国民に違和感が残ったまま安倍晋三元首相の国葬が行われる。ノンフィクション作家の保阪正康さんの目に今回の国葬はどう映るのか。AERA 2022年9月26日号の記事を紹介する。

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今回の国葬は内閣による私物化だと思っています。国葬の決定には行政府のみならず、立法府での議論などを通じた国家的な意思確認が最低限必要です。そうした手続きを経なかったことは、私は安倍晋三元首相の支持者ではありませんが、安倍さんに対しても失礼だなと感じます。安倍さんが国葬に値するかどうかは次の問題です。岸田文雄首相は国葬を私物化したという一点で議会政治に汚点を残しました。ほかにも、いくつもの矛盾や歴史への説明不足が目に付きます。国民の間にも、「何かおかしいぞ」という感覚が広がり、支持率低下につながっているのだと思います。

近代史のスタートは1868年の明治維新から終戦の1945(昭和20)年、現代史は1945年以降の現在(2022年)と捉えたとき、昭和は近代史の終わりと現代史のスタートという、2つの時代を兼ねています。近代史から現代史、そして現在までの間隔はいずれも77年。今年はそういう節目の年に当たります。

1943年の太平洋戦争中に海軍元帥の山本五十六の国葬が行われています。近代史は太平洋戦争が「ジ・エンド」のステージだったわけです。そのステージで軍人として太平洋戦争の端緒を開く真珠湾攻撃を指揮した山本の国葬は象徴的でした。

戦後は国葬の法的根拠がなく、実施例も1967年の吉田茂元首相だけです。吉田は現代史のスタート地点である、アメリカの占領政策の中で日本の国益をいかに守るかに尽力しました。良し悪しの評価は別として、これは歴史的業績に位置付けられます。山本五十六も吉田茂も日本の近現代史上、この2人だったら、という納得感があります。

国葬は本来、確たる業績評価を行った上で検討されるべき国策です。例えば、吉田茂の門弟たちは彼の業績を後世に残そうと、吉田の政界引退後、池田勇人や佐藤栄作らを相手に語った『回想十年』という本を出版しています。これは立派な歴史的文献です。首相として吉田の国葬を決定した佐藤の判断は、こうした取り組みや意識の帰結と捉えることが可能です。

一方、岸田さんは安倍さんの業績としっかり向き合っているようには思えません。それでいきなり国葬をやるのは「業績評価なしの国葬」です。だからこそ、私は「私物化」という言葉を使うわけです。私物化は非歴史化、反歴史化とも言えます。

■説得力ある業績なし

山本、吉田に継いで安倍さんを国葬にするというのであれば、戦後77年をシンボライズするような安倍さんの業績が不可欠です。首相在任期間が長く、大衆の人気があったというのは「その時代の雰囲気」を表しているにすぎません。安倍さんには50年後の人たちに説得力のある形で提示できるような業績が浮かびません。

安倍さんが首相在任中に行ったことは、憲法改正を声高に訴えたり、集団的自衛権の行使容認に踏み切ったり、内閣法制局長官を自分に都合の良い人物に入れ替えて法解釈を変える、といったことです。つまり、安倍さんがやろうとしたことは、日本が現代史の中で培ってきた政治の枠組みを壊すことです。

岸田政権の政策の骨格が依然として見えないなか、国葬実施の判断は岸田首相の政治に対する向き合い方を映し出した面もありました。宏池会は自民党の中でも政治的なバランスの取れた派閥集団だと思い、私は個人的にかなり期待していました。実際、それだけの人材もかつてはいました。宏池会が自民党の中に存在することで、与党が一方向に傾かない役割を果たしてきたと思います。その宏池会を引き継ぐ岸田さんには宏池会のカラーや政策の幅は全く出てこない。というより、対極にいると受け止められるのが今回の国葬の発想だと感じています。

私は以前、執筆のため宏池会の創成期のメンバーからじっくり話を聞く機会がありました。二度と戦争を起こしてはいけないという視点に立脚し、軍備は軽武装にとどめ憲法の枠の中に抑え込んでいく一方、経済で日本を復興しようという意識が根底で共有されていました。そんな日本の保守リベラルを代表する宏池会の思想を岸田さんは全く継いでいない。今回国葬を決めたことは、現代史の良質な部分を削ろうとする安倍さんの思想や政策を肯定しているのと同義です。安倍さんのような政治家を国葬で、と言うのであれば、「岸田さん、あなたはその思想に立っているんですね」「あなたはその思想が現代史の大事な思想だと思っているんですね」ということになります。そうすると、あなたは宏池会じゃありませんよ、と私は言いたい。つまり、保守リベラルなんかじゃない、ということです。

岸田さんは状況の中でしか生きられない政治家です。自分なりの思想を掲げて集団を引っ張っていく、ということができない人です。そういう人物がリーダーを務める危険性は、状況を自分で作っていない分、無責任になることです。岸田さんは状況に対して常に受け身です。思想の裏打ちもなければ、立ち位置も明確ではない。だから状況に流される。この人は一体、何を考えているんだ、となる。国葬を決定した原点にあるのは、そういう岸田さん個人の特質だと思います。

もう一つ、言っておきたいのは靖国神社の思想との関連です。靖国神社というのは、全てをはしょって言えば、国家主義的な思想のもとで行う慰霊の社です。靖国神社が1年で最も注目を集める終戦記念日を前に、9月に行う国葬を岸田さんが事件後早々、7月に発表した背景には、この「靖国」の存在を意識した面があったからだ、と考えています。

安倍さん自身、戦後社会における靖国の思想を継いでいる人だと思います。そういう人物を国葬にするということは、岸田さんが間接的に8月15日に靖国神社に参拝するのと同様の効果を持ちます。つまり、岸田さんは安倍さんが持っていた保守の支持層に媚びへつらうことにより、自身の政治的基盤の強化につなげようとした。少なくともそうした潜在心理が岸田さんの中にあった、と私は見ています。銃撃事件が春先に起きていれば、果たして岸田さんはこんなに早く国葬の決定を急いだでしょうか。

自らの思想を持たない状況主義者が怖いのはそこなんです。戦後77年、日本はとうとう存在の核のない内閣を抱えるに至ったんだな、という感を強くしました。

さらにもう一つ、留意しないといけないのは、国葬と天皇の関係です。今回の国葬は「憲法上の象徴天皇の国事行為はどうあるべきか」という問題の本質に迫る局面でもあります。

天皇は内閣から国葬への出席を求められるでしょう。そのとき、天皇家が「こうした国葬の類には、どんな人の国葬であれ、距離を置きたい」という自由な意思を貫けるかといえば、そんなことはできない、と宮内庁は考えるでしょう。となると、どうなるか。天皇が出席するかどうかは、軽々に口をはさめませんが、天皇家の誰かが出席することになります。私はいま、宮中で相当なエネルギーを費やして議論と調整が行われているんじゃないか、と推察しています。こうした複雑な課題も含め、岸田さんはあまり深く考えずに国葬の実施を決めてしまったのではないでしょうか。

今回の国葬で、「今」という時代を生きる私たちの見識が問われています。日本の戦後民主主義はアメリカに与えられた「アメリカン・デモクラシー」です。これは本来、民主主義の1つの形態にすぎず、本当はここから「アメリカン」を取らなきゃいけなかった。私たちが民主主義を本質的にどう理解し、この国を作っていくのかという議論へ進んでいかなければいけない。日本には明治初期に自由民権運動を率いた後藤象二郎や板垣退助、福沢諭吉をはじめ、かなり高度な民主主義の方向性を模索した時期もありました。そういう土壌があるのに、私たち国民は自分の頭で考えて進むことを拒否したまま、いまだにアメリカン・デモクラシーの枠にとどまっています。結局、日本の戦後民主主義は私たちの手で作り育てたものではなく、与えられたものをただ守る、という姿勢に終始してきたように思います。

いまの憲法は平和憲法ではありません。非軍事憲法だと私は考えています。これを本当の意味で平和憲法にするには絶え間ない平和への努力が必要です。そういう努力もしないで表面だけ「平和憲法」という美辞麗句で飾っても、若い世代には思考停止の上に据え置かれた「保守化したもの」としか映りません。安倍さんはそのような日本社会が欠落させてきたものを否定することで、内実を伴わない見せかけの斬新さをアピールするブームに乗っかっただけの政治家です。

私たちには今の時代に生きることと、歴史の中に生きる2つの役割があります。歴史の中に生きるというのは、先行世代の教訓を次世代に伝えていく役割です。私たちはこの努力を怠っていないか。次世代の人が私たちを見て、受け継ぐに値するものがどれくらいあると考えるでしょうか。今回の国葬は歴史の審判に耐えられないと考えています。

(構成/編集部・渡辺豪)

※AERA 2022年9月26日号