打席に立て! 打って、走って、100本ノック──。職場にあふれる用語の意味が実はよくわかりません。上司はどうして何でも野球にたとえるのでしょうか。AERA 2022年6月20日号ではそんな疑問にズバッと迫ってみました。
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深夜0時過ぎ、記者のもとに届いたメール。開くとこんな言葉が飛び込んできた。
<ベンチから声を出しているだけではゲームは動かせません>
送り主は、企画をともに進めている上司の一人だった。メールはこう続く。
<チームメンバーは、みなプレーヤーです>
<球を見極め、打って、走って、ゲームを進めていく>
丁寧な言葉づかいの裏に、「熱い」思いが見え隠れする。ただ、インドア文化系出身の身としては、こうも思ってしまう。
どうして野球にたとえるのか、と──。
■正直ピンとこない
物事をわかりやすく説明するために、比喩を使う人は多いだろう。勇気を振り絞って最初に水に飛び込む「ファーストペンギン」の話を聞いたのは、一度や二度ではない。だが、あまたあるたとえのなかで頻出するのが、冒頭の「野球たとえ」だ。
「たとえ話は誰もが理解できるかどうかが大事。ただの趣味と違って、野球の情報は息を吸うように入ってくるものだから」
と上司は説明するが、ルールさえ知らない記者にとってはかなり縁遠い存在なんですが……。
なんでも野球にたとえる「野球上司」がいるのは、記者の職場だけではない。
ある会社では、「100本ノック」と称した社内報が飛び交っている。新入社員はルーキー、上役をベンチと表現し、仕事の取り組みや事業についてそれぞれが紹介する。もちろん、野球関連の事業はない。この会社に勤める女性は言う。
「最初はなんで野球?と思いましたが、盛り上げていくぜという熱意は伝わった。古い会社で野球が好きな人が多いのも、用語が使われる理由なのかも」
職場では、プロ野球から高校野球まで、幅広く会話が繰り広げられているという。
都内の会社に勤める女性(28)の近くにも、野球上司がいる。仕事中にふらっとやってきて、
「打席に立て! 空振りでもいいからバットを振れ!」
と激励して去っていく。「ありがたい言葉ではあるけれど」と前置きしながら、こうこぼす。
「ニュアンスというか、言わんとしていることはわかります。でも、野球をしたことがないから、本当に理解できているかどうかは怪しい」
“令和の怪物”と呼ばれる佐々木朗希や二刀流の大谷翔平などの有名選手はもちろん知っている。だが、細かいルールや往年の名選手のことはよくわからない。正直ピンとこないのだ。
しかも、こんな弊害も。
「話の内容よりも、またこのたとえか〜と面白くなっちゃうんですよね」(女性)
相手に伝わらなければ、たとえ話の効果は半減。なぜたとえてしまうのか。龍谷大学文学部教授で、ビジネス心理学が専門の水口政人さん(48)は言う。
「人間の記憶は、映像で思い浮かべたことが残りやすい傾向にあり、言葉より野球の場面を使って説明することでコミュニケーションが円滑に進んだ成功体験があるのでしょう」
■野球たとえは処世術
40〜50代の上司世代にとって、娯楽といえば野球だった。そんな水口さんも、子ども時代から野球を続ける生粋の野球好き。かつて勤めた大阪の会社では、阪神ファンの取引先との会話に備え、経済新聞だけでなくスポーツ紙も読み込んでいた。受けが良いからと、事あるごとに“王・長嶋”の話を挟む若手社員を見たことも。
「もちろん当時のことは知らない世代。ただ、野球のたとえは会話パターンの一つで、何にたとえるかは本質ではない。互いに良い関係を築きたいと思えば、いまいちなたとえでも潤滑油に変わる。向き合う前から毛嫌いするより、いっそ胸元にズバッと投げ込んでみては」
処世術としての野球たとえ。斜に構えるより、まずはバットを振ってみます。
(編集部・福井しほ)
※AERA 2022年6月20日号