ここ最近、また「おじさん」たちが世間を騒がせている。というか、厚顔無恥かつ無神経な発言に世間があきれ返り、批判の的になっている。だが、金メダルにかじりつく政治家も、女性ボクサーを侮蔑する野球評論家も、形ばかりの謝罪はするがまったく反省している様子はない。こうした「おじさん」たちは、いつの時代にも同じ過ちを繰り返しながら生息し続ける。ジェンダーやコンプラインス意識がこれだけ変化している時代に、なぜここまで鈍感に生きられるのか。男女それぞれの“おじさん通”に理由を聞いてみた。



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 8月4日、名古屋市の河村たかし市長(72)が、ソフトボール日本代表の後藤希友選手の金メダルをかじり、「恋愛禁止か?」などのセクハラ発言をした姿は日本中を震撼(しんかん)させた。SNS上では「気持ち悪すぎる」「吐きそう」などの言葉がならび、市役所にも抗議が殺到した。河村氏もすぐに発言撤回に追い込まれ、23日には市職員に向けて直筆の謝罪文を出すにまで至った。

 だが、その謝罪文は殴り書きのような字に幼稚な文面で、末尾を「以上」と偉そうに締めくくられていた。当然ながら、誠意のない謝罪文と受け取られ、火に油を注ぐ事態となった。ネットでは再度「自ら“金メダル事件″と名付けて再び炎上」「手書き文字下手すぎて謝罪感ない」などの声が上がったが、河村氏の鈍感さにはあきれ返るばかりである。

 なぜ、ここまでの事態になっても自らの発言を顧みることができないのか。『ニッポンのおじさん』などの著書がある社会学者の鈴木涼美さんはこう指摘する。

「謝罪文は、市に寄せられた迷惑な行為から職員を守るために<俺が一肌脱いで土下座してやった><そんな俺は武士のようにかっこいい>という、あたかも人の失敗をかぶってあげたかのように読めます。小ざかしい人なら、表向きは心を打つような反省文を書いて、世間を丸め込んでみせるのでしょうが、その演技すらできない。自分が加害者だという意識がまるでなく、むしろ炎上の被害者だと思っているのではないでしょうか。自分の勇気ある謝罪によって、その場を収めようとするヒーロー気取りのようにも見えます」

 問題のある言動によって炎上を引き起こす「おじさん」は、河村氏に限らない。ここ最近でも、ボクシング女子フェザー級で金メダルを獲得した入江聖奈選手に対して「嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合ってね。こんな競技、好きな人がいるんだ」などと番組内でコメントした張本勲氏(81)や、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「女性と言うには、あまりにもお年だ」などの女性蔑視発言を繰り返した森喜朗元首相(84)など取り上げればキリがない。似たような「おじさん」は、われわれの身近にもいるだろう。

 必ずしも「おじさん」だからこうした言動をするとは限らないが、実際に不快な言動の主体が「おじさん」である確率が高いことは実体験としても感じるところだ。その理由について、鈴木さんは、「おじさん」の特徴に「自分が変わる選択肢がない」からだと語る。

「おじさんは、積極的に自ら進化の機会をうかがう性質はなく、自分の存在そのものを維持したまま、逃げ切ろうとする生き物なのです。ゆえに(問題発言などを)謝罪したとしても、基本的に自分が正しくて相手が悪いと思っている。特に公権力を持っている人ほど、世界は自分が築き上げてきたのだと思い込んで『俺ルール』で生きようとします。自分が変われば、相手との関係や社会が改善されるという考え方がそもそもないのです」

「大人力」に関する著書が多数あるコラムニストの石原壮一郎さんは、失言を繰り返す「おじさん」の生態についてこう分析する。

「おじさんが自分で面白いと思っている発言は、大体が世間からみれば“失言”なんです。でも、周りが愛想笑いしたのを、プラスの反応として真に受けてしまう。河村市長と張本氏、森氏だけでなく、世の中のおじさんの9割9分はこれに該当するでしょう。もはや『おじさんという病』といっても過言ではありません」

 だが「おじさん」の振る舞いは決して人ごとではない。河村市長のことをSNSなどで「許せない」と糾弾している人は、“ミニ河村たかし″になる可能性もある、と石原さんは指摘する。

「失言するおじさんも悪いですが、それを標的に石を投げるために集まってくる人も問題です。言い返してこない相手には陰で威勢のいいことを言って、上司などにはヘコヘコしている人っていますよね。河村市長は、若い女性には下にみた態度をとっていたのに、トヨタから抗議されると急に態度を変えました。まるで水戸黄門の印籠を見せつけられた悪代官のようでした。序列に敏感で、その序列のおかげで自分は偉そうな顔ができるということもわかっている。相手をみて反応を変える人は、誰もが“河村たかし”になる可能性があることを自覚すべきです」

 前出の鈴木さんは、厄介な「おじさん」を野放しにしてきた社会的な責任は周囲の人間にもあると語る。

「彼らをモンスターにしてしまったのは、その権力を担いできた人たちです。何か物事を決めようとするとき、いろいろな方面に気遣いをしていると、社会がなかなか回らなかったりするので、彼らに押し付けてきたわけです。森喜朗氏はあれだけ問題発言を重ねて、自らを苦しい立場に追い込んだにもかかわらず、それでも彼から権力をはぎ取る力は周囲にはありませんでした。それは、森氏の存在が都合よかったからでしょう。だから森氏は表面上は謝罪しても、発言が間違っていたと自覚することもなく、また問題発言を繰り返していくのだと思います」

 話を聞くほどに「おじさんという病」は重く気がめいるが、もし身近にこのような厄介な人がいたらどう対処すればいいのだろうか。

 石原さんは「環境の変化に適応できず、レッドリストに入ったかわいそうな絶滅危惧種」とみなしておけばいいとアドバイスする。

「見ていてちょっと面白みのある生き物だと思えばいいのです。自分に何か言ってきたら、棒でつつくくらいの皮肉を返してもいいですし、そうしたら、何か思いがけない反応をして、楽しい生態を見せてくれるかもしれません」(石原さん)

 鈴木さんは、実用的かはさておき、「おじさん」からの害を無害化する「じじ転がし」の一例を教えてくれた。

「デキるホステスは、おじさんが若い新人のホステスの膝に手を置いたら、『やめてください』と注意するのではなく、興味をこっちに向けて『あら、その時計すてき』と言いながら、新人のホステスの膝に置かれた手をとるのです。売り上げを落とさずに、おじさんから身を守る方法としては一番手っ取り早い。おじさんに反省を促すという意味ではいい方法ではありませんが、女の生き方としてはたくましい判断だと思います。おじさんは抗議によって変われるような高等な動物だとは思えないので、転がしておくのです。誤解はされるので、正解ではありませんが、身を守る一つの術にはなると思います」

 もやはパロディーと化している「おじさん」たちも、そろそろ自分が笑いものになっていることに恥じらいを覚えてもいい頃ではないか。
(AERA dot.編集部 岩下明日香)