6月、中国で『火花』の中国語版が刊行された。言わずと知れた、又吉直樹の芥川賞受賞作。仕掛け人の毛丹青は、東京と中国都市部の若者の類似性を指摘した。

「日本の文学作品を中国の読者に届けるには、かつては文学者や編集者の解説が不可欠でした。しかし『火花』なら、専門家の仲介なしに中国の若者に直接届けられる、と直感したのです」

 断言するのは、又吉直樹(37)のデビュー作『火花』中国語版の仕掛け人で翻訳者の神戸国際大学教授、毛丹青(マオタンチン)(55)だ。2年前、「文學界」(2月号)に発表直後に魅了されたという。

「描かれるのは東京での出来事ですが、上海の若者が下宿のドアを開けたら、すぐ外に広がっている情景だと思いました」
 東京で暮らす売れないお笑いタレントの青春群像は、舞台をそのまま上海に移し登場人物を中国人の若者に置き換えてもまったく違和感がない。このことに衝撃を覚えた。

 今年6月に発売。初版2万部と中国で発売される通常の外国文学の4倍だったが、既に増刷が決まっている。毛は強調する。

「日中関係がよくない中で、われわれが見落としている部分があります。それは東京の若者と、北京や上海といった都市部で暮らす中国の若者のライフスタイルや価値観は限りなく近づきつつあるという現実です」

●又吉も「似てますよ」

 中国語版のPRのために6月中旬に初めて中国を訪れた又吉の発言が、それを裏付けた。密着取材したNHK「クローズアップ現代+」(6月27日放送)に、こんなシーンがあった。

 上海の下町の路地を散策する又吉に、案内役の女性スタッフが「日本と違うでしょ」と声をかける。すると、缶ジュース片手にリラックスした表情の又吉が少し間をおいて答える。

「日本と……似てますよ」

 そして「(又吉は)下積み時代に過ごした吉祥寺の街を歩いている気がした、と言います」というナレーション。

「彼のこの反応は、2年前に『火花』を読んだ直後の私の予測を見事に証明してくれた。キターッと思った」(毛)

 毛の経歴で見逃せないのが、月刊誌「知日」の創刊だ。

 サブカルから文学まで、日本文化を紹介する「知日」は2011年1月に北京で創刊。毛は主筆に就いた。その後、尖閣諸島の領有権問題が過熱するなど日中関係は悪化したが、それでも、広告を掲載せずに読者の購読料のみで成り立つビジネスとして、「知日」を軌道に乗せることに成功した。毛は言う。

「中国には日本の文化を知りたいという潜在的な読者のムーブメントがあると理解しました」

 支えているのは、「鉄板層」と呼ばれる中国都市部の若者の旺盛な消費だ。

「理解できるかどうかよりも、お金を払って消費することで、心の中の豊かさみたいなものを求めていく感じ」(毛)

 その後、毛は「知日」を退き、昨年3月に編集長として隔月誌「在日本」を創刊。「在日本」は「知日=日本を知る」を一歩進めて、「われわれは日本の中にいる」という意味だ。

「中国は、日本の最先端の価値観やライフスタイルを単に情報として『知る』段階を超え、リアルタイムで共感、共有していく段階にあるのです」(毛)

「在日本」最新号は又吉のロングインタビューを掲載。『火花』とセットで販売している。

●価値観も共有できる

 毛は又吉の上海訪問中、書店でのトークライブや学生との交流にも同席。日常の悩みを又吉にぶつける中国の若者の姿を目の当たりにして、確信を深めた。

「生活に密着する要素に目を向ければ、日中の市民感覚は決して乖離(かいり)していません。日常を豊かに彩る商品を介在することで価値観も共有できる」

 毛には、「政治」に翻弄(ほんろう)されがちな日中の壁を、芸術や文化への共感力で突き崩そうとする野心もうかがえる。今年は日中国交正常化から45周年。文化が政治をのみ込む日は来るのだろうか。(編集部・渡辺豪)

※AERA 2017年7月31日