山田洋次監督最新作、映画「キネマの神様」が8月6日より公開される。たくさんの奇跡が重なって生まれた。原作は作家・原田マハさんが自身の父をモデルに描いた同名小説。ノベライズも書き上げた原田さんは、「原作、映画、ノベライズと、どういう順序で観ても楽しめます」と胸を張る。

【前編/「お色気小説で大人の世界を学んだ」 原田マハが語る父の姿】より続く



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 父・原田剛直さんが、5年前に90歳で亡くなった。『キネマの神様』は、11年に文庫になり「映画にしませんか?」というオファーも届いていた。でも、原田さんは「もしこの小説を映画にする幸運が巡ってくるとしたら、メガホンを取るのは山田洋次監督以外にない」と思っていた。というのも、原田さんが小学生のときに、父に連れられて生まれて初めて映画館で観た実写映画が「男はつらいよ」だったからだ。

「アニメ映画を見せてもらえると思って父についていくと、腹巻きしてお守りを首からぶら下げたテキ屋のおじさんがいきなり登場するので、思わず泣きそうになりました(笑)。でも、父は、『最後まで観ろ、絶対にこのおじさんのことが好きになるから』と。しばらく観ていたら、いろんな場面で笑ったし、涙を誘う場面では、意味もわからずほろっときた。最後に寅さんが去っていくとき、客席から『よっ、寅さん!』と声がかかるのも、まるでライブのようで。すっかり私は渥美清さんの大ファンになり、帰りがけ父に、『寅さんのポスター買って!』とねだっていました」

 寅さんの生き方は、剛直さんに重なるところがあった。セールスをして日本全国を回り、家族に迷惑をかけるけれど人情に厚い。調子が良くて、適当なことを言って場を盛り上げる……。憎たらしく思う気持ちはあっても、「一生会えない」と思うと、かなしく、さびしい。そんなことを想像するだけで泣けてきた。

「山田監督に映画化していただけるのであれば、どんな形になろうともそれはきっと素晴らしいものになるだろうという確信がありました。父が亡くなった翌年に、雑誌の企画で、お目にかかりたい芸術の世界の先輩としてお名前を挙げたところ対談が実現した。こんなチャンスは二度と巡ってこないから、勇気を出して自分が映画をテーマにした小説を書いていることを切り出したら、監督は、『読みました』と。『僕がもし映画にするならこういうふうにしたい』と、その場でアイデアを話されたんです。もう天にも昇る心地がしました」

 1年以上かけて企画が練られ、2年前──19年1月に、原田さんは、とある温泉宿で開催された、山田組の脚本合宿のようなものに呼ばれた。山田組のスタッフがズラリと並ぶ前で、「山田洋次監督による、原田マハインタビュー」が始まった。

「『どうしてあなたのお父さんとお母さんは別れなかったの?』とか、父のことで、質問攻めにあいました。御年87の監督に一生懸命インタビューされて、それまで無二の親友にも家族にも話さなかったことを全部話してしまった(笑)」

 脚本の第1稿ができたとき、原田さんはパリにいた。文藝春秋の編集者からは、「内容は全く変わっています」とのコメントが添えられていた。

「昭和の懐かしい映画作りの熱気、いろんな思い出話が詰まっていて、脚本を読みながら、脳裏には、次々に映像が浮かんできた。音楽も耳の奥に鳴っているような気がして、自然と涙が流れました。戯曲を読んで泣いたことも生まれて初めてで。『この見事な変更を心から歓迎します』と返信しました」

 原田さんの目から見た山田洋次監督は、「ただただ映画が好きで、映画のことばかり考えている人」なのだそうだ。

「映画のことを考えることは、つまり人間のことを考えることなんです。人間のことを考え、映画のことを考え、人間を愛し、映画を愛する。『キネマの神様』も、原作を踏襲して新しい話を作っていただいたことに、私はとても感動しました。それにこれは、山田洋次監督ご自身の物語でもあります。沢田研二さん演じるゴウは、かつて映画監督を目指していた。その設定は、原作にはないものですが、一番大切なテーマである家族愛と映画愛、その二つが全くブレずに、物語としてちゃんとつながっていた。日本映画に対するリスペクトとオマージュもありますし、100年の歴史のある松竹と山田洋次監督でなければ実現できなかったことばかりです」

 原田さんは、この映画の中に、未曽有の厄災にも屈しない映画の強さ、芸術の強さを見たという。

「歴史を振り返ると、数々の厄災や争いや事件を乗り越え、それでも残っているのが芸術です。私も文学の視点から、日々芸術のあり方を感じていますが、アートというのは、地球上の全ての生命体の中で人間だけに許された“生きる証し”です。この濁流の中にいても、人間は、芸術とつないだ手を絶対に離してはいけない。この作品の完成は、私たちが諦めてはいけない、その大切な芸術活動の一つの結実なのです」

 映画の完成のタイミングに合わせて、原田さんは、山田監督の書いた脚本を、自らの手でノベライズした。原作者が、脚本を再度ノベライズするとは、山田監督をして言わしめたのが、「おそらく、映画界で初めてだ」ということ。原田さんによれば、『キネマの神様 ディレクターズ・カット』は映画に対する「返歌」であり、山田監督への感謝状でもあるという。(菊地陽子 構成/長沢明)

原田マハ(はらだ・まは)/1962年生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史学専修卒業。伊藤忠商事、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターに。06年、『カフーを待ちわびて』で作家デビュー。『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞受賞。アートを題材にした小説を多数発表。新書やエッセーも手がける。

※週刊朝日  2021年8月6日号より抜粋