1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。前回に引き続き、本年3月に廃止50年を迎えた横浜市交通局の路面電車(以下横浜市電)の思い出を綴る。前回は往年の車庫巡りを回顧したが、今回は戦後の復興時に横浜市中央卸売市場(ちゅうおうおろしうりいちば/以下中央市場)から、生鮮食料を運搬して市民の台所を支えた中央市場線を紹介しよう。

*  *  *

 戦中戦後の物資輸送は燃料が欠乏したためトラック等の自動車輸送が破綻して、馬力や人力に頼る他はなかった。そんな不自由な時代に、東京の都電は1944年に勝鬨橋線から分岐して築地中央市場まで約1000mの引込線を敷設。貨物電車の甲1、甲400型を使って生鮮食料を輸送した。

 横浜市でも中央市場からの輸送事情が切迫した1948年11月に市電神奈川線の中央市場前(1949年に神奈川会館前へ改称)から分岐する中央市場線約600mを敷設。当初は市場への引込線として貨物電車が乗り入れた。翌1949年3月からは7系統(中央市場〜八幡橋/9136m)の市電が中央市場への足として旅客営業を開始している。

 中央市場線は神奈川会館前の交差点を南東方向に分岐。複線で100mくらい進むと、そこから終点までの約500mは横浜市電唯一の単線で敷設されていた。

 冒頭のカットが国鉄高島貨物線をアンダークロスして中央市場に向う7系統の市電。方向幕は乗務員の早回しで八幡橋に変更されていた。国鉄跨道橋背後の濃いグレーの建物が震災復興事業の一環として1929年に竣工した「神奈川会館」で、クラシックコンサートが開かれるなど美しいステンドグラスと共に市民の憩いの場として親しまれた。この辺りから市場場外の商店が軒を連ね、東京の築地を彷彿させる市場の風情が醸し出されていた。中央市場通りの左側にはヒルマンミンクス、日産ブルーバード310、右側にはマツダB360などが駐車していた。

国鉄跨道橋上から俯瞰する

 前カットの画面右端に写っている小径を辿って国鉄線の跨道橋に上り、7系統八幡橋行きを俯瞰撮影している。中央市場通りの両脇が市場利用者の駐車ゾーンになっており、右側には日産ブルーバード310.スバル360、日産キャブオール、左側にはトヨペットマスターラインなど1960年代のクルマが駐車している。市電の背景が滝の川に架かる万代橋で、橋を渡った左側が1931年に開場した横浜市中央卸売市場の建物だ。

 次の写真は、複線区間の終端部で7系統八幡橋行きの到着を待つ中央市場行きの市電。写真のように横浜市電のサボは系統番号の下に始終点と経由地が大きく明記され、とても見易かった。画面を精緻に観察すると、左端に写る「コーエキ わさび」縦看板の右横に単線区間への進入許可を現示する信号器が確認でき、単線区間の運転保安方法が理解できた。背景の市電が下をくぐる跨道橋が、1917年に敷設された国鉄(現JR)東海道本線の貨物線(通称高島貨物線/鶴見〜桜木町)で、東高島〜高島貨物駅(当時)の区間に所在した。

 高島貨物駅から発車を合図する長緩一声の汽笛が聞こえた。上り貨物列車がやってくるようだ。先ほど市電を俯瞰撮影した跨道橋から東高島駅方向に移動し、D51791牽引の貨物列車にカメラを向けた。同機は1942年の新製配置以来新鶴見機関区を離れず、1970年10月10日には東京〜横浜港間で「高島貨物線電化完成記念列車」を牽引している。ちなみに、鶴見〜桜木町間の貨物線電化完成は1970年9月15日だった。

市場通いの路面電車

 中央市場からの仕入れ客が並ぶ中央市場停留所に到着した7系統の市電が次の写真だ。当日は「ハマのエース」1500型が運行されており、画面右側に万代橋が写っている。

 1950年代半ばから1960年代にかけて、中央卸売市場は需要が増え続ける最盛期だった。市中から市場のまん前まで乗り入れてくる市電は、どれも仲買人や商店主など、市場への仕入れ客で溢れていた。

 東京でも築地の魚河岸を発着する8系統(中目黒〜築地)の都電車内は、仕入れ客が魚を入れた大きな籠を携えて乗車するため魚臭さが残り、一般乗客からは「魚河岸電車」と揶揄されていた。横浜でも、7系統の車内からは築地と同じような魚臭がしたことと推察される。

 最後の写真が中央市場停留所を後に八幡橋に向う7系統の市電。前掲の写真では見え辛いが、停留所の右手に側線の軌道が判別できる。貨物電車を併用して運行していた時代、この側線で生鮮食料品の積み卸しをしていたのだろう。前号で掲載した28号などの有蓋貨物電車が活躍した往時が偲ばれる。

 画面の中央奥、市電の軌道と直角方向に1982年まで使われた国鉄貨物線の踏切が写っている。この線は1934年に開通した横浜市場貨物駅と東高島を結ぶ貨物線で、開通時の横浜市場貨物駅は山内町貨物駅の呼称だった。

 中央市場線は横浜市電の路線縮小の先鋒とし、神奈川線の洲崎神社前〜生麦と共に1966年8月1日に廃止され、中央市場の雑踏に通う路面電車の姿は伝説となった。

■撮影:1965年11月30日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの軽便鉄道」(イカロス出版)など。2022年6月に「EF58 最後に輝いた記録」をフォト・パブリッシングから上梓した。

※AERAオンライン限定記事