TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。桜桃忌について。



*  *  *
 今年はコロナ禍になって二回目の桜桃忌だった。

 太宰治が玉川上水に入水したのは昭和23(1948)年6月13日。僕の母は中学生だった。本の虫の彼女は時の流行作家の衝撃のニュースを聴いて、たまらずに現場に駆けつけた。母はそのすぐ近く、吉祥寺で生まれ育った。

「三鷹の此の小さい家は、私の仕事場である」(「誰」河出書房『知性』昭和16年12月)と自伝的小説に書いた太宰は、三鷹町下連雀一一三の12坪半の借家に妻子と住み、原稿を書いて、弟子や友人と文学談義をし、冬ならばトンビコートを羽織って三鷹駅と武蔵境駅の間に架かる陸橋から夕陽を眺めた(この橋は現存している)。

 僕がラジオ局に入社した年だった。太宰と恋に落ちた作家の太田静子さんが亡くなり、僕を含めて若手社員総出で葬式の手伝いをした。

 太宰に『斜陽』の材料を提供した太田さんはエフエム東京の専務、Tさんと親交があった。Tさんは新聞社の文化部出身だった。

 弔問には五木寛之さんもいらして、ブラックスーツの五木さんに香典返しの紙袋を渡したのを覚えている。

 僕は太宰の熱心な読者というわけではない。でも、地元というよしみもあり、桜桃忌に日程が合えば禅林寺に出向く。

 寺の前庭には紫の紫陽花が咲き、その都度何かしら出会いがある。

 森鴎外の墓のはす向かいにある太宰の墓前に花を手向ける人、線香に火を点ける人が列をなすのはいつものことだが、今年は思いのほかさくらんぼが多かった。

 墓石に彫られた「太宰治」の一文字一文字にさくらんぼがひと粒ずつ埋められている。黒い石に押し込められたさくらんぼの生々しい紅。その色彩が少々奇妙に思えて眺めていると、「私はまだまだだけど、いつかこうしてみなさんのようにさくらんぼを埋めてみたいです」と声がした。

 高校生らしき白いワンピースの女の子が「最近太宰に申し訳なく思っているんです」と朗らかに語っている。「三島(由紀夫)ばかりにはまっているから」

「ぼくは太宰さんの文学は嫌いなんです」と太宰に言い放ったのは東大時代の三島だが(『私の遍歴時代』)、少女はそんなエピソードも知っているのか。実は中学生と聞いて、周囲の大人たちがざわめいた。先ほどから墓前にうずくまってじっと動かないでいた黒装束の女性も振り向いた。

「私の太宰遍歴はたった2年しかありません。両親が好きで、読むようになりました。家も近くだから、こうして一人で来たんです」

 教科書で『走れメロス』を知り、好きな作品は『人間失格』だという。

 死後70年以上経っても新しい読者が生まれる太宰治。ここへきて、太宰が入水した玉川上水に駆けつけた僕の母も、当時は中学生だったと気がついた。

 帰りしな、「また来年もお会いしましょう!」と文学少女がピンク色の傘を掲げた。その色はさくらんぼの色でもあった。

 文学の風景が時空を超え、夢のようにタイムスリップした梅雨の午後だった。

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

※週刊朝日  2021年7月16日号