社員の約7割が知的障害者という珍しい企業がある。「チョーク」の製造で有名な、日本理化学工業(本社・川崎市)だ。意思の疎通などの困難がありながら、障害者たちはいかにして会社の主力に育ち、現場を支えているのか。5年前、新人ながら障害者たちの指導役を任された健常者の男性社員。彼が試行錯誤を繰り返しながら歩んだ日々から、そのヒントを探ってみた。

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 粉の飛ばない「ダストレスチョーク」で知られる日本理化学工業は、1960年に初めて知的障害者を雇用して以降、積極的な採用を続けてきた。今年10月現在で93人の社員のうち63人が知的障害者、その中の22人は重度の障害があるという。

 同社は、知的障害者に雇用を「与えている」のではない。工場の生産ラインの主戦力は、彼らが担っているのだ。作業能力が上がれば役職が付くし、それぞれが仕事の目標を掲げ、達成した社員を表彰する制度もある。健常者だけの職場と何ら変わりはない。

「知的障害がある人は、学生時代にクラスが分けられたりしていたので、色々なことが『できない』人たちなんだろうと思っていました」

 社会に出る前の自分をそう振り返るのは、同社の美唄工場(北海道美唄市)に勤務する沼口鮎都さん(27)。再生プラスチックを利用した「黒板拭き」の製造ラインのリーダーであり、現在の“相棒”は4人の知的障害者の男性たちだ。

 機械から出てくるプラスチックの骨組みをニッパーでカットして組み立てる。不良箇所がないかなどをチェックし、箱詰めするという一連の作業を一人で行うのがミッションだ。

 2017年の春に入社した沼口さんは、新人ながらに作業経験の長い知的障害者らの指導役を任された。自分にとっても未知なる仕事。22歳、試行錯誤の日々の始まりである。

 相対するのは60代の大ベテラン、吉岡さん(仮名)。骨組みをニッパーで切る作業が、雑になるときがしばしばあった。

 沼口さんは何度も実演して教えたが、一向に改善がみられない。

「なんでできないの?」
「できるときのようにやったらいいじゃない」

 言葉で訴えかけるも、効果なし。

 沼口さんは考えた。そもそも、上手なときと雑なときのムラがなぜ生じるのか……。

 仲間たちの仕事ぶりを眺めながら、あることに気が付いた。

 4人のうち、吉岡さんを入れて3人が左利き。沼口さんは、利き手の右手でいつも手本を見せていた。

 沼口さんは、左手でカットする練習を重ね、さらに切りやすい持ち方を探り、今度は左手で実演して見せた。

「実際に左手を使うと、どのように持っているかなど、見え方が違うんです。はっきりとした意思表示はなかったのですが、もしかして伝わったかな、と感じた瞬間がありました。それ以降、吉岡さんの作業のムラは劇的に改善されました」(沼口さん)

 障害があるからやっぱり無理、ではなく、相手目線に立って、その人に合った教え方を考えてみるという少しの工夫が、成長につながることを沼口さんは学んだ。

 仕事の能力が高く、副班長を任されていた50代の倉田さん(仮名)。沼口さんは作業の説明をする際、最後に「大丈夫だよね?」と確認するようにしており、倉田さんも「大丈夫」としっかり返してくれていた。だが、なぜか倉田さんの手が止まってしまうことがあった。その理由はよくわからなかった。

 自分から話しかけることが苦手な20代の近藤君(仮名)。仕事を教えても、会話のキャッチボールは難しい。そんな近藤君は、作業の途中、チラッ、チラッと沼口さんに目をやる癖があった。なぜこんな行動を取るのだろう……。

「何をやればいいか分からなくて困ってるんだよ」

 前任の担当者のアドバイスで、やっと起きていることが理解できた。

 倉田さんは「大丈夫か」と聞くと「大丈夫」としか返せない。その後の作業で何かミスが起きていると感じ取っても、それを言い出せない。近藤君も、目線でしか困っていることを伝えられないのだと。

「『大丈夫だよね?』は、やめました。よく考えたら、健常者でも『大丈夫です』って答えてしまう聞き方かもしれませんよね。『分からないことはない?』と聞くと、意思表示がしやすいことを知ることができました。それ以降は2人とも、困ったときは積極的に合図を出してくれるようになりました」

 こうした相互理解は、仲間たちの成長につながった。4人とも、製品の不良などを発見すると、自分から進んで沼口さんに報告するようになった。コミュニケーションは簡単ではないが、ひとつひとつの壁を乗り越えていくことで、彼らの内面に自信が生まれたのだと沼口さんは感じた。

「障害がある無しの垣根のようなものは、今はいらないと感じています。一人の人間として接して、どんな伝え方や教え方をすれば良いのか、その人その人に合わせたやり方を見つけていくこと。スタートの位置が人によって違うだけで、やり方を見つければ能力は上がりますし、その後の仕事ぶりや集中力は、知らない人に見てほしいと思うくらいすごいんです。障害者の社員が、今よりもっと仕事の幅をもっと広げられる可能性はあるはず。そうした社員が一人でも生まれるように、僕も教え方の工夫と努力を重ねていきたいと思っています」

 前を向く沼口さんだが、かつては別の会社の工場で働いていた。人間関係などに疲れてしまい転職を考えていたが、行く当ては見つかっていなかった。

 ちょっとした人生のスランプだったその頃、たまたま目にしたのがテレビ番組で特集されていた、日本理化学工業で働く障害者たちの姿。番組は終わり間際だったが、障害者たちが取り組む作業の精度の高さと、その集中力に目を奪われた。

「職人みたいだ」

 その2カ月後、ハローワークに足を運ぶと、美唄工場の社員募集が目に留まった。

「縁を感じましたね」(沼口さん)

 新人社員の出社初日の緊張をほぐしたのは、大きな声であいさつしてきた障害者たちの笑顔だ。

 あれから5年半。

 人間だから、疲れがたまって朝からやる気がいまいちな日もある。仕事を教えた障害を持つ若手が「みんなと同じは嫌」と、職場を去っていったこともあった。すべてが順風ではない。

 それでも、裏表がなくいつも元気よく話しかけてくる障害者たちの姿が、やる気のスイッチを入れてくれるのだという。

「この職場で働いて、僕自身も成長させられたと思います」(同)

 教えて、失敗して考えて、たどり着いた成功例に新たな「気づき」を得る。自然体で仲間とともに成長していく沼口さんの日常は、現代社会に求められている“多様性”を体現している。(AERA dot.編集部・國府田英之)