AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

 能楽師・安田登さんによる『見えないものを探す旅 旅と能と古典』は、「目に映る」とは異なる「見る」とは何か、自分に問いかけたくなる一冊である。能楽師として実際に出かけた旅、能や文学を通じて古典と現代を往還してきた心の旅。さまざまな旅を続けてきた著者が、情報が溢れかえる現代に「目などの感覚器官に頼らずにものを見る力」の重要性について語る。著者の安田さんに、同著にかける思いを聞いた。

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 下掛宝生(しもがかりほうしょう)流(ワキ方)の能楽師として活躍する安田登さん(65)。能の主役を務めるシテ方と違い、ワキ方は舞台に端座(たんざ)してそこで起きることをすべて見届ける役割を担う。時には僧として苦しむ霊を成仏させる。ワキ方が見つめる時間とは実に長大なもので、ワキの良しあしが舞台の出来を左右するとさえ言われる。

 そんな安田さんだが、能の家に生まれたわけではない。千葉県銚子市に育ち、目の前の太平洋や岩場が遊び場だった。塾など通ったこともない。ただ、幼少期から不思議な体験をすることが多かった。

「小学生の頃、時々いつもと違う一日が現れるのです。走っている電車の向きが違うとか、学校の友だちが別人のように見えるというパラレルワールドのような日がありました。また、波を眺めていて絶対あの下には別の世界があるという確信を持っていましたね。ある日気がついたら海の中にいたことがあります。意識がまるで飛んでいたのです」

 その時は泳いで生還した。ふだんは見えないものが見えてしまう少年。能という異界に引かれたのは当然だった。

『見えないものを探す旅』では、実際に重ねてきた旅、能や芭蕉などの古典文学、さらには夏目漱石、三島由紀夫などへの「旅」を入り口として、異世界へと読者を誘う。

 たとえば三島の遺作である『豊饒の海』4部作を「能の『五番能』の形式に基づいている」と看破する。主人公が生まれ変わる「輪廻(りんね)転生」をモチーフとする連作だが、鬼などをシテとする5番目の「切能」に当たるのは三島自身の切腹であった。「我を見よ」とばかりに腹を切った三島は永遠に生き続ける鬼神であろうとしたのだという説は慧眼(けいがん)である。舞台回しとして4部作に登場する本多繁邦はいわば「ワキ方」。「能」というフレームを通してみると、まったく新しい世界が出現する。

「本来人間には目に見えないものを見る力が備わっていると思うのですよ。でも現代は忙しすぎて、その力が発揮されない。『目』という器官が邪魔になるんじゃないかと思うくらいです。僕の祖母の一人は盲目でしたが、たいへん勘が鋭くて、白杖(はくじょう)なしでもその辺りを歩いていました。子どもの頃から祖母にはすべてを見透かされるような気がしたものです。殷(いん)の時代の楽師は目を潰されたといいます。欠落によって別の能力を獲得させるのです」

 安田さんは、舞台の仕事や執筆活動のほか、引きこもりの人たちや精神科医とともに『奥の細道』を歩く旅も実行してきた。そこでは自然の中を歩きながら俳句を詠むが、旅から帰ると多くの人は引きこもりをやめるという。

「みんな、自分がはまり込んでいた世界とは別の世界があると気づくのです。芭蕉と同じですよ。すぐ横にもう一つの世界があるということです」

 見えなかったものを思いがけず発見する。その効用が読書にもあるはずである。

(ライター・千葉望)

※AERA 2021年11月15日号