哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

*  *  *
 公式会議で女性蔑視発言を行ったことが国際的な批判を浴びた森喜朗五輪・パラ組織委員会会長が辞任した。五輪憲章には人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的意見など、いかなる理由による差別も受けることなくスポーツする権利が謳(うた)われている。五輪事業の正統性を会長自身が傷つける発言をなしたのであるから当然の帰結である。だが、日本の関係者は早期の幕引きを図り、メディアの反応も鈍かった。この出来事は女性蔑視に慣れ切った日本の男性エリートたちのホモソーシャル体質を世界に露呈させた。

 組織によって指導部に占める女性比率はずいぶん違う。私が主宰している凱風館の運営委員会は男性3人、女性5人である。凱風館は立場にかかわらず、意見のある人が意見を言い、自分が言ったことに責任をとるという機能的な組織なので、いつのまにか執行部の多数が女性になった。学習会や音楽や演劇の公演や旅行などのイベントの企画者・責任者も多くは女性である。特に「アファーマティヴ」な仕掛けをしているわけではない。性別にかかわらず仕事ができる人、したい人に仕事を任せていたら、こうなったのである。

 以前、ある美術館の職員研修の講師に呼ばれたら、聴講者のほとんどが女性だった。事務方の男性に「そういう採用方針なんですか?」と訊いたら、性別にかかわらず「仕事ができる人」を採用してきたら、いつの間にかこうなっていたという答えだった。たぶん多くの業種でもそうなのだと思う。「仕事ができる人」に仕事を任せるというシンプルなルールを採用していれば、ジェンダーギャップ指数が世界121位などという結果になるはずがない。

 今回の事件で露呈されたのは、日本の多くの組織は単に性差別的であるというだけでなく、能力主義的でさえないという事実だったと思う。現に、森会長の「女性差別発言」をJOCの男性評議員たちは笑い声で迎えた。会長の不見識を咎める「諫臣(かんしん)」は一人もいなかったらしい。

 久しく日本の組織の多くは女性より男性を、能力よりも上位者への忠誠度を重く見て人事を行ってきた。そのような組織の末路を私たちはいま見ている。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

※AERA 2021年2月22日号