韓国の情報機関・KCIAが朴正熙(パクチョンヒ)大統領を暗殺した事件を描いた映画が、日本でも公開された。実際のところ、KCIAやその後身である国家安全企画部、国家情報院は、現在に至るまで、日本を舞台に情報・工作活動を続けてきた。AERA 2021年2月1日号では、日本で暗躍するKCIAの姿に迫った。

※【韓国情報機関“KCIA”が仕掛けるハニートラップ 小泉元首相の女性関係探ったことも】より続く



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 日本における工作活動で最も有名なのが、73年8月、当時の野党指導者だった金大中(キムデジュン)氏が訪日中に拉致された事件だ。盧武鉉(ノムヒョン)政権下で設置された国情院真実究明委員会の報告によれば、李厚洛(イフラク)KCIA部長(当時)が拉致を指示。関与したKCIA要員24人のうち一人は「当初、計画案には在日韓国人の暴力団幹部を使った金大中氏殺害案も含まれていた」と証言していた。

 日本警察の尾行や盗聴から殺害を断念し、東京のホテルから金大中氏を連れ出した段階で、単純な拉致計画が確定していたという。日本政府は、主権侵害だとして韓国に謝罪を要求。同年11月の金鍾泌(キムジョンピル)首相の訪日で政治決着するまで日韓関係は紛糾した。

 93年に誕生した金泳三(キムヨンサム)政権では、金大中事件を再調査すべきだという声が上がった。KCIAは事件当時に金大中氏を一時収容していた秘密のアジトをひそかに処分した。神戸市と芦屋市の中間ほどに位置し、在日韓国人が偽名で借りていた、水漏れもするような古いマンションだった。

■金正男氏もターゲット

 また、政界工作も積極的に行った。73年に自民党の保守色の強い衆参両院議員で結成された青嵐会などがターゲットで、たびたび、政界資金を提供した。当時の関係者は「自民党の保守派と朴正熙政権は、反共という点で利害が一致していた。北朝鮮を攻撃する動きを期待しての支援だった」と語る。

 朴正熙政権は当時、金日成(キムイルソン)主席が率いる北朝鮮との間で熾烈(しれつ)な体制競争を繰り広げていた。北朝鮮に対する情報・工作活動は日本でも積極的に行われた。

 情報収集のターゲットで有名なのは、金正日(キムジョンイル)総書記の長男で2017年に暗殺された金正男(キムジョンナム)氏だった。正男氏は90年代を中心に、たびたび訪日した。六本木に近い赤坂の外れにあったクラブ「ベラミ」がお気に入りの店だった。正男氏はたびたび、ベラミで働く女性をお持ち帰りしていた。

 81年に国家安全企画部、99年に国家情報院と名を変えたKCIAの要員たちは必死に正男氏に関する情報を収集した。当時はまだ、正男氏が次の北朝鮮最高指導者に就く可能性が高いとみられていたからだ。お持ち帰りされた女性たちの正男氏に対する評判で、悪いものはなかった。「紳士的で女性に優しい」「気遣いができて、団体客が来ると、自分から小さなテーブルに移動していた」などといった話ばかりだった。

 その正男氏の後継者への道を閉ざしたのも国情院だった。

 正男氏は01年5月、シンガポール発の日本航空便で成田に到着した。ドミニカ共和国の偽造旅券を使っていることが判明し、日本当局に拘束された。正男氏は世界中のさらし者となったうえ、強制退去処分となった。金正日総書記は、正男氏を守り切れなかった周囲の関係者を責めたが、正男氏への愛情は変わらなかった。ただ、後継者として扱うことは断念せざるを得なかった。

「正男氏の日本行き」をリークしたのは、正男氏と後継争いを繰り広げていた金正哲(キムジョンチョル)・金正恩(キムジョンウン)兄弟の母、高英姫(コヨンヒ)氏の支持勢力だったとされる。ただ、リークは北朝鮮と関係が深いシンガポールの情報機関に対して行われた。シンガポールがこの情報を提供した先が国情院だった。

 国情院は日本当局に更にリークしたが、情報提供を受けた入国管理局が正男氏を拘束することまでは予想していなかった。国情院は、日本が金正男氏を泳がせ、どのような行動を取るのか、逐一情報収集することを期待していたという。

■韓国では盗聴や盗撮も

 これは、韓国と日本の情報機関の性格の違いが作用している。国情院は映画でも描かれているように、韓国で盗聴や盗撮も当たり前のように行う。ソウルでは、日本政府関係者やメディアが主なターゲットになる。

 李明博(イミョンバク)政権の大統領府高官は当時、日本の新聞社に情報提供した。翌日、この幹部は大統領府に出向していた国情院関係者から注意を受けた。関係者が見せたメモには、幹部が新聞社に漏らした情報が逐一再現されていた。新聞社が東京の本社にメールで送ったメモをハッキングしたからだった。

 国情院はこうした行動を日本の警察当局にも期待した。もちろん、日本ではこうした行動は違法になる。国情院の前身、安企部は91年、東京のホテルオークラに投宿した高英姫氏と金正恩氏親子の情報を警察にリークしたこともある。ホテルの部屋を盗聴することを期待したからだが、警察当局はそこまで踏み切れなかったという。

 日本では心強い味方にもなる国情院だが、ソウルでは日本人をスパイ扱いする怖い組織でもある。筆者もソウル駐在時代、何度も尾行された。筆者と会った韓国政府当局者が、記事のリーク元だと疑われて何度も事情聴取を受ける憂き目にも遭った。映画で語られたのは40年以上も前の風景であり、権限縮小の声も絶えないが、情報・工作機関としての姿は現代にそのまま引き継がれている。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)

※AERA 2021年2月1日号より抜粋