春風亭一之輔・落語家

 落語家・春風亭一之輔さんが連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今回のお題は「野球」。

 先日「笑点」の収録終わり、3時間ほど空きができたので一人で散歩でもしようと後楽園ホールから表へ出た。土曜の昼の3時。9月半ばにして33℃。東京ドームの周囲はいつもの賑やかさはなく人通りも少ない。巨人戦ではないようだ、でも中で何かしてる。「法政大学VS慶應大学」と看板が出ていた。大学野球もたまにはいいかもしれないね、とチケット売り場で2200円支払って自由席券を購入。ふらりと回転ドアをくぐってドームの中に入ると……なんだアメフトでした。関東大学リーグ戦。我が日大は出てません。なんでだろ? 仕方ないのでルールも知らないまま2時間ほど観戦しましたが……うっすらとわかってくるもんですね。第4クオーター終了間際、次の予定までの時間切れで退散。今度はゆっくり観てみたい。

 してみりゃ、野球みたいなルールの難しいスポーツをよく日本人はみんなして「アレ」だの言いながらちゃんと観てます。でも我が家で野球のルールをちゃんと把握してるのは私だけ。めったにないけど野球が家族の話題になるとちょっと話の中心になれます。

 ある日のこと。あれはWBCかなんかを観てたときだったか。「犠牲フライってなに?」と家内が私に聞いてきました。「えーと。例えばね……ノーアウト、ランナー三塁。このとき、バッターがライトにフライを打ち上げたとします。ライトがボールをキャッチした時点で、ランナーが三塁からスタートを切ってホームに向かって走る。ライトはキャッチしたボールをホームに投げる。ランナーがボールより先にホームベースにつけば、得点が認められるのです」……みたいなことを私は言ったような気がします。

「は?」。妻はもちろんわかってない様子。

私「わかんない?」

妻「わかんない。打った人はどうなるの?」

私「アウトだよ」

妻「なんで?」

私「ノーバウンドで、ダイレクトでキャッチされたらバッターはアウト」

妻「へー。ワンバウンドだったら?」

私「セーフ……いや、そうとも限らないな。そのボールをライトがファーストに投げて、バッターが一塁ベースにつくより早くファーストがキャッチしたら、バッターはアウトだね。ライトゴロだ」

妻「ボールと人間の競争?」

私「ま、そんなとこだね」

妻「思い切り速く投げたらアウトにできる? 大谷なら速いんじゃない?」

私「大谷は球は速いけどピッチャーだからなぁ、ライトは守らないな」

妻「ライトまで走ってボールを捕りにいけばいいんじゃないの?」

私「無理」

妻「なんで?」

私「大谷の足より打球のほうが速い」

妻「そうかな? ぜったい?」

私「ぜったい。そもそもピッチャーじゃないとき、大谷はDHだから……」

妻「DH?」

私「指名打者」

妻「?」

私「打つ専門の人だよ。どこも守らないで打つだけの選手。『1番 DH 大谷翔平』とかいうでしょ? 1番バッターなんだけど、守らないの」

妻「大谷はピッチャーでしょ?」

私「毎回ピッチャーじゃなくて、DHもやってるの」

妻「?……DH、ときどきピッチャー?」

私「そうね……ところで犠牲フライはわかったの?」

妻「あー……わからない。とにかく犠牲になるのね、チームのために?」

私「大きく言うとそうだけど、『ランナーを進めるための犠牲』ね」

妻「犠牲になりたくない場合は?」

私「??? 『なりたくない』とかじゃないんだよね。野球はチームプレーだから。そうやって一点一点取っていくんだよ。勝利のためには犠牲も必要なんだよ」

妻「へー……犠牲バントっていうのはなに?」

私「フライが、バントになったと思いなさい! バントってのはバットを横に構えて、ボールの勢いを殺して転がす打ち方ね!」

妻「???」

私「こーいうヤツね!(バントの仕草)」

妻「あー、アレか」

私「そう! アレ! アレが犠牲バント……いや、違うな。犠牲にならないバンドもあるんだ。セーフティバントっつって、自分が生きるためにするバント」

妻「自分が生きるために? 自分本位な? 身勝手な? 良くないね」

私「いや、良くなくないの。ヒットになるためのバンドだから。自分がセーフになるためにやるバントでね、これはランナーがいないときに……いや、ランナーがいるときもやる場合あるか……あわよくば自分も生きようというような、でも結果的に犠牲バントになる場合もあるし、ランナーだけ死んじゃって、自分が生き残る場合もあって……」

妻「ちょっと待って!! 自分が犠牲になって仲間を生かそうとしたのに、仲間が死んじゃって自分だけが生き残るってつらくない?」

私「つらいよ。だからつらそうな顔してるよ、そのバッターは」

妻「悲しいね」

私「悲しいよ。でもずっとそのままじゃいられないでしょ。引きずってばかりいられないよ。自分が生き残ったんだから、その人の分まで頑張るんだよ。それが野球だよ」

妻「じゃ、その人がホームインしたら2点入る?」

私「入らないよ。仲間の魂まで背負ってホームインしないの。 一人なら1点、二人ホームインしたら2点」

妻「そこはシビアだね」

私「そらそうよ。霊魂まで換算したら、キリないからね。そもそもスポーツだから、野球って」

妻「はー……盗塁ってどうなの?」

私「どうとは?」

妻「良くないかんじ? 罪悪感とか抱いてるの?」

私「あー、『盗む』から?」

妻「グレー?」

私「ホワイトです。真っ白よ」

妻「でも『盗む』んだよ。死ぬとか、盗むとか物騒だよね」

私「ま、野球ってそんな表現多いよね。そもそも巨人軍とか言ってるしね。『軍』だからね、今日び。『巨人』もちょっとどうかと思う人もいるだろうしね……」

妻「じゃ、ダブルプレーってなに?」

私「………今日はこのへんにして、早くご飯食べようか。お腹減った……」

 嗚呼、野球ってキリがない。キリがないけど、妻との会話は増える。でも果てしがない。次あたり、振り逃げか、インフィールドフライか、フィルダースチョイスか、隠し球か……。

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。この連載をまとめたエッセー集の第1弾『いちのすけのまくら』(朝日文庫、850円)が絶賛発売中。ぜひ!