んでいる。罰則はないので効果を疑問視する声もあるが、その理由は。AERA 2021年10月11日号の記事を紹介する。

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 エスカレーターを利用する者は、立ち止まった状態で利用しなければならない──。

 埼玉県で10月1日、「エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例」が施行された。罰則はないが、利用者にはエスカレーターに乗るときに歩かないこと、事業者にはそれを周知することを義務付ける内容だ。

 エスカレーターの安全利用について義務を定めた条例は全国でも初めてとみられる。多発するエスカレーター歩行中の事故を防ぐことが目的だ。9月27日にJR浦和駅で条例の周知を呼びかけた大野元裕知事は、報道陣の取材に対し、「(すぐに習慣を変えることは)難しいだろうが、『埼玉スタンダード』として広げたい」と話した。

■理念や独自性を示す

 地方公共団体が国の法律とは別に独自に定める条例には、情報公開条例や個人情報保護条例のように、ほぼすべての自治体が類似の内容を制定しているケースもある。だが、各自治体の理念や独自性が色濃く表れているものも少なくない。

 地方自治や条例について詳しい明治大学政治経済学部の木寺元(はじめ)教授(政治学)はこう話す。

「条例の原則は国の法律で十分にカバーできない分野について、住民を守ったり自治体を運営したりするために定めるものです。罰則付きで権利を制限したり、義務を課したりするものも多くあります。一方、罰則を設けずに自治体独自の理念を表したり、自治体をアピールしたりするようなユニークな条例も各地で定められています」

 例えば京都市は、2013年に「清酒の普及の促進に関する条例(清酒乾杯条例)」を定めた。伝統産業である清酒で乾杯する習慣を広めるねらいだ。同様の条例は各地でブームとなり、アエラ編集部で確認できただけで20を超える自治体が、類似の「乾杯条例」を制定している。いずれも日本酒やワイン、リキュール、焼酎など地場産品の消費拡大を目指すものだ。

「業界団体からの陳情を受けて制定されたケースが多いようです。財政的な負担も少なく地域をPRできることから、『ゆるキャラ』に似たブームの構図がありました。ただし、PR以上の効果があったかというと、疑問です」(木寺教授)

 ほかにも、「一日に一度は人を褒めたり感謝を伝えたりすること」で明るい町づくりを目指す「一日ひと褒め条例」(兵庫県多可町/19年1月施行)や、各地で制定された朝食に地場産米を食べる「朝ごはん条例」も話題になった。

■議員の実績づくり

 一方、最近は冒頭の「エスカレーター条例」のような、罰則はないものの、行動規範や義務を定めた条例が注目を集めることが多い。

 香川県は20年、18歳未満を対象にインターネットとコンピューターゲームの利用時間を制限する「ネット・ゲーム依存症対策条例」を定め、全国で議論を呼んだ。また、神奈川県大和市は同年、スマホの画面を注視しながら歩行する「歩きスマホ」を禁止する条例を全国で初めて制定した。「歩きスマホ」「ながらスマホ」を防止する条例はその後の1年間で、東京都足立区、東京都荒川区、大阪府池田市でも相次いで成立した。

 こうした条例の制定が相次ぐ背景には、何があるのか。木寺教授は「社会情勢の変化を受けたものだが、議員の実績づくりの側面もある」と指摘する。

「罰則なしの条例は具体的なコストがあまりかからず、制定が比較的容易です。議員提案でつくられるケースが多く、地域課題に対する『実績づくり』に利用されやすい側面があります」

 議員にとって、自らが提案した条例を成立させることはわかりやすい「実績」のひとつだ。一方、法令との整合性を検証したり、実行可能な条文案を練ったりするハードルは高い。特に罰則付きで権利を制限する条例の場合、住民の反発を呼ぶ可能性があるし、地方検察庁などとの協議も欠かせない。また、給付金を支給したり、行政サービスを拡充させたりする条例も財政的な裏付けが必要だ。

 そうした事情もあり、全国の地方議会に提案される条例のうち「議員発」はごくわずかで、ほとんどは自治体職員が条例案を作成して知事や市町村長が議会に提案している。全国都道府県議会議長会によると、20年に47都道府県議会に提案された条例案2750件のうち、95%が知事提案だった。市町村議会でもほぼ同様の状況だ。

■メッセージを伝える

 そんななかでも、罰則を設けない規範条例は比較的提案のハードルが低く、議員提案によって成立するケースが多いという。埼玉県のエスカレーター条例、香川県のネット・ゲーム条例、東京都足立区と荒川区のながらスマホ防止条例は、いずれも議員提案で成立した。

 もちろん「議員のアピール」の側面があったとしても、条例そのものの価値とは無関係だ。

「条例や法律は、罰則そのものよりも、制定することで社会的な価値観や方向性を示すことに意味があります。罰則がないことで『実効性がない』との批判もありますが、条例が示すメッセージが適切ならば、その条例にも意味はあるでしょう」(木寺教授)

 エスカレーターでの歩行や歩きスマホによる危険性は社会的な関心事だ。条例によってメッセージが発信され、地域住民が考えるきっかけになったり、行動変容につながったりすれば、それは「よい条例」だと言える。地域で啓発イベントを実施するにも、下地となる条例がある方が有利だろう。

 ただし、懸念もある。

 足立区のながらスマホ防止条例は、議会での審議時間わずか41分で可決された。区民からは、移動中の地図アプリを利用するのはいいのかなど、線引きへの懸念が相次いだ。また、香川県のネット・ゲーム依存症対策条例も、「基本的人権の侵害で前提となる立法事実も存在しない」として、県内在住の高校生(提訴当時)と母親が訴訟を起こしている。

 木寺教授は続ける。

「条例には『こうした事実があるから対策すべきだ』という『立法事実』が欠かせません。また、一律に規制することで不利益を被る人がいないのか、仮にいるとすればそれを乗り越えてでも制定すべきなのかという『公益性』のチェックも必要です。こうした条例は今後も増えると考えられます。ですが、罰則がないからといって乱発するのではなく、立法の原則にのっとることが欠かせません」

(編集部・川口穣)

※AERA 2021年10月11日号