11月6日、秋篠宮妃紀子さまの父で、学習院大名誉教授の川嶋辰彦(かわしま・たつひこ)さんの家族葬が執り行われた。秋篠宮ご夫妻、佳子さま、悠仁さま、そして小室眞子さんと圭さんは家族葬に参列するため、東京・新宿区にある川嶋家を訪れた。

 6日、午後3時半。小室眞子さんが圭さんを伴い川嶋家に到着した。眞子さんは、報道陣にかるく会釈をして川嶋家に入った。20分ほどあとに、秋篠宮ご夫妻と佳子さま、悠仁さまが到着した。

 川嶋さんは4日、中皮腫のため、聖路加国際病院で亡くなった。その日、眞子さんはひとりで病院を訪れ、最後のお別れをしていた。圭さんとふたりでお見舞いに訪れたのは、結婚から3日後の10月29日だった。

結婚の報告であったのだろうか。

「ふたりには結婚を急ぐ理由があった――」

 事情を知る人物によれば、宮内庁関係者はそう口をそろえていたという。急いだ理由が、川嶋辰彦さんの容体を指したのか、それとも小室さんのNY州司法試験についての感触であったのかはわからない。

◆素朴で飾らない人柄 3LDKのプリンセスとなった理由

 学習院大学名誉教授で経済学の専門家だった川嶋さん。温厚で、大学内外で信頼が厚かったようだ。川嶋さんと面会したことのある人物は、彼の飾らない人柄についてこう話す。

「川嶋さんの研究室を訪ねました。話を聞いている間も、彼の電話はずっと忙しく鳴り続けました。川嶋さんは電話を受けたそばから、ポストイット(ふせん)にメモをする。驚いたのは、そのポストイットを研究室の床に貼り始めたことです。新しい要件が増えるたびに、入り口に向かってメモしたポストイットをペタペタと床に貼ってゆくんです。多忙過ぎて用件が山のように降ってくる。ドアへの通り道の床に貼れば、頼まれごとを忘れて研究室から出ることがないという工夫なのでしょう。川嶋さんのお話は、大変興味深いものでした。同時に、娘が妃殿下であることなど全く感じさせないほど、素朴で飾らない人柄が印象的でした。圧倒的な知識と教養に裏打ちされた人物というのは、虚勢を張る必要がないのだろうと感じたのを覚えています」

 31年前の1990年6月。川嶋さんの長女の紀子さまは、天皇ご一家の次男、礼宮さまと結婚した。

 職員宿舎に住む紀子さまが、天皇家の次男と結婚することが明らかになると、マスコミは親しみを込めて紀子さまを「3LDKのプリンセス」と呼んだ。一般的に大学教授といえば不自由はない。にもかかわらず、川嶋家は大学の敷地内の職員宿舎に住んだ。川嶋さんが当時、学習院大学の経済学部教授であると同時に、馬術部の部長を務めていたことも大きいようだ。

「大学の馬術部員は、朝と夕に敷地内にある馬場と厩舎(きゅうしゃ)で馬の世話をする。川嶋教授は、責任者として厩舎の近くに住んだのだと思います」(学習院OB)

 また、川嶋さんは、地域経済の発展を目指す取り組みも国内外で行っていた。その際、現地に足を運び、土地に根付いた文化を守るという姿勢を大切にしていたという。 

 実は学習院の馬術部の活動も、こうした取り組みの一つといえるだろう。同部は馬を通じた人との交流も大切にしており、川嶋さんは99年に、日本の在来馬について研究した論文、「自然環境とヒトの触れ合い─ウマと子供達─」を『茨城県大洋村・沖縄県与那国町の交流384フォーラム報告書』(与那国町商工会同青年部・1999年3月)に掲載している。

 この論文に登場する大洋村は当時、馬を村の地域活性化の軸に出来ないかと模索していた。障害者向けの乗馬療法や小中学生の「生きた授業」の教材に活用することなどを目指していた。大洋村は、学習院馬術部から馬を譲り受けて飼育しており、さらに在来馬である沖縄の与那国馬も増やす計画を立てていた。

 当時の村の事情を知る人物はこう話す。

「川嶋さんは立場上、表には出ませんでしたが、裏から村のプロジェクトを支えていたようです」

◆眞子さんの初の単独公務と川嶋さんの研究の接点

 この川嶋さんの在来馬と人の関わりや地域と経済といった研究は、秋篠宮さまの研究や孫の眞子さまや悠仁さまの公務や「学び」にもつながっている。

 家禽類の研究で理学博士号を取得した秋篠宮さまは、動植物に造詣が深い。秋篠宮さまは、ニワトリなど生物だけを対象とするのではなく地元の人たちの話に耳を傾けて、家禽類や自然、人との関わりなど総合的な視野を大切にする。 

 お子さま方の教育も同じだ。秋篠宮ご夫妻は、お子さま方が幼いころから国内外の自然に触れ、土地の文化を学ぶ機会を積んできた。

 また、2008年に行われた眞子さんの初の単独公務が興味深い。内容は在来馬、野間馬(のまうま)の贈呈式だった。野間馬は絶滅の危機にあったが、愛媛県今治市が保護・繁殖に取り組んでいるという。そして悠仁さまが7歳を迎えた2013年には、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、沖縄を旅行し、沖縄や九州の在来家畜の与那国馬や島ヒージャー(ヤギ)、口之島牛と触れ合った。これらは、川嶋さんの研究と重なる分野も少なくない。

 もちろん秋篠宮家の研究や学びは、ほかにも多くの人びとの支えに助けられている。この沖縄旅行には、上皇后美智子さまの親族で、家畜の遺伝について研究をしていた東大名誉教授の正田陽一さんも同行している。

 美智子さまの親族である正田氏も秋篠宮家の「学び」を支えるひとりだった。秋篠宮さまとは、研究の会合でよく顔を合わせ、秋篠宮ご夫妻が中国の雲南省の少数民族が住む村への調査旅行に行った際も同行している。 

◆多くは語らずも、父親として祖父として見守った

 皇室について語ることこそ無かったが、川嶋さんは、秋篠宮ご夫妻と孫たちを見守り、強い絆で結ばれていた。

 紀子さまの結婚には当時(1990年)、反対する声は強かった。兄に先んじた結婚だったからだ。川嶋さんは、娘の紀子さまにこう呼びかけたという。

<辰彦さんは、娘に「何かあればいつでも(離婚して)戻ってきていいんだよ」と呼びかけている。「僕ら(両親)はいつだって、君のシェルターになるんだからね」と>(10月26日付朝日新聞>

 そして91年に紀子さまが第一子を懐妊したことが明らかになると、白居易の詩に重ねて、初孫が誕生する喜びを表現したという。

 眞子さまが宮内庁病院で生まれたとき、川嶋さんは懐妊のとき同じように、白居易の詩、「春題湖上」の「碧毯線頭抽早稲 青羅裙帯展新蒲」の二句を引いて、「瑞々しく輝く早稲の穂と芽吹いたばかりの蒲の穂」に初孫の誕生を重ねて喜びを託したと言われる。

 小室さんの司法試験の不合格が判明し、新婚生活は、けわしいスタートとなった。

 だが、祖父の川嶋さんは、眞子さん「穂」の芽吹きにたとえた。眞子さんの民間人としての人生も芽吹いたばかり。元内親王として、しっかりと歩んでいって欲しい。(AERAdot.編集部 永井貴子)