黒沢清監督が映画「スパイの妻」で第77回ベネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞した。出演者の一人である高橋一生さんと共に撮影を振り返った。AERA 2020年10月5日号から。


*  *  *
 1940年、神戸で貿易会社を営む優作(高橋一生)は、満州で国家機密を知ってしまう。妻の聡子(蒼井優)は、正義のため、真実を世に知らしめようとする夫を信じ、スパイの妻と罵られようとも、愛する夫とともに生きることを誓う──。「スパイの妻」は太平洋戦争前夜の日本を舞台に、時代にのまれていく夫婦の愛を描いたサスペンスだ。黒沢清監督は本作で第77回ベネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)に輝いた。

高橋一生(以下、高橋):銀獅子賞、おめでとうございます。

黒沢清(以下、黒澤):ありがとうございます。長く映画を続けていると、こんな幸運が舞い込むんだとしみじみ感じています。

高橋:10代の頃から黒沢監督の映画を映画館で拝見してきたので、お話をいただいた時はものすごくうれしくて。マネジャーに2度確認するほどでした(笑)。

黒沢:以前から40歳前後の日本の俳優の話になると、高橋さんのお名前が真っ先に挙がりました。テレビドラマを中心に見させていただき、本当はどんな方だろうと気になっていたんです。

高橋:この映画は表面的には穏やかに流れているように見えるのに、水面下は激しく流れる川のように、奥底の激しさを俳優の芝居や演出で物語っていく。僕はそういう作品に出演する機会があまりなかったので、とても楽しみだったんです。

黒沢:俳優のポイントの一つは、セリフを普通に何げなく話すことで、実はすごく難しい技術だと思います。しかも、今回は舞台が1940年ごろですから、普通に生活していて話せるセリフではない。量もものすごいでしょう。それを高橋さんは実に自然にスラスラと話す。感情を込めつつ、確実に意味が客の耳に入ってくる。感情に任せてセリフを言うと、雰囲気は伝わるけれど何を言っているのかわからないことがあります。高橋さんはそれを普通にできる技術を持っているから、素晴らしい。

高橋:「気持ちで演じる」のはあまり好きではないんです。それに、できればテクニカルなことは本番に入る前に捨てたい。「スパイの妻」は口語体のようで、ある意味クラシックなセリフ回し。心情を乗せてリアルに演じようとしても、そもそもリアルではありません。自分の中で腑に落ちているかどうかは気にして、納得できない時は修正を入れるようにしていました。

■日本映画の力感じた

黒沢:高橋さんと蒼井さんに最初にお会いした時に、脚本から想像するあるニュアンスを感じてもらえるかなと思いまして、「わかりますか?」とおずおずと聞いたと思います。お二人が「わかります」とおっしゃってくれたので、「もう大丈夫だ」と安心しました。お二人は基礎教養というか、映画の歴史みたいなものがベースにあるのですごくやりやすかったです。

高橋:僕の場合、セットの作り込みのすごさに影響されます。例えば、時代劇のセットにカツラをかぶって入ると、所作が身についていれば自然とそれが出てきます。背景など目から入ってくる情報や、肌で感じる感覚が芝居に影響する。今回もやるべきことは詰め込むだけ詰め込んで、その後は肉体がどう反応していくかを楽しんでいました。

黒沢:高橋さんは撮影の2日目にして、満州での経験を語る何ページにもわたる長いセリフがあったでしょう。聡子役の蒼井さんにも観客にも、「そんなことがあったのか」と思ってもらえるよう書かれた恐ろしく長いセリフです。僕はこの作品はここを乗り切りさえすれば、あとはうまくいくだろうと思っていたんですが、その通りでした。

高橋:ダイアローグのようであってモノローグでした。そんなセリフには読んだ時にすごく入ってきて、言いたくなる力があるんです。監督はシーンを一連で撮っていくスタイルで、その中で抽出される面白そうなものを柔軟に取り入れていく。探りながらも迷わずやるべきことを決めてくださるので、動きながらあのセリフを伝えていくことが楽しかったんです。エキサイティングな2日間でした(笑)。

黒沢:僕は、自分で脚本を書いておきながら、優作と聡子がどんな人物であるのか、正直、さっぱりわからないところから始まりました。でも、高橋さんの2日目のシーンを見て、僕自身やっとこの二人がわかった。目の前の高橋さんと蒼井さんの演技を見て初めて、優作と聡子が突如登場した、と感じました。

高橋:そうおっしゃっていただけるとうれしいです。この映画に入る前に、自分の中の経験や技術をコラージュしていくだけでは、優作を演じるには足りない瞬間が出てくるのではと思っていました。ポーズだけではなく、それに伴う内実をどれだけつけることができるか、自分でバランスを取らなければと意識していましたから。

 小津映画をはじめ日本のクラシックな映画が好きで、自分の芝居のベースに残しておきたいと思ってきました。だから今回は、気負うことなく自然とお芝居をさせていただけました。黒沢さんはこの映画をお撮りになって、いかがでしたか。

黒沢:前から願っていたこういう隙のない作品を、かなりハイレベルに完成させることができた。日本映画は俳優もスタッフも含めて、まだまだ捨てたものではないなと思えたことは大きいですね。時代を再現することは、言うは易しで、難しい。けれども、生身の俳優が話して動き、大がかりな美術を作ってエキストラが参加するという映画作りの基本のようなやり方で再現できました。希望にしかすぎませんが、多分、今の人にも面白がって見てもらえるドラマになっているのではないかと思っています。日本映画にはその力は残っている、とわかっただけでもやりがいがありました。

高橋:現場は楽しく充実していて、スタッフの気概も毎日感じていました。「柔和な緊張感」というのでしょうか。黒沢さんのお人柄だと思うのですが、そういう中で芝居に集中できた。それが作品に出ているからこそ、ベネチアでも伝わったんだと思います。銀獅子賞の受賞は僕も本当にうれしかったです。

(フリーランス記者・坂口さゆり)

※AERA 2020年10月5日号