誰の精子かわからないまま使われ、生まれてきた子供たちの多くが「自分のアイデンティティの半分が空白」と訴える。彼ら・彼女らの「出自を知る権利」はどう保障されるべきなのか。AID[非配偶者間人工授精]が浮かび上がらせる問題の本質について、10年以上にわたり取材を続けるジャーナリスト大野和基氏の新刊『私の半分はどこから来たのか――AIDで生まれた子の苦悩』(朝日新聞出版)から一部抜粋・再編して紹介する。

※前編「夫のものではない精子で妊娠・出産する『AI』」 生まれた子供が経験する“喪失体験”の実態」よりつづく

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■自分は何者なのだろう

 横浜市立大学で内科医として勤務する加藤英明は、29歳のとき自分がAIDで生まれたことを偶然知った。そのとき、家庭内で違和感や緊張感を感じることはなかったので、よけいにだまされた気持ちになったという。AIDで生まれた人の中には、親に告白されたとき、今まで何かおかしいと思っていたことについてすべて納得がいった、という経験をした人もいる。

 加藤は父親に問い質そうと思ったこともあったが、父親にこの話を持ち出す気にはなれなかった。母親は、自分をAIDで産んだと認めたことを父に言っていないかもしれない。しかし、自分が真実を知っていることを、父親が母親から聞いて知っているのであれば、そのことについてお互いに何も言わないのは、それはそれでばつが悪いとも思った。子供は、祖父母の存在を意識しながら育つことがある。生きていようといまいと、祖父母がどういう人物であったか、具体的なストーリーがそこにあるので、血縁を遡さかのぼることでアイデンティティが確立される。だが、AIDの場合、匿名の精子が提供されるので、父方の血縁関係がすっぽり抜けて空白状態になる。

「自分のアイデンティティの半分がふわふわ宙に浮いている気持ちになった。自分は何者なのだろう。どこの誰なのだろうと思った」。加藤はそう振り返る。私がアメリカやイギリスで取材したAIDで生まれた人も異口同音に「アイデンティティの半分が空白状態」である気持ちを吐露していた。

 イギリスで、41歳のときに母親から突然送られてきた手紙で初めて自分がAIDで生まれたことを告白されたクリスティーン・ウィップ(66)は、「母親から『望まれてこの世に生まれ、愛情を注いで育てた』といくら言われても感謝の気持ちはまったくない」と怒りを隠せない。21歳で初めてAIDで生まれたことを知ったイギリス人のトム・エリス(38)は、「精子(卵子)提供で生まれた子供は遺伝上の父親や母親を知る権利がある」と言い、自分の出自を知る権利を子供に与えないのならば、その人は子供を産むべきではないと怒りをもって主張する。

 2010年8月、元郵政相の野田聖子がアメリカで提供卵子によって妊娠し、大きな話題となった。出産後も野田はテレビや新聞のインタビューで、卵子提供者には会えないと約束したことを子供に伝え、誰よりも望まれてきた子だから堂々としてくれと言い続ける、と語った。そうは言っても、それだけでは子供のアイデンティティの空白が埋まることにはつながらないのではないか。

■異母姉妹と知らずに結婚してしまう可能性

 加藤は自らの出自を知った1年後に医師の国家試験を控えていたが、そのための勉強にはまったく手がつかなかったという。当時は「AID」という言葉すら知らなかったが、母親が認めた翌日から、まずインターネットで調べ始めた。AIDが提供精子を使う不妊治療であることはすぐにわかったが、それ以上の詳しい情報は当時まだなかった。図書館にも通って医学論文や新聞記事を渉猟した。日本語の論文は、ほとんどが慶應大学の飯塚理八・名誉教授(故人)の執筆によるものだった。

 医学部の実習はサボるわけにはいかないが、空いている時間はすべて図書館でAIDについてのリサーチにあてた。そうでもしない限り、自分の気持ちと折り合いをつけることができなかったのだ。「他大学の医学部で精子提供のアルバイトがあるという噂うわさは、飲み会で話に出たことはありました。でも、まさか自分がそれで生まれた子供だとは考えたこともありませんでした」

 加藤はネットと図書館での情報収集に限界を感じ、2003年2月、自分が在籍する医学部の産婦人科教授にアポなしで会いに行った。「実はぼくはAIDで生まれたらしいんです」と切り出すと、教授に「AIDで生まれた子供に会ったのは初めてだよ」と言われた。「どうしたらいいでしょうか」と問うと、「AIDを行った医師に会いに行ってみたら」と言われ、その医師が東京都内で開いていたクリニックの住所を教えてくれた。

 加藤はまず手紙を出した。その中に、「AIDで生まれたため、自分の遺伝的背景がわからなくて困っている。父親の病歴を知らないと非常にデメリットになる」という趣旨のことを書いた。さらに「異母姉妹と知らずに結婚してしまう可能性についてはどう思うか」という質問も入れた。手紙を出してからしばらくしてそのクリニックに電話をすると、あっさりアポを取ることができた。

 土曜日の昼下がり、加藤は訊ききたいことを頭に入れてクリニックを訪れた。医師は、まるで待ち構えていたかのようにエレベーターホールに立っていた。「よく来てくれたね」と挨拶をされ、診察室へ案内された。「ぼくのところに会いにきたのは、君で3人目くらいだ。みんないろんなことを思っているみたいだけれども、最終的にぼくに会って感謝して帰っていくんだよ」。医師は、加藤にとってアイデンティティの半分が空白状態であることがどれほど深刻なことか、微塵も感じていないようだった。

■同じ精子提供者から75人の兄弟姉妹

 加藤が遺伝病についての懸念を医師に話すと、「まずドナー(提供者)を探すときに、私自身がその人と面談をしている。家系図を書かせてその中に遺伝病と考えられる病気がない学生しか選んでいない。さらに学生台帳を見て、近親者が何か問題を起こしていないかどうかも一通り調べている。何といっても慶應医学部の学生だから、素性はよく知れているよ」と言いながら「あはははは」と笑った。

 しかし加藤は、近親婚のことが頭をよぎった。医師は近親婚の可能性は確率的にゼロに近いというが、AIDで生まれた人にはその悩みがつきまとう。「確率の問題ではありません。ぼくには相手が遺伝的な姉妹ではないという確信を持つことができないのですから」。医師は加藤に、慶應大学の3年、4年、5年、6年の学生から集めていた、と言ったという。

「当時はまだ凍結が主流ではなく、生の精子を使っていたとすると、信濃町校舎の現役の学生4学年(3〜6年生)が対象になります。だからぼくは、女性と付き合うときに、常に自分との年齢差が4歳以内の人は避けるようにしています」

 実際、イギリスで2008年1月に、別々の家の養子となったAIDで生まれた双子の男女が血のつながりを知らないまま結婚、その後、双子とわかり裁判所から、「近親婚」にあたるとして婚姻を無効とされたケースが報告された。2人は「双子とは知らなかった。お互いに避けがたい魅力を感じた」と結婚した理由を話しているという。

 米コロラド州にある「Donor Sibling Registry」(Sibling は兄弟姉妹の意。以下、DSR)というサイトを主宰するウェンディ・クレーマーはAIDで子供を出産した。その後、子供から異母きょうだいに会いたいと言われたことがきっかけとなってサイトを立ち上げた。「このサイトはAIDで生まれた子供が兄弟や姉妹に会うためにつくりましたが、中には同じ精子提供者から75人もの兄弟姉妹が生まれていることがわかったケースもあります」。知らないうちに、自分と血のつながった人間と結婚してしまう可能性は否定できないと言えよう。結婚する前にDNA検査をすれば済むことだと簡単に片づけられる問題ではない。

 AIDを行った医師に会いに行ったものの、加藤にはどこか「笑ってごまかされた」との思いが残った。結局、自分が一番知りたいと思う情報、つまり自分の生物学上の父親は誰なのか、という情報について医師は完全に口をつぐんでいる。その代わりに、AIDで生まれた他の人から来た手紙の一部だけを見せてくれた。「先生のおかげで生まれてきたことに感謝しています」。他には何が書かれていたかはわからない。AIDで生まれた子供にとって、「この世に生まれてきたことに感謝せよ」と言われることが最も残酷であると加藤は苛立ちを込めて言う。「そう言われると、それ以上議論できないから、前に進まない」

■男性の100人に1人は無精子症

 カップルにとって「子供ができない」という問題は想像以上に切実で深刻である。一旦、不妊治療を始めると途中でやめることはなかなかできない。そして、夫が無精子症だとわかった場合、AIDをすすめられることが多い。だからといって、安易にAIDという方法に頼ってもいいものなのだろうか。実際にAIDを行って妊娠し、子供が12歳のときに告知に踏み切ったある母親は、私にこう語った。

「夫が無精子症であることがわかったときに、AIDという方法を医師に教えられました。AIDを使おうと言い出したのは夫のほうです。それに踏み切るまで数年かかっています。私には抵抗がありました」。男性の無精子症は100人に1人という高い割合でみられる。しかし、この問題について、男性が悩みを吐露できる場所は非常に少ない。

 生殖医療(不妊治療)が専門の生殖心理カウンセラーは、男性不妊についてこう語る。「夫が無精子症とわかり離婚したカップルもいました。また、無精子症と判明した夫が、その後、うつ病を発症し、自殺したケースもあります」生殖医療専門のカウンセリングルームを持つ施設の担当者は、不妊検査についてこう語る。

「精液検査の結果が芳しくないとわかったとき、夫はもちろんのこと、妻も複雑な心境に陥ります。夫婦関係が大きく揺らぎ、夫婦間に大きな亀裂が生じることもある。検査を受けるということはどういうことなのかを、夫婦でしっかり理解してから受けてほしい」。不妊と診断された男性は、カウンセラーの前でもほとんど口をきかないという。無精子症がこれほどまでに深刻な悩みで、しかも100人に1人という確率で起きることを考えると、もっと男性が不妊問題に関心を持つべきだと思うのは私だけであろうか。

■親が感じる負い目。隠すことが苦しく、一時うつ状態に

 加藤は医学部を卒業後、内科医になった。「自分と遺伝的につながっている父親は間違いなく慶應大学の医学部を出ているから、今も医師をしていると思う。そういうこともどこかで自分の進路に影響したかもしれない。今は医師としてその提供者と会い、いろいろ話したいと思う」

 子供が12歳のときにAIDで生まれたことを告知した前出の母親も、遺伝的につながっている提供者についての情報を入手しようと慶應大学に手紙を書いたが叶かなわなかったという。その母親が言う。「よく勘違いされますが、提供者は遺伝的には子供とつながっていますが、その人は娘の“父親”とは違います。娘の父親は生まれてからずっと育てた人です。“父親探し”という言葉を使うと、誤解を生みかねません」

 AIDの問題は、まず親が子供にその事実を隠すことから始まる。加藤はこう話す。「日本でよくないのは、AIDについて真実を語ろうとしないことです。誰もが隠しておけばみんなが幸せになると仮定して、AIDをずっと実行しています。親も医師も、もちろん提供者もだまっている」

 加藤が実名で私の取材に応じたのも「隠す」ことに対する限界を感じたからだ。「親が傷つくかもしれないから実名を出さないとか、子供が親に対して配慮しないといけないということ自体が、そもそもおかしい」。AIDで子供を産んだことを隠すのは、親が負い目を感じているからだと加藤は言う。

 子供にAIDで産んだことを告白した前出の母親も、その事実を隠していることが苦しく、一時、うつ状態になった。しかし、心療内科にかかっても薬を処方されるだけだったという。この母親が打ち明ける。「そんな私を見かねてか、子供が12歳のときの大晦日に、夫が突然『告知しよう』と言ってくれたのです」。子供は「ふーん。そうなんだ」と返事をしたきり何も言わなかったが、その心中は推し量りようがない。それ以上、子供は何も言わなかった。

 加藤の母親がAIDの事実を認めたとき、加藤はしばらく父親に「お父さん」と呼びかけることができなかったという。父親の顔を見ても「自分の父親じゃない」と、頭の中で否定してしまうのだ。約8カ月後、ようやく父親にAIDについて聞いた。すると「おまえが知ったことは知っていたよ」と言われた。さらっと答えられたので、拍子抜けしたという。その瞬間から加藤はまた「お父さん」と呼べるようになった。あくまでも育ての父親が“本当の父親”であり、生物学上の父は顔も見たことがないので、父親ではないのだ。