
2030年代半ばまでに最低賃金を1500円まで引き上げるーー。岸田文雄首相は8月31日、「新しい資本主義実現会議」でそんな目標を語った。経団連や日本商工会議所からは肯定的な意見が相次いでいるが……。岸田首相の発言について、経済ジャーナリストの荻原博子さんは「国民の生活実態を全く把握できていない」と言い切る。
* * *
ーー岸田首相の「1500円発言」に賛否の声が相次いでいます。
2030年代半までという中長期的な目標に対して、正直呆れています。
日本は1990年代半ばからずっとデフレで、賃金は上がらず物価も上がらずの状態にありました。ところが、2022年から消費者物価指数(CPI)が上がり始め、インフレの時代に突入しつつあります。実際に2022年度のCPIは前年度より3%上昇。伸び率は1981年度(4%)以来、41年ぶりの水準でした。
デフレのときは最低賃金がそれほど上がらなくても、国民はさほど困らなかった。しかしインフレに突入しているいまだからこそ、すぐにでも最低賃金の引き上げに取り組まなくてはいけないのです。
ーー先進国の中でも日本の最低賃金事情は最低レベルです。現在、日本は961円で、ドイツやフランスは1386円。韓国は991円です。
日本でこのままの状態が続くと、格差が広がります。生産活動の中心を支えている15〜64歳を指す生産年齢人口が減少傾向にあります。2023年2月1日時点の生産年齢人口は7400万人で、総人口の59.4%まで下がりました。
これからどうなるか。若い働き手には自然と高い賃金が支払われる一方で、中高年で職が不安定な最低賃金で働かなければいけない人が今後、いっぱい出てきます。
特に就職氷河期世代はその影響を大きく受けるのではないでしょうか。年齢も50代に差しかかるところです。正社員の職を希望しても非正規しか選択肢がない人も多い。彼らに残されたのは最低賃金を受け入れることになるのです。
ーー一方で、岸田首相は内閣発足時に目玉の政策の一つとして「賃上げ促進税制」を掲げています。
同制度は、従業員のボーナスを含む給与総額を一定率増やした企業を増加分の一定割合を税額控除の対象とし、法人税などの負担が軽減されるものです。
ところが、税の優遇を受けられるのは法人税を納めている企業のみ。国税庁の調査によると、日本の6割以上の企業は赤字であり、法人税を納めていない。岸田首相はこの制度を格差是正のために打ち出したと話していますが、効果は限定的なものにしかすぎません。
本当に賃上げ政策をしっかりやるのであれば、同一労働同一賃金を徹底的にすべきではないでしょうか。同制度は、2018年に働き方改革関連法が成立し、そこに盛り込まれました。狙いは非正規雇用が約4割を占める中、正規職との格差を埋めるためです。
ところが、同制度の対象には契約期間を定めずにフルタイムで働く非正規雇用者の「無期雇用労働者」は含まれていません。2013年には労働契約法が改正されており、更新を重ねて契約期間が通年で5年を超える労働者には、契約期間を無期に転換するルールが定められました。しかし、がんばって働いているのに永遠に正規職との格差が埋まらない現実もあります。格差を是正するのであれば、いますぐここを改正すべきではないでしょうか。
一方で日本は、夫が過労死寸前で鬼のように働いても、それでも家計が足りなければ妻がパートにでて稼がなければいけない現状があります。だけど、パートでの稼ぎで年収が106万円を超えると社会保険料の負担が発生し、手取りが減少します。結局のところ、稼ぐことに必死な人の労働意欲は削がれてしまいます。
経団連などの顔を伺っているだけの岸田首相。リアルな国民の生活がわかっていないのです。国民が抱える”頭痛”は、今後も増していくのではないでしょうか。
(AERAdot.編集部・板垣聡旨)