昨年、作家で夫の藤田宜永さんを亡くされた小池真理子さん。作家・林真理子さんとの対談では、藤田さんの闘病や死をつづったエッセー『月夜の森の梟』を刊行した理由を明かしてくれました。

*  *  *

林:お久しぶりです。軽井沢はもう冬の装いですか(取材は11月初旬)。

小池:そうですね。今年の秋は例年より暖かいんですけど、冬はすぐそこまできてる感じです。

林:小池さんの最新刊『月夜の森の梟』は、朝日新聞に連載していらしたエッセーをまとめたものですが、連載中からすごい反響だったんでしょう?

小池:そうなんです。連載を始めたのは去年の6月からだったんですけど、最初の1、2回は感想メッセージがポツポツって感じだったのが、回を重ねるうちにトータルで千通ぐらいメールや手紙をいただいて。

林:亡くなったご主人の藤田宜永さん(作家)との思い出を、素晴らしい文章でつづったエッセーですが、読者からのお手紙を読んで、つらくなったりしませんでした?

小池:ううん。私は読むのがすごく楽しみでした。感想をくださるのは死別を経験した方が多かったです。配偶者だけじゃなくて、両親や兄弟姉妹、恋人、ペットとかいろいろで、一つひとつの手紙にその人の人生が詰まっているんです。「週に1回、この連載を読むと滂沱(ぼうだ)の涙になってしまうので、家族から離れて、誰にも見られないところに新聞を持っていって読んでいます」とか。

林:私も毎週読んでいました。軽井沢の四季を織り込みながら、人が生きるとはどういうことか、死とはどういう意味を持つのか、毎回短い文章でよくここまで掘り下げて書かれて、しかもそれがさりげなくて、作家のワザをみせられたという思いでしたよ。今回、一冊の本にまとまったものを読むと、毎回毎回、同じ感想を持つものがないってすごいなと思いました。

小池:「藤田さんのことを書きませんか」という依頼を受けたのが去年の4月でした。亡くなったのは1月30日だから、まだ2、3カ月しかたっていなかったですね。私はぜんぜん仕事ができない状態だったし、以前の自分とはまったく違う精神世界の中にはまっていた時期でした。すごく迷いましたが、作家って、新しいものを書くときに、何かしら「たくらみ」があるものでしょう。でも、新たな境地なんか切り開こうとしなくていいから、ただただ悲しみにひたっているこの風景を、散文詩のように書いていけるのであれば、と思って引き受けました。

林:ああ、散文詩のように。

小池:散文詩って起承転結もないし、散文的な文章なら、自分のこの悲しみを、正直にてらいなく書けるんじゃないかと思ったんですね。たくさんの野鳥が毎年卵を産んで元気なヒナがかえり、キツネやテンが行き来している。そういった自然界の法則って、私がどんなに嘆き悲しんで孤独にあえいでいても、それまでどおりの秩序の中で淡々と繰り返されていくわけですよね。そんな世界に自分を放り込んで暮らしているうちに、自然と言葉が生まれてきたみたいです。

林:藤田さんは、亡くなる少し前に「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」とおっしゃったとか? こんな切ない愛の言葉、聞いたことないというぐらいすごいですよ。やっぱり藤田さん、作家なんですよね。

小池:病気になってからは、それに類することをよく言ってました。生き続けたかったんだと思います。「俺は三島が好きだったけど、今は太宰治になった」とか言って、太宰の虚無主義的な生き方を参考にして、自分の死を一生懸命受け入れようとしてたんですけどね。でも、死が近づけば近づくほど、この人は今、本当に生きたがっている、死にたくないんだ、というのが伝わってきてつらかったです。どれだけがん細胞に侵されても、「生きたい」と願っていた。そういう状態の中で、よくそんなセリフが出てきたな、と今は思います。

林:本当にそうですね。

(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)

小池真理子(こいけ・まりこ/1952年、東京都生まれ。成蹊大学文学部卒。出版社勤務を経て、78年にエッセー『知的悪女のすすめ』を発表。89年「妻の女友達」で日本推理作家協会賞、96年に『恋』で直木賞、98年に『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年に『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、12年『無花果の森』で芸術選奨文部科学大臣賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『死の島』『神よ憐れみたまえ』など。最新刊はエッセー『月夜の森の梟』。

※週刊朝日  2021年12月10日号より抜粋