この数年、棋士が将棋AIを活用して棋譜研究を本格化させている。今では、トップ棋士の戦略を変えるまでになった。日進月歩で進化する将棋AIと棋士たちの関係は、今後どのようになっていくのか。『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)の著者で、将棋中継記者の松本博文氏に話を聞いた。



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「トップ棋士によるAIの活用は、もはや当たり前となっています。これからトップに上り詰めようとしている棋士でAIを活用していない人は、ほぼいないでしょう」

 松本氏は、将棋界の現状をこう語る。誰もがコンピューター将棋を活用している今、AIを使っていることはもはや「前提」となっている。

 では、棋士による将棋AIの活用は、いつ頃から始まったのか。

 松本氏が先駆けの一人として挙げたのが、千田翔太七段。Floodgate(コンピューター将棋ソフト同士が対局をしているWebサイト)を熱心に眺めるAI棋譜マニアで、「AI将棋の申し子」の異名を持つ。

 千田七段は過去に朝日新聞の取材で、2012年ごろからAIの棋譜を参照するようになり、14年ごろから棋力向上のため、本格的に使い始めたと明かしている。AIの棋譜を眺めるようになってからは、人間の棋譜で勉強する時間はゼロになったという。

 2014年ごろからは、他の棋士たちも徐々にAIを取り入れるようになった。同年の将棋電王戦(プロ棋士とコンピューター将棋の対局)に出場した豊島将之七段(現・竜王名人)もその一人。大会を機に将棋AIの強さを認識し、積極的に活用するようになった。

 当時、豊島氏と対戦した将棋AIのソフト「YSS」や、2017年に佐藤天彦名人(当時)を下した「Ponanza」をはじめ、数年前まではソフトは非公開が大半を占めていた。だが、特定の棋士だけが指せる機会を持つのは不公平だという意見もあり、その後はソフトが無料公開される流れが加速した。

 松本氏によると、AIの活用が棋士の間で主流になったのは、2〜3年前からだという。

「『Apery』や『技巧』など、無料なのに強いソフトが公開されたことで、プロアマ問わずAIを活用するようになりました」(同)

 そして、2017年にPonanzaが佐藤天彦名人(当時)に完勝したことで、将棋AIは名実ともにトップ棋士を超えた。AIは日々、めざましいスピードで進化を遂げている。AIは同一ソフトの1年前のバージョンと対戦すれば、7割の勝率を収めると言われている。

「人間の場合、トップ棋士が1年前の自分と戦って同様の戦績を収めるのはまず不可能でしょう。トップ棋士ともなれば、伸びしろはそこまで大きくありません。正直言って、AIはどこまで強くなるか想像がつかない。いずれ頭打ちするのではないかとささやかれたこともありましたが、青天井かもしれません」(同)

 例えば、15年前に最強と称されたBonanzaが今のソフトと戦ったら、まったく歯が立たないという。

 佐藤天彦名人がPonanzaに完敗した2017年から3年の間に、人間のトップ棋士とAIの差は、どれだけ開いているのか。

 囲碁界では、世界のトップ棋士がハンディをつけてAIと公開対局を行う機会も比較的多いが、日本の将棋界は「ローカルでクローズドな世界」。トップ棋士がハンディを付けて対戦することはほとんどないため、AIとトップ棋士の差がどこまで開いているのかを測るのは難しいが、松本氏はこう推察する。

「一部では、すでに現在のトップ棋士と、角落ち(角を抜くハンディ)か飛落ち(飛車を抜くハンディ)の差がついているのではないかと言われています」

 だが、AIがどんなに進化しても、人間のトップ棋士同士による対局の価値が下がることはないだろう。藤井聡太棋聖のブームに顕著なように、驚異的な成長スピードで進化を遂げる棋士の姿は、AIの「強さ」とは別の部分で見ている人を魅了するからだ。

「14歳のデビュー当時からすでに異次元の強さででしたが、その成長スピードは驚異的で、今は当時よりもはるかに強くなっている。この4年でコンピューター将棋に見劣りしない成長をみせたと言っても、言い過ぎではないと思います。藤井さんの成長スピードも、もはや『少年ジャンプ』の主人公を見ているような勢いです」(同)

 藤井棋聖はタイトル獲得後の会見で、「探究」と記した色紙を掲げて抱負を語った。これが象徴するように、彼を支えるモチベーションは、名人といったタイトルよりも「強くなりたいという」一点にある。

「かつて羽生善治さんが台頭した時に『この人が史上最強の棋士で間違いない』と確信していたのですが、まさかここまでの天才が出てくるとは思わなかった。おそらく今後も、我々が想像する以上にすごい記録を打ち立ててくれると思います」

「天才の出現」は、時に周囲のレベルをも一変させる。天才・羽生九段が台頭した際も、佐藤康光(永世棋聖)や森内俊之(十八世名人)をはじめ、彼と年の近い「羽生世代」と呼ばれる棋士たちがタイトルを独占した。

「羽生さんの時もそうでしたが、ずばぬけて強い人が出てくると、周囲のレベルも底上げされる。藤井さんの影響で将棋を始める子供たちが増えると思いますが、彼らは初心者の頃からコンピューター将棋と指せる『AIネーティブ』の子たちです。もしかすると、AIネーティブの子たちが藤井さんの強力なライバルとして渡り合えるようになるかもしれない」(同)

 松本氏が『藤井聡太はAIを超えるか?』というタイトルで本を出したのも、さまざまな人から同様の質問をされたからだという。

「実際のところ、AIを超えるのは難しいかもしれません。ですが、2012〜2015年当時、人類が勝てなかったソフトと今対戦すれば、人間の方が勝てるかもしれない。佐藤天彦名人に完勝したPonanzaにも、15年後、20年後になれば、勝てるようになるかもしれません」

 人間が脈々と築き上げてきた棋譜を端緒に、圧倒的な強さを手に入れたAI。そして今度は、AIが人間を強くしている。「AIネーティブ」が台頭した後の将棋界は、新たな黄金期を迎えることになるかもしれない。(取材・文=AERAdot.編集部・飯塚大和)