20歳の藤井聡太五冠が名人戦初挑戦を決めた。挑戦者決定戦で広瀬章人八段を破った。4月開幕の名人戦で勝てば、谷川浩司十七世名人の史上最年少記録(21歳)を更新する。AERA 2023年3月20日号の記事を紹介する。

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「おおきくなったらしょうぎのめいじんになりたいです」

 2008年7月19日。藤井聡太少年が6歳の誕生日を迎えたとき、幼稚園で作られたお祝いのカードには、そう記された。それから15年近い歳月が流れた。

 23年3月8日、東京・将棋会館においておこなわれた第81期A級順位戦プレーオフ(名人戦挑戦者決定戦)。藤井竜王は広瀬章人八段(36)に125手で勝ち、渡辺明名人(38)への挑戦権を獲得した。

「やっぱり名人というのは江戸時代から続く、本当にすごく歴史のある称号で。名人戦に出るということは、重みを感じるところはあります。自分にとってすごく大きな舞台になるかなと思っているので。それにふさわしい将棋を指したいという気持ちが強いです」(藤井)

「めいじんになりたい」という幼い頃の夢について改めて問われた藤井は、笑いながら次のように語っていた。

「自分では記憶していなかったんですけど。将棋を始めたのが5歳の頃なので。6歳でというのは、ずいぶん大きく出たなと思いますけど。もちろんこれから名人戦の対局があるわけですけど。名人戦という舞台に立ったところまで来たというのは、当時の自分にちょっと教えてあげたいなと思います」(藤井)

■加藤一二三に次ぐ若さ

 将棋界のあらゆる記録を塗り替えつつある、若き王者。今回、どのような偉業を達成しつつあるのかを整理しておこう。

 将棋界の歳時記では、新年度を迎えた4月に名人戦七番勝負が開幕する。藤井挑戦者がその舞台に立つとき、年齢は弱冠20歳8カ月。これは1960年に20歳3カ月で名人挑戦者となった加藤一二三八段(現九段、83)に次ぐ若さだ。

 持将棋(引き分け)が続くなど、なんらかのアクシデントが起こらない限り、今期名人戦七番勝負は6月中に閉幕する。20歳の藤井が名人位を獲得すると、83年に谷川浩司新名人(現九段、60)が打ち立てた21歳という史上最年少記録を更新する。その点について、藤井は次のようにコメントした。

「対局に臨むにあたっては、まったく意識することではないかなとは思っていますけど。ただ、谷川先生のその記録にチャレンジできるというのはやっぱり光栄なことだと思うので。精いっぱいがんばりたいと思います」

■羽生善治以来の七冠も

 藤井は現在、竜王、王位、叡王、棋聖、王将の五冠を保持している。今年度はこれから王将を防衛し、棋王を獲得すれば、羽生善治現九段(52)に次いで史上2人目の六冠となる。来年度、名人まで獲得すればやはり、羽生以来の七冠となる。

「現時点で七冠という数字を意識するということは全くないんですけど。(現在進行中の)王将戦と棋王戦、二つ戦って、やっぱりいろいろ反省点というか、課題もあったかなというふうに感じているので。その反省というのを名人戦にいかしていけるようにがんばりたいと思っています」(藤井)

 羽生は96年、当時存在した7大タイトルを独占した。現在は8大タイトル制。もし藤井がこれから王座戦でもトーナメントを勝ち抜いて挑戦権を獲得すれば、今秋には史上初の八冠達成の可能性まである。

 改めて、藤井が名人挑戦権を獲得するまでの軌跡をたどってみよう。藤井は史上最年少14歳で四段に昇段。17年度から順位戦に参加した。

 順位戦は同時代にただ一人存在する名人を頂点として、上から順にA級(定員10人)、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の5クラスが置かれるピラミッド構造となっている。1年1期でリーグがおこなわれ、昇級や残留をめぐって熾烈(しれつ)な争いが繰り広げられる。持ち時間は6時間。1日制の対局ではもっとも長い。

「ここまで振り返ると、順位戦の対局を通して、自分自身成長できたという部分がけっこう大きかったかなというふうに感じています。やっぱり四段になった頃っていうのはなかなか長い持ち時間で対局というのは、順位戦以外に少なかったですし」(藤井)

 藤井はC級2組を1期で通過。C級1組でも勝ち続け、順位戦でデビュー以来18連勝という、中原誠五段(現十六世名人、75)に並ぶタイ記録を作った。しかし近藤誠也五段(現七段、26)に敗れ、最終的には9勝1敗という好成績ながら順位の差で昇級を果たすことができなかった。これが順位戦の怖いところだ。藤井の輝かしい棋歴における、数少ない挫折体験ともいえるかもしれない。

■自陣に桂打ちの妙手

 藤井は以後、ノンストップで昇級を重ねる。今期からは満を持してA級に参加。多くのファン、関係者がすでに五冠を保持する藤井が名人挑戦の本命と見た。しかしその道のりは、決して平坦(へいたん)なものではなかった。

「今期のA級を振り返ると、全体として非常に厳しい戦いだったなと感じています。負けた将棋というのはチャンスを作れなかったですし。勝った対局もやっぱり、最後まで難しい将棋ばかりだったので」(藤井)

 藤井は7勝2敗でA級1期目を終えた。デビュー以来の順位戦通算成績は56勝5敗(勝率9割1分8厘)。これまでの将棋界の常識からすれば、信じられないような数字だ。

 藤井はA級同成績の広瀬と名人挑戦をかけ、プレーオフを戦うことになった。振り駒の結果、藤井は先手を得る。戦型は最新の角換わり腰掛け銀となった。

「最初のこちらが攻める展開から、攻め合いになったんですけど。後手玉の急所がかなり、見えづらい形で。そうですね、考えてもちょっと、距離感のつかめない場面が多かったかなというふうに感じています」

 92手目。広瀬はふわっと中段に角を出る。これが藤井の意表を突いた好手だった。

「指されてみるとかなりいやな形になってしまったかなと思ってやっていました」

 終盤戦。藤井は時間が切迫する中、強い受けでしのぐ。そして115手目、自陣に桂を打って広瀬玉に照準を定める。多くの観戦者を驚かせた妙手だった。

「そのあたりで、なんとか余せそう(僅差(きんさ)ながら勝てそう)かな、というふうに思っていました」(藤井)

 最後は藤井がきれいに広瀬玉を詰まして、深夜にまで及ぶ熱戦にピリオドを打つ。ネット上ではすぐに「名人挑戦」がトレンドワードとなった。

■棋王戦のゆくえ次第

 超一流の宿命として藤井はハードスケジュールがずっと続いている。A級プレーオフの3日前、藤井は挑戦者として渡辺棋王と棋王戦第3局を戦った。藤井は敗勢に陥ったあと、最終盤で逆転に成功。しかしそこで渡辺玉の詰みを逃すという、劇的な幕切れの末に敗れた。

「詰みがあったということに気づいたときは若干ショックはあったんですけど(笑)。ただ、もともとずっと負けの将棋だったので」(藤井)

 長く続いた藤井の先手番連勝記録もストップ。名人・棋王の二冠を保持する渡辺の底力を感じさせた一局となった。現時点では、名人戦の下馬評はおそらく藤井ノリの声が圧倒的であろう。しかし棋王戦のゆくえ次第では、その見方もどうなるかはわからない。藤井の快進撃は続くのだろうか。(ライター・松本博文)

※AERA 2023年3月20日号