安倍晋三元首相が銃撃で殺害された事件を受けて、警察の警備・警護の「穴」に注目が集まっている。この件を受けて宮内庁の西村泰彦長官は14日の会見で、「国民との親和を妨げない形で、いかにご身辺のご安全を確保するかは、警察の永遠といってもいい課題」と悩ましい胸の内を吐露した。国民とのふれ合いと安全の確保の両立は、政治も皇室も長年の課題である。

  安倍元首相の後方の警護を担当した警察官が、「道路を走る自転車などに気を取られ、容疑者に気づかなかった」と説明していることから、警備能力そのものの問題も大きい。

 一方で、日本で警備対象となる要人の警護が苦労の連続であるのも事実だ。警備対象者の理想と、警備・警護側の思惑がかみ合わないからだ。

 政治ジャーナリストの角谷浩一さんは、政治家はのぼり旗と一緒に商店街を練り歩く「モモタロウ」やミカン箱に乗っての演説など、庶民性をアピールしてできるだけ人との距離を縮めてきた、と話す。

「しかし、それなりの地位にいる政治家の場合、警備をする警察は何かあったときに守れないので、人と距離が近いのを嫌がります」

 危険で守れないから有権者の中に入るのはやめてほしいと警察側が選挙事務所に説明したとたん、「落選させる気か」とスタッフが警察側にくってかかる――。角谷さんはそんな光景を何度も目にしている。

■令和では悠仁さまが標的に

 警察の警備・警護担当者と要人側のせめぎ合いは、長年の課題だった。

 むろん皇室もそうだ。

 反皇室闘争によるゲリラ事件が多発した昭和から平成の時代、皇室は、重要な警備・警護対象になっていた。昭和天皇の発病から大喪の礼まで、新左翼過激派の反皇室ゲリラは22件に及んだ。

 平成に入ってからも反皇室による事件は、しばらく続いた。さらに、1992年に山形で開かれた国体では、開会式で天皇陛下が「お言葉」を述べている最中に、ロイヤルボックスに向けて発煙筒が投げられる事件が起きた。このとき、美智子さまはとっさに天皇陛下の胸の前に手を出して、陛下をかばう姿勢を見せた。

 平成の終わりから令和に入ると、左翼ゲリラによる事件も影をひそめた。しかし、反天皇思想による過激な事件はいまだに起きている。

 令和元年となる直前の2019年4月には、秋篠宮家の長男で皇位継承順位第2位となる悠仁さまが標的にされる事件が起きた。

 悠仁さまが通っていたお茶の水女子大学付属中学(東京都文京区)に男が忍び込み、悠仁さまの机に刃物2本を置いたのだ。逮捕された男は、「刺すつもりだった」と供述している。

 先月25日にも、包丁とともに皇族を批判する内容が書かれた手紙が宮内庁に送りつけられた。その手紙には、複数の皇族の名前とともに皇族への批判が書かれていた。宮内庁の事情に詳しい人物によれば、

「その中には、秋篠宮家の皇族方の名前があったそうです」

 悠仁さまが現在通う、筑波大学付属高校(東京都文京区)にも入学に合わせて学校の敷地を囲むように有刺鉄線や不審者の侵入を防ぐための「忍び返し」が新たに設置された。また、正門には24時間体制で民間の警備員を常駐させるなど警備体制は強化された。

■「日本の警備は過剰」の真意

 一方で、宮内庁サイドとすれば歯がゆい思いもある。

「日本の皇室は、国民との触れ合いで信頼関係を築いてきた。令和に入っても皇室を標的にした事件が起きていますが、それでも移動の際に車の窓を開けるのは、国民への信頼の表れでもあります」

 そう話すのは、元駐ラトビア大使で宮内庁では侍従として平成の両陛下に仕えた多賀敏行・中京大学客員教授だ。 

 多賀さんが侍従として仕えたのは、1993(平成5)〜96年。国内ではまだ反皇室闘争の影がチラつき、海外では反日感情が渦巻いていた時期だった。

 一方で、皇室側は、ソフトな警備を望んでいた部分もある。

「国民と触れ合いと交流を続けたいという天皇や皇族方のお気持ちを誰よりも理解しているだけに、警備当局としても悩ましい問題であったと思います」(多賀さん)

 上皇ご夫妻はともに戦時下での疎開を経験している。特に、上皇さまは学習院初等科時代に3度の疎開を経験し、空襲で焼けた宮殿を目の当たりにした。敗戦によって皇室の存続が危ぶまれたことも、身をもって知っている。

 そのなかで、「人間宣言」を行った昭和天皇は、神話と伝説に基づく神であることを否定し、全国各地を巡幸した。人々と触れ合う中で、「象徴」という新たな天皇像の模索を始めた。

 そうした昭和天皇の姿に学んできた平成の明仁天皇と皇后美智子さまは、集まった人たちの目を見て手を握り、言葉を交わし、信頼を築きあげてきた。  

 そして学生時代に英国留学から帰国した浩宮さまは、記者会見で「日本の警察は英国に比べて警備が過剰」と話し、警備の緩和への期待をのぞかせた。

 令和の天皇陛下と皇后雅子さまも、被災地では床にひざをつき、被災者と目を合わせて耳を傾け、静養先では出迎えた人たちと顔を寄せて会話を続けてきた。 

 そうした天皇や皇族方の希望をかなえようと、憎まれ役になったのが、そばに仕える側近たちだ。触れ合いの妨げにならないよう目立たない警備を、と口出しをしてくる側近は、警備当局から常に睨まれていた。

「警備側からすると、万が一の場合、人との距離が近いほど護衛対象である天皇や皇族方を十分にお守りすることが難しくなる。当然といえば当然です」

 国内はまだいい。頭を悩ませたのが海外訪問時だった――。(AERA dot.編集部・永井貴子)

 ※記事の続きは後編<<「女王自ら天皇の「盾」となった欧州王室と、「手榴弾は投げ返せ」の米国 日本皇室への警備の差>>に続く