細身のシルエットから独特の笑いを生み出すハリセンボンの箕輪はるか(41)。実は意外にも、早稲田大学卒の“インテリ芸人”だ。早大OBには小島よしおやラサール石井をはじめ、クイズ番組で活躍するタレントも多い中、箕輪はクイズ番組への出演機会は少ない印象がある。大学時代のエピソードを披露することも決して多くはないが、一体なぜなのか。本人が早大在学中の過去を語る中で、意外な理由が見えてきた。

――箕輪さんは早稲田の第二文学部を卒業。難関私大に合格するためには努力も必要だと思いますが、受験勉強は相当されていたのでしょうか。

 たぶん直前とかは1日10時間以上やっていたと思います。私は塾には行っていなくて、独自のやり方をしていました。たとえば集中するために、受験前の一カ月間は家から一歩も外に出ないと決めて勉強。受験当日に久しぶりに外に出て、太陽が眩しすぎてくらくらしたので、あまりおすすめはできませんが……。

――やはり熱心に勉強されていたのですね。早稲田に行きたいというモチベーションはどこから湧いていたのでしょうか。

 奨学金が充実していたことが大きかったですが、早稲田に憧れもありました。テレビで見たことのあるキャンパスに自分が行けると思ったらテンションが上がりますし、未来がすごく明るく見えて。学生数も多いですし、友達もたくさんできて楽しく過ごせるのかなという淡い期待がありましたね。

――実際に進学してみて、思い描いていた大学生活とギャップを感じることはありましたか。

 私が見ている風景は、人がいっぱいいてみんな楽しそうで、まさにイメージ通りでした。でも、そこに「自分がこんなにも入れないんだ」っていうギャップがありましたね。どういう入口からあの輪に入ればいいんだろうって……。せっかく志望校に入れたのに、そこで挫折感を味わいました。

――当時の大学生活を振り返ってみていかがでしたか。

 友達がいなくてサークルにも入っていなかったので、ひたすら家と学校の往復でした。授業を一人で受けて、授業が終わったらすぐに帰るみたいな4年間でしたね。

 授業が1コマ空いた時は、中央図書館の地下にこもって過ごしました。図書館は一人でいても浮かないので落ち着きましたね。自動書架のスイッチをカチャカチャ押して、書棚を動かすのがすごく楽しくて。それをずっとやってましたね。それを押すことで、私は早稲田のものを動かしているんだ、早稲田に通っているんだという実感を得ていました……。

――4年間、友達は誰もできなかったのでしょうか。

 一人もいなかったですね。授業もずっと一人。一応、授業を取ってる期間だけしゃべる程度の子はいたんですけど、その場限りで。

 芸人になった後に、友達がいなかった早大OB同士で対談する企画があったんですけど、対談相手が「友達がいないから『マイルストーン』という雑誌から授業情報を得ていました」と言っていた。早稲田生なら誰でも知っている雑誌らしいんですけど、私はそれすら知らなくて……。「え、マイルストーン知らないんですか」って、友達がいなかった子にも驚かれるくらい。それで、本物の孤独だったんだなと実感しました。

――図書館以外で、楽しみは見つけられましたか。

 徒歩10分ほどある戸山キャンパスから早稲田キャンパスの間を移動するときに、最短ルートを模索していた時期がありました。それで、めちゃくちゃ良いルートを見つけたんです。人通りも少なくて裏道っぽいところで。誰かにおすすめしたかったけど、友達がいなかったので私だけの道みたいにしていました。

――早稲田はキャンパスも賑わっていますが、一人でいることに孤独は感じていましたか。

 寂しいっていう気持ちはありました。皆でわいわいしている中に入りたいなという気持ちはずっとあったんですけど、自分からチャンスを逃してしまった。1年生の時に、上級生からサークルや新勧コンパのお誘いで声をかけられたこともあったんですけど、なんか怖くて……。自分が行って大丈夫なのか、騙されるんじゃないかと思って、勝手に壁を作って飛び込めずにいました。高校の時のようなクラスがないですし、そのままずるずると1年2年が過ぎていって。3年になる頃には、友達を作るのはもう無理なんだなと諦めながら過ごしていました。

 マンモス大学で自由だからこそ、友達がいなくてもなんとかなるだろうと甘えてしまった。「人」という宝物が周りにたくさんあったのに、それを手に入れようという気持ちになれなかったのを、今はすごく後悔しています。今の自分だったら、もう一回通って友達作りたいなって思うんです。

――早大卒業後には、吉本興業のお笑い養成所(東京NSC)に通い始めます。人と関わらなかった生活から一転、人前に立って話をするのはハードルが高そうですが、芸人の道に飛び込んだのはどうしてですか。

 誰とも話さない期間が4年も続くと、苦しくなってくる。4年間のうちに鬱屈とした気持ちがガスのようにどんどん溜まっていって、このままじゃいけないよなという焦りが募っていきました。養成所に入る勇気が出たのは、4年間友達がいなくて、人に声をかけることができない自分を変えたい、今までやったことのないところに飛び込みたいという気持ちが大きく膨らんだ結果なんです。今思えば、私にとっては必要な4年間だったのかなと思いますね。

――養成所では、相方の近藤春菜さんとコンビを結成。春菜さんは社交的で明るいイメージがありますが、当時、気後れすることはありましたか。

 当時の春菜は今のイメージとはちょっと違っていて、けっこう暗い感じの子だったんです。会った当時は、自分と似ているタイプの子なんじゃないかと思っていたぐらいで。春菜も短大時代、学校と家の往復だけだったと言っていて、キャンパスライフが充実していたようなエピソードを聞いたことがないので、私とあまり変わらなかったのかも。コンビを組んでからは、私とは正反対の方向にいったんですけどね。

――クイズ番組などで早大卒をウリにしている芸人やタレントも多くいる中で、箕輪さんはあまり出身大学をプッシュしてこなかった印象があります。

 そうですね、あまり知られてはいないと思います。積極的に押し出していたってわけでもないんですけど、特に隠していたわけでもなくて……。早稲田らしいことをやっていたり、友達がいたりすれば、もっと大学時代のエピソードトークができたのかもしれないですけど、ほんとになくて……。人と関わらない分、感情と結びついている記憶がほとんどないので、当時の記憶も薄いんです。もったいないですよね。

――クイズ番組への出演機会も多くはない印象です。クイズの仕事を断っているわけではなく……?

 全然、断っていたわけではないんです……。エピソードを出せなくて、私の芸人としてのイメージと早稲田卒のイメージが結びつかないから、あまり指名されなかったのかも。過去には呼んでいただいたのに、スケジュールの折り合いがつかないこともありました。自分としては、クイズ番組のようなお仕事をいただけるならありがたいですし、仲間に入れてもらえるなら出たいです……!

――コロナ禍になって授業やサークルが思うようにできず、孤独な状況の学生も増えているようです。4年間一人の大学時代を送ってきた箕輪さんだからこそ、響くエールもありそうです。

 私の場合はキャンパスに通えていたのに自分のせいで孤独だっただけですが、今は学生自身のせいじゃなく「孤独にさせられている状態」。本当に気の毒だと思いますし、私の状況とは比べものにならない。

 今はたぶんやれることがなくて、すごくフラストレーションがたまる状態だと思うんです。でも、いつか人に会えるようになった時に、「こんなことをやりたい」「こんなことがやれそう」みたいなアイデアが出てくるように、今はエネルギーを貯める時間だと思ってほしいです。

 私個人の一例ですが、孤独な4年間があって、変わらなきゃという気持ちでい続けたことで、養成所に入る勇気が出た。あの時間は無駄にはなっていないし、芸人になるために必要な4年間だったんです。そして養成所に入ったことで、はるなという人生で一番ラッキーな出会いができた。長い人生の中で、これからいろんなチャンスがあると思う。今はなかなか前向きになれない時間だと思うんですけど、気持ちをなえさせずに、未来に希望を持っていてほしいです。 

 それに、自分の中でちょっとした楽しみを見つけて、人に合わせずに過ごした時間も案外よかった。大学時代に一人で行動することの楽しさを見つけたおかげで、その後の人生でも一人旅とかを楽しめるようになった。一人で何かできるということを、なんとか楽しさに変えてほしいなと思います。(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)