批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

*  *  *
 たいへん痛ましい事件が起きた。京都市伏見区の「京都アニメーション」(京アニ)のスタジオが40代の男性により放火され、35人が亡くなり、多数の負傷者が出たのである。本稿執筆時点では詳しい動機は明らかになっていないが、怨恨による犯行と推測されている。

 京アニは1980年代に創業した古いスタジオだが、一般的な知名度を獲得したのはこの15年ほどのことだ。視聴者の生活と連続したリアルな風景を舞台とし、等身大の主人公を動かす繊細な描写が評価された。年配の読者の方には、アニメというと「ヤマト」「ガンダム」といった男性的なSF作品をイメージする方が多いかもしれない。むろんいまでもそのような作品は作られているが、2000年代以降は、「日常系」といわれる穏やかで中性的な作品が増えていた。京アニはそのトレンドを牽引していたスタジオだった。

 それだけに事件の衝撃は大きい。京アニの作品には暴力表現がほとんどでてこない。経営も家庭的で社員も女性が多かった。東京一極集中が強いコンテンツ産業のなかで、地方に拠点を置く意欲的な企業でもあった。京アニは、いわば現代日本の「やさしさ」や「繊細さ」を象徴する場だった。そのような場が、理不尽な暴力によって破壊されてしまったのだ。この事件が後世、時代の変化を先取りしたものとして振り返られることのないようにと、願わずにはいられない。

 この事件に対しては、国内外を問わず、じつに幅広い階層から連帯の声が寄せられた。巨額の支援金もあっというまに集まった。京アニはそれほど愛されていた。スタジオ再建を望む声が強いが、まずは遺族のケアと負傷者の回復が優先だろう。

 筆者自身、京アニ作品には思い入れがあり、事件を知ったときは怒りに身が震えた。けれども、「テロに屈しない」と拳を突き上げ、憎悪を駆り立てるのは京アニのスタイルからもっとも遠い。京アニから学んだ「やさしさ」を忘れないこと、それこそがテロへの最良の抵抗なのではないかと思う。

 最後になりましたが、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。

※AERA 2019年8月12・19日合併増大号